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視覚情報優位時代の終焉

物欲が満たされていないという窮乏感は高度成長期の最大の駆動力として機能したはずだが、それがある程度満たされているという前提の頃に生まれた世代には、その窮乏感自体が存在しないので、目に見えないものを繊細に感じ取る能力が高い可能性がある。これは過剰な視覚優位に依存していた異常な時代から、総合的な意味で“まとも”な時代へのシフトの原動力になり得ると考えられる。

最先端の素粒子物理学によれば、宇宙の95%は暗黒物質( dark matter )で占められており、我々が直接観測できる物質世界(大半は水素やヘリウムなどで構成されている)はたった5%に過ぎないのだそうである。これが本当なら、水素・酸素・窒素・炭素の4元素だけでその成分の90%以上を占める私たちの体(※1)も、一人の人間の5%程度を表現しているに過ぎず、残りの95%は目に見えない、観測できないものが私たちの体の周辺を支配しているとも考えられる。愛情、権利、義務、公共性、倫理、信頼、社会関係資本、時間、自由、魂などの、私たちにとってかけがえのないものが目に見えないのはこれらが暗黒物質だからである(本当か?)。

目に見えないものであっても、例えば「意識」が実在することは本人であれば確信できる。しかし、これが「無意識」になってくるとかなり怪しい。私たちが自覚し、意識的に行っている行動は全体の5%程度に過ぎず、大半はフロイトが言うところの「無意識の領域だ」と考えてみると妙な説得力があるような気がしてくる(フロイトは95%が無意識だなどとは言ってないが)。

日本は小さな島国ということになっているが、「私、伸ばしたらスゴイんです」と言わんばかりに海岸線を直線距離にすると、あっという間に世界の大国の仲間入りだ。ついでに言えば、海岸線は典型的なフラクタル( fractal:全体の形がそれを構成する部品と相似形になっている図形)のはずなので、厳密に測定すればおそらく数万kmにまで膨張するだろう。これは世界に誇る自然資本なのだが、日本地図をぼやっと見ていてそれを想起するのは困難だ。

識字率も同様に目に見えない。しかし、北海道から沖縄まで大抵の人とごく普通に話ができて、その街にある書店で販売されている書籍も、まあ大抵は読みこなせる。そういう国民だけで成立している国はほとんどないはずだが、これも一種の「世界に誇れる資本」として自信を持っていいはずである(英語やプログラミングを小学生の必須科目にしようとするのは犯罪に近い愚策だと思うが、これについてはまた別途)。

見えているものが嘘であるというもうひとつの例として「新車」がある。一般にクルマは、購入した“瞬間に”価格が半分になる。あなたが昨日300万円で購入した新車は、ほんのちょっとだけ手垢がついただけなのに、翌日売りに出したとすれば150万円にしかならない。街を駆け抜ける自動車は、どんなにピカピカの新車であってもそれが「道路の上を走行している」というだけで実質的には中古車である。

もっと正確に言えば、路上を走る新車というのは実在しない。(あえて面倒な言い方をすると)私たちには走行する新車を目撃する資格がないにもかかわらず、「今、自分の目の前を走り抜けていったポルシェは間違いなく新車だ」と認識してしまうのだ。これが視覚情報優位の誤謬である。

余談だが、クルマに関する経済的に合理的な態度は2つだけだ。「買ってしまったらスクラップにせざるをえなくなるまで乗り続ける」または「買わない」のいずれかだ。車検のたびにクルマを乗り換えてくれるようなカモがわんさか存在していた時代は、後世からは異常かつ不思議な時代だったと認識されることになるだろう。

物欲が満たされないという窮乏感は、高度成長期の最大の駆動力として機能したはずだが、それがある程度満たされているという前提の頃に生まれた世代には、その窮乏感自体が存在しない。逆に、目に見えないものに対する渇望感・切望感のようなものに対して非常にセンシティブになれる能力を持っているような気がする。

この世代のその感覚が、新しい時代のビジネスの牽引役として活躍するだろう。機能を具体的な形にしたものを所有・補填することにこだわっていた団塊の世代が作り上げた現在よりは、総合的な意味で“まとも”な時代、簡単に言えば原価率は小さいが付加価値が大きいサービスを構築できるポテンシャルがあるはずだ。

この時に、生物としてのヒトの際立った特徴である“過剰な視覚情報優位性”に対する修正が行われるはずである。視覚情報優位性が様々な文化あるいは文明の構築に寄与したのは間違いのないところではあるが、今後はむしろこの特異な機能によって見失ってしまったものを取り戻す行為がビジネスの中核になってくるはずだ。基本的には「所有」という概念を 1)仮想化、2)自動化、3)本質化(=存在論的アプローチ)という3つの軸から書き換えていく、という作業になると思われる。

当然のことながら、これから会社を作るであろう中年企業家としては、上記のようなスタンスで、原価率をぐっと絞り、かつできればその原価も流動費化できるように設計し、自分の「好き」をアイデアに変換させつつ付加価値をぐっと膨らませ、できるだけ高価格なサービスあるいは製品をユーザーに提供していくべきである。この設計が優れているのは、儲からなくても倒産しない、という点にある。
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以前、某大手飲料メーカーで久々の大ヒット商品をプロデュースした女性に取材したことがある。どんなやり手が出現するのか、興味津々で待機していた筆者の目の前に現れたのは、どこにでもいそうな、か細く、謙虚で、内省的な感じの女性だったので拍子抜けしてしまった。声も小さく、全てにおいて控えめな、今どき珍しい古風な女性だ。「こんな弱々しい人がこんな大ヒットをプロデュース?」という意外性に驚いたわけだが、インタビューを進めていくうちにその謎が解けてきた。彼女は「助けたくなるタイプ」だったのだ。

大企業ともなれば様々な部署に根回しを行い、協力を請い、それらをまとめ上げていく力が必要だ。その時に力任せで「やってほしい!」と命令されるよりは「ダメなら諦めますけど、、、」と弱々しく辛そうに言われた方が「しょうがないなあ、いいですよ」という形で協力を取り付けることができる。

彼女にはその「助けてオーラ」が満載だった。一見、弱さにしか見えない彼女の特徴は、裏返しでとんでもない強さを発揮していた。彼女の周りに発生する磁場のようなものは、見た目とは裏腹の強さを持ち合わせいる、と言い換えてもいい。こんな例からも、視野に明確に入ってくるものの大半はあまり信用しないほうが正解なのかも、と思ってしまうわけである。

※1 参考図書:吉田たかよし(2016)『元素周期表で世界は全て読み解ける』(光文社)
仕事の都合で高校レベルの化学を勉強し直す必要があり、何冊かの書籍を読み漁ったのだが、一番面白かったのがこれ。周期表が美しい理由、そして元素が私たち自身と私たちの生活にどのような関与しているかをわかりやすく解き明かしてくれる。タイトルがまんざら嘘でもないと思わせる迫力のある好著。
元素周期表で世界はすべて読み解ける

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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