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予想外という価値

人間は生まれながらに偶然性(serendipity)や予想外の出来事を期待しているところがある。極端な賭けは身を滅ぼす危険があるが、適度な当たり外れは、それ自体がエンタテインメントだ。零細企業経営の面白さはこの「適度な浮き沈みをある程度コントロールしながら楽しめる」というところにある。

昨今のコンビニ弁当も随分美味しくなったとはいえ、特定の同じ弁当を3回続けて食べることはできない。味が完全一致している工業製品だからだ。これに比べると家庭料理は似たようなメニューが続いたとしても、“舌が痺れる”ようなことはない。味が適度にブレているのだ。

つまり私たちは、美味しいかどうかよりはブレとか揺らぎのようなもの自体を価値として認識しているフシがある。なるべく毎日違うものを食べようと努力しているのは、栄養のバランスを取ろうとすること以上に“ブレ”ていないと飽きてしまうからだろう。

良い“ブレ”か悪い“ブレ”かは実はどうでもよく、予定調和から少しズレているということ自体に価値がある。一切の予見を持たずにたまたま入ってみた居酒屋の刺身がことのほか美味かった、というときの嬉しさなども似たような話だ(ついでに安上がりならもっと良い)。

マーケティングは落差である、とはよく言われるところだ。落差というのは“(ユーザーにとって)予想外・想定外”であることを指す。雑誌を年間予約購読すると高級万年筆がもらえることがわかっている場合と、そのようなインセンティブを事前に告知せず、年間予約購読読者に突然(購読の薄謝として)万年筆を送りつける場合では、後者の方が圧倒的に雑誌に対するロイヤルティ(loyalty:忠誠心)が高まる。

想定していた価値や品質を上回った時にユーザーの満足度は最高潮に達し、何も期待していない状態に対して差し出されたほんのわずかなメリットは過大評価されやすい。

経済情勢についてのニュース報道では、必ず“先行き不透明”という当たり前のセリフが繰り返される。もはや辟易としているはずのこの言葉を私たちが甘んじて受け入れているのは、“先行きは不透明な方が面白いことを知っている”からだ。

それを心得ているテレビ局は視聴者に対するリップサービス(?)として“先行き不透明”を多用していると考えると分かりやすい(先行きが透明になったら少なくとも株式市場はパニックになるはずなので、その時点でもはや経済は不透明になる。そもそも不透明は、現象としての経済の宿命でもある)。

これらの事例から類推するに、どうやら人間はそこそこの予想外を欲する生き物らしい、ということがわかる。予想外がないと生きていけないのである。もちろん多くの人にとって、基本的な生命の安全や身体の保全が確保されているという前提は必須だが、その上で起こる事象にはある種の揺らぎや不確実性を期待している、と言えるだろう。

月曜から金曜まで予想外の割込みやイベントが発生する頻度が低い仕事をしている人ほど、逆L字ゾーン(平日の夜と週末)では妙なチャレンジをしていることが多いような気がするが、これで全体のバランスがとれるのだろう。

週刊誌の未来予測の記事の閲読率が高いのは、それが「当たるも八卦」であることを知ってるからであり、だからこそ純粋にエンターテインメント(娯楽)として楽しめる。

その際たるものがシンギュラリティ(Singularity:2045年には人の知性を上回る超知能が出現する、という予測)であろう。このシンギュラリティの“いいところ”は、当たったと強弁することもできるし、外れたと主張することも可能であることが現時点で予想できる、ということと、2045年には現時点でのこの予想を問題にしている人が皆無だろう、というところにある。杜撰な予測を純粋に楽しむ、という意味において、シンギュラリティはもってこいのバズワードかもしれない。

大企業向けにマーケティングを施そうとする場合、業種・業態・従業員数などで似たような性向があるので、比較的簡単な定番の対応策が無難だ。これに比べると零細企業に対しては、マーケティングという手段自体がほぼ無効と言っていい。全てが個別事例だからである。どんなに個性的な社長であっても、それが大企業の場合、彼の個別事情を斟酌する必要はあまりないが、零細企業の場合、社長の個別事情が会社そのものなのだ。

従って、零細企業とビジネスをしたいのなら個別事情を聞き出すしかない。ところが、社長個人にとっての小さな出来事や偶然の出会いが社業全般に大きな影響を与えるので、本人でさえどのように事業が展開されていくことになるのか予想できないのもまた事実。これが、零細企業を顧客にしたい会社にとっての攻めにくさにつながり、同時に、経営者にとっての面白さにもなっている。

この不確実性やブレ・揺らぎを楽しむ裁量権が自分自身にある、という状態が零細企業の経営者には心地よい。売上数億円のレベルまでは、予想外の売上と予想外の出費でのアップダウンを繰り返すことになるのだが、この“ブレ幅が適度”である場合は、「馬券が当たった外れた」というレベルと大差ない面白さを仕事の上で体感できる。喜びは常に“望外”だからこそ喜びになる。

これは、零細企業に経営理念のような暑苦しいものは不要、ということにも通じる。経営理念など単なる結果論の集大成、功成り名遂げた爺さんの回想録に過ぎない。そんなものより「よくわからんけど面白そう」というものにちょっかいを出してみて多少儲けてみたり損をしてみたりを繰り返している状態にこそ価値がある。

教条主義的な事業仮説や経営理念に基づいて設備投資しなければならないような会社を作るのは、絶対にやめた方がいい。最大の理由は(どの業界であろうと)人間の皮膚感覚を遥かに凌駕するスピードでデジタル化が進行してしまうことが確定しているからだ。戦後の混乱期の起業との決定的な違いはここにある。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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