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100歳でも仕事をしているかもしれない自分を想像できるか

呼吸に要する時間は体重の1/4乗に比例する。ここから、哺乳類の心臓は一生の間に15億回程度打つという計算ができるという。鼓動の回数が同じなら体重が小さければ早く死ぬ、ということにもなる。寿命の長短に生物の(種としての)違いが現れるのだとすれば、寿命が50年のヒトと100年のヒトはもはや同じ生物ではないのだから働き方も違うものになるはずだ、という仮説はさほど乱暴ではない。

厚生労働省は毎年「簡易生命表」(リンク先は平成27年版)を通じて「ある年1年間の死亡状況が今後変化しないと仮定したときに、各年齢の人が1年以内に死亡する確率と、平均してあと何年生きられるかという期待値」を発表している。まるで生命が簡易なものであるかのような錯覚を与えてしまうひどい名前の資料だが、これによれば昭和22年の平均年齢はおよそ 50歳である。

第二次世界大戦の影響や、(織田)信長が「人生は五十年に過ぎない」と言っていたという“誤解”があるにせよ、(筆者の父の話によれば)この頃の寿命感覚としても「まあ50歳くらいまで生きれれば十分というムードがあったのは確か」だそうである(表1、表2。クリックすると拡大します)。

厚生労働省の簡易生命表より

 

一方、同じく厚生労働省は「今、高校生の人はおそらく100歳まで生きるのが当たり前になるだろう」という予測」 も行っている。いわく「今16歳なら70年くらいは人生が続く。ただし、医療や薬の発達で、日本人の寿命は伸び続けている。 今から30年以上前の1980年の平均寿命は男性は73歳、女性は79歳で今よりも男性で 6歳、女性で7歳も人生が短かった。つまり今の高校生が年寄りになるころには100歳 まで生きるのが当たり前になっているかもしれない。100歳以上の高齢者は1980年には1000人以下(968人) だったが、2012年ではその50倍の5万人を超えている」。

さて、本川達雄先生(東京工業大学名誉教授、図1)の名著『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書 1992年)によれば、「呼吸に要する時間は体重の1/4乗に比例する」つまり寿命は(おおよそ、だが)体重の1/4乗に比例する、ということになる。ここから哺乳類の心臓は一生の間に15億回打つという計算ができるという。鼓動の回数が同じなら体重が小さければ早く死ぬ、ということになる。

寿命の長短に生物の(種としての)違いが現れるのだとすれば、寿命が50年のヒトと100年のヒトはもはや同じ生物ではない、と断言してもさほど乱暴ではなかろう。寿命が30年程度に過ぎなかった縄文人が私たちの祖先だ、と言われても何ら親近感を感じないのと同じだ。

図1 これからの若者の働き方について本川先生にインタビューした時のもの(撮影も筆者による)。効率を追求することが結果的にはロクなことにならないことを説く。

違う生物が同じような働き方をすることはないだろう。例えば「雇用という概念が喪失し、人間であれば全員が社長をやっている」という予想もまんざらウソではなさそうだし、大学全入時代(その気になればどこかの大学には必ず潜り込める時代)が予想できなかったように、大学生になった途端に会社を作る時代になるやもしれず、そうなれば大企業の社員も実は自分が経営している会社との業務委託になっている、というように、今でも通用しそうな話が次世代の“常識“”になっていてもおかしくない。

常識はデジタルの力を借りることで意外なほどの速さで変化するだろう。全就労者に占める労働組合員の割合は現時点でも20%を切っているので、労働争議(ストライキ)など体験したこともないどころか、その言葉さえ知らなくても何ら不思議ではない。高度成長期は戦争による壊滅状態からの復活としてスタートした歴史上の特異点に過ぎなかったわけだし、サラリーマンの起業というのは清水の舞台から飛び降りるくらいの決断が必要だった、というようなことは笑い話にもならない。などという具合に、今私たちが常識だと思っていることすべてが否定されると考えても不思議ではない。

42歳から54歳が(サラリーマンにとっての)起業のチャンス、ということでスタートした本サイトの主張も陳腐化するかもしれない。60歳で定年を迎えたのを機に起業したとしても、自分がオーナーの会社を30年以上にわたって経営することができるからだ。長い年月で培った豊富な人脈をマネタイズのために最大化するコーディネーション自体が主たる業務になるはずなので、40代のサラリーマンの力まかせで汗臭い起業よりはぐっとスマートだろう。「ソーシャルキャピタルの組み換えだけで付加価値を創出するが自分自身は触媒に徹する」ような仕事が想起しやすい。

定年世代で起業するときの強みと注意点は、おそらく同じポイントにある。それは“ある程度(数千万)のキャッシュを持っている”ということだ。目の前にちらついてしまうであろう設備投資について、どう冷静に判断できるかが重要になる。例えば「小さな喫茶店を経営してみたかった」みたいなやつだ。この時に避けるべきは、その数千万を使い果たした後も、毎月支払わねばならない固定費がそれなりの金額で出て行くビジネスに手を出してしまうことだろう。

仮に2千万円の軍資金があったとして、それを丸ごと「事務所兼店舗」を購入するために使うのであれば、仮に売り上げが全く立たなくてもリスクはないが、500万円の敷金でオフィス街のビルの中にある喫茶店を借り、その後も月々数十万円の賃料が発生するような形式の場合は、毎月一定の売り上げが同時に必要になってくる。このような固定費が延々と必要になる業務形態は避けたほうが良い、という具合に“定年退職後の60代の起業”の支援ニーズが急増しそうなイヤな予感がする。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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