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ユニフォーム効果

どこにでもいるような善良なお父さんでも、警察官の服装というユニフォームを身にまとってしまうと威圧的に振る舞うことが許されているように錯覚する、という“効能”がある。私たちも、ユニフォーム自体が社会的メッセージや機能を保有していることを知っているので、後ろめたさがある人は彼を目撃しただけで身構えてしまうことになるだろう。

ユニフォーム効果を一言で乱暴に説明してしまえば「服装がその人の態度と行動に影響を与える」ということになると思うが、行為の順序で若干ニュアンスが変わってくる。ある特定の気持ちになるために主体的にその服装を身につける場合は、社会心理学的な意味合いが強い。ハロウインなどでのコスプレがその極端な例だろう。一方、業務上の着用義務があり、結果としてその服装にふさわしい振る舞いに終始するという受動的な態度もある。これは労働経済学の領域だろうか。当然、42/54がフォーカスするのは後者である。

前者は、ファッションで自分の気持ちを自発的に高揚させようという行動なので、着心地や肌触りなどの感性も重視される。後者は、大袈裟に言えば仕事を通じた社会関係資本のデザインになってくる。平たく言えば、ユニフォームは儲けるための道具として活用できる可能性があるかもね、ということになる。

服装がその人の態度を決定するということは、服装自体が“人格”を持っていることになり、それを身にまとう人間は“その服装に内在する命令セット”に従うロボットのように振る舞うことを余儀なくされる。

実際、どこにでもいるような善良なお父さんであっても、警察官の服装というユニフォームを身にまとってしまうと威圧的に振る舞うことが許されているかのような錯覚をする、という“効能”がある。彼を観測する私たちも、彼の(本来の)人格よりは服装が持つ記号性に着目してしまうので、悪事を働いているわけでなくとも身構えることになるだろう。ユニフォーム自体が社会的メッセージや機能を保有していることを知っているからだ。

ユニフォームが設定されている職種としては、警察官、消防士、自衛官、パイロット、客室乗務員、医者、看護婦、鉄道員、警備員、(デパートやコンビニなどの)店員、ホテル従業員、アスリート、駐車違反の監視員、などが思い浮かぶ(学校の制服はとりあえず除外しておく)。ユニフォームは女性中心に最適化され、男性はネクタイ+スーツを事実上のユニフォームとして代用する、という職場も多いはずだ。

ユニフォームはインセンティブとして機能させることができる。「あのユニフォームを着用する仕事がしたい」という動機を提供する職場は少なからず存在する。プロ野球などで、ドラフト指名された学生が契約球団のユニフォームをまずは着用して記念写真に収まる、という光景が典型的だ。

このユニフォーム効果を最も熟知していたのが、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)だと言われている。一般に、軍服や制服がダサいとそれだけでその集団には加わりたくない理由になるので、それを避けるための色々な(デザイン上の)工夫がなされるし、誇りを持って振舞っていただくためには必要な措置ではあるが、それにしてもナチスが作る制服のデザイン力は群を抜いていた。掛け値なしに「カッコいい」のである。しかし「あの制服を着用できるのなら是非参加したい」と思わせる先が戦争の片棒を担ぐ集団であってはならない。

逆に、“ユニフォームを脱ぐ”という言い回しは、決してお風呂に入るために脱ぐことを指すのではなく、そのユニフォームの着用が義務になっている集団からの離脱や引退を表すレトリックだ。つまり“脱ぐ”という言葉が重い意味を持つ職場ほど、ユニフォームの重要性が高いと考えられる。

ユニフォームが持つ記号性を仕事に活用しようと考えている企業は意外と少ない。特に(工場などの)現場で着用するユニフォームや、事務職の(特に男性の)スーツには、何か工夫しようと考えた形跡が感じられないものが多い。リクルートスーツで就職活動する学生の思考停止状態と大差ないのが実情だ。もったいない、と思う。

制服は、事務職であれ工場であれ「作業着に、ロゴを入れれば、出来上がり」程度のものでもオーダーメイド扱いになる上にサイズも複数必要なので、数百人程度の規模の企業では量産効果による単価の低下はさほど期待できない。どうせ安くならないのなら、安全とか機能的とか着心地がいいといった基本性能は堅持した上で、もう少し記号性にこだわっても良いのではないか。

労働条件が同じ集団という意味では、前述のプロ野球全体を一つの中堅企業と見なすことができる。そうすると個々の球団は、それを構成する部署に該当する。それぞれの球団は、他球団と差別化するという前提で「あのユニフォームを着たい」と思わせるようなデザインにすべく知恵を絞っているはずだ。結果的にどの球団のユニフォームも個性的でカッコいい。現場(工場など)を抱えている企業で見習うべき手法ではなかろうか。

数十人くらいの会社では、さすがに何種類ものユニフォームを用意するのは現実的ではないので、一種類または二種類(現場と営業・事務)にならざるをえない。この場合は、そのユニフォームを自慢する先は取引先になるだろう。

少数精鋭である事を示すような記号性をデザインすることで、入社が難しい会社であることを印象付けることもできるかもしれない。そうなると、採用(人材募集)などで有効に働く可能性もある(実際何人も採用しないだろうし)。

この活動は、CI(コーポレート・アイデンティティ)の一環とみなすこともできる。ただし、記号性はプライバシーとトレードオフの関係にあるので、デザイン上の微妙なコントロールが必要ではある。もっとも、社員証を首からぶら下げたまま電車に乗ったり、酔っ払ったりしているなどというケースも多いのが、いわゆる普通の社会人でもある。

多くの専門職が着用するユニフォームに比べると、男性事務職・営業職のユニフォームとしてのスーツはかなり曖昧な記号性しか表現していない。警察官がそのユニフォームを着用したまま居酒屋に繰り出すとは考えにくいことからも、深夜の東京・新橋あたりで盛り上がっている集団が着用しているスーツは仕事着とは言い難い。

スーツは、観測する側からしても(例えば仕事のスキルや種類などについての)判断材料にもならない。それでなくともスーツは、機能性・快適性という意味においては劣悪な洋服なので(吊るしのお手軽なものであればなおのこと)、冠婚葬祭もしくはそれに準ずる公式の場以外では不要だろう。そう考えると(少々意外だが)スーツは、ユニフォームではなく単なるファッションに過ぎないことがわかる。仕事をしているように見せかけるための偽装としては最適、ということなのかもしれない。

さて、42/54クラスの零細企業においてはユニフォームなど存在しないし、そんなところにカネをかける必要もない。お客様を不快にしなければ良いわけで、これは単なるマナーの話になる。

図1のような半径が異なる3種類の同心円で、一番小さく内側にあるのは「個人のアタマの中」、つまり何を考えようと自由な領域だ。最も外側にある大きな円が「法律」、これは違反すると罰せられる。そしてその二つの円に挟まれた領域が「マナー」ということになる。日常生活において最も大きな面積になるが、状況・個性・歴史的背景・地域性、そして異なる常識がぶつかりあう面倒な領域なので、日常的にトラブルが発生しているわけである。

マナー
図1 3つのポジションの関係を示す。法律を「国家」、マナーを「社会」と書き換えても図としてはさほど間違いではないところがミソ。(参考文献:熊倉 功夫(1999 )『文化としてのマナー:日本の50年日本の200年』岩波書店.)

例えば、野球帽などを被ったまま屋内で食事をしている御仁をけっこう見かけるが、これは明らかにマナー違反である。しかし、男性は屋内では脱帽すべし、というのがマナーであること自体を知らない人もたくさんいる(客にバシッと注意するバーテンダーは少ないながら存在する)。

筆者の場合、ファッションにもユニフォームにも実は全く関心がないので、それについて思考停止していることを宣言すべく、オン/オフ無関係に、上から下まで真っ黒の格好で通している。全く同じメーカーの同じサイズの安物を大量に仕入れて、ワンシーズンで破棄する(黒色は洗濯に弱く劣化が激しい)。

この格好の最大のメリットは、洋服について何も考える必要がないことだが、大きなデメリットは、チェーン系の居酒屋に行った時に店員と間違われることだ。自分の席からトイレまで向かう時などに、他のテーブルにいる客から呼び止められることが多い。注文を受けてくれる人に見えるらしい。こちらが酔っ払っている場合は一触即発の事態に発展することすらあるので、お客様におかれましてはお気軽にお声がけいただかないようにご注意いただきたい。

ところで、日本高等学校野球連盟の「高校野球用具の使用制限」には、次のようなユニフォームの規定がある。

ユニフォームの表面にはいかなる商標、マークもつけてはならない。ユニフォームには校名、校章、都道府県名または地名の表記に限る。ただし、校名、校章に準じるものは差し支えない。裾を極端に絞った変形ズボンは使用できない。また、上着とズボンの色合いが異なるもの(ツートンカラー)は使用できない。なお、メッシュ等薄手のユニフォーム着用時に、アンダーシャツの商標が透けて見えないよう注意、指導する。

ツートンカラーが禁止されているのはなぜだろう(いろいろと理由を探してみたのだが見当たらない)。そもそもこの“使用制限”なるものに軍服規定のような香りが漂うのが少々気になる。もう少し高校生を信用してもいいのではないか(高校野球といえば、むしろ「背番号」にその記号性が顕著なのだが、それについては別途言及の予定)。

 

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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