弱い紐帯(ちゅうたい)という概念はスタンフォードのマーク・グラノヴェッター (Mark Granovetter)が、“The Strength of Weak Ties”という論文で発表した、社会学における有効な情報流通に関する考え方だ(1973年)。強い紐帯は強い絆(きずな)のことで、家族や親友がそれに該当する。一方弱い紐帯は、普段は会うことのない昔の知り合いや、さほど親しいわけではない大学の同級生といった「頻繁に情報交換していないことから情報の重なり度合いが少ない人」を指す。情報システムにおける疎結合に近い概念かもしれない。
これ自体はかなり古い論考だし(当時はネット空間も存在していなかった)、グラノヴェッター自身はコミュニティ論のひとつの考え方としてこの論文を展開しているはずで、経営学や経営論とは無関係なのだが、会社を経営している立場である筆者は「これは営業のハナシに決まっておる」と意図的に曲解することになる。なにしろ起業後すぐに「へえ。そんなことあるんだなあ」と感心したのはこの「弱い紐帯の強い営業力」だったのだ。
強い紐帯は変化を好まない。起業するだの転職するだの20歳も年上のジジイと結婚したいだのといった人生の節目には、「悪いことは言わないから止めとけ」と、それを全力で阻止しようとする(現実には安っぽいテレビドラマでしか見ない光景のような気もするが)。
それに比べると弱い紐帯は良くも悪くもクールな判断しかしない。当事者に対する思いやりなどカケラもない。だから例えば「こういうことができる人知りませんか?」というような相談を受けた弱い紐帯は、こっちの事情など考えず「ああ、そういう仕事が得意なヤツ知ってますよ。紹介しましょうか?」と相談してきた人に当方のことを知らせるだけだ。「考慮」とか「配慮」とか「親心」といった心情とは無縁。こっちは、自分のあずかり知らぬところで「どうやら当方のことを遡上に乗せたミーティングをしていたらしい」という様子が後日伝わってくることになる。これが実際の商売に結実したケースは二度や三度ではない。
弱い紐帯は、自分自身の力不足を補って余りある「妙にクールな営業部門」として機能する。自分で直接、クライアント候補に突撃して撃沈するよりも、弱い紐帯に「自分の得意なこと、提供できる成果、(他の企業との)差別化要因」を知っておいてもらうことのほうが遥かに重要だ。
というわけで、あなたが起業したときに作成するであろう会社のホームページは、不特定多数(多くの場合、実際にアクセスするのは不特定少数だが※1)に開示されているものではあるのだが、もっとも大切なオーディエンスは「弱い紐帯」に他ならない。彼らにメッセージングするつもりでページを作るのが正しい。但し、弱い紐帯に対する執拗な営業活動はかなり貧乏くさい香りが漂う。「仕事がなくて困ってる感」満載になる。適度な距離感にしておこう。弱い紐帯はそれがあなたのコントロールの対象ではないからこそ価値があるのだ。
余談1:起業時のホームページ
筆者の会社のホームページは誰かに見て欲しいと思って作っていない、が、さすがにあんまりな内容なので、まもなくリニューアルする予定。企業からの問い合わせはそこそこあるが、その大半はサーバー(クラウドサービス)の売り込みである(いりません)。学生からの問い合わせは、何かを勘違いした気配が濃厚な法政大学の学生から「新卒採用してますか」という問い合わせが10年間に1回あっただけである(してません)。
余談2:強い紐帯としての株主総会
何人かで出資しあって会社を作る場合、これはかなり強力な紐帯を構成することになる。しかし個々の思惑(微妙にずれているのが当たり前)とお金が錯綜する暑苦しい集団になるので、たいていの場合うまく行かないと思ったほうがいい。また、あなたが起業するときに「少し出資しようか?」と申し出てくれる心優しい友人がいるかもしれないが、その友人との関係を大切にしたいなら、出資は断ったほうがいい。
余談3(※ 1):不特定多数
人の集まり方には、A:特定多数(あるミュージシャンのコンサートに集結した人たちなど)、B:不特定多数(渋谷駅前の雑踏を行き交う人々など)、C:特定少数(家族などの小さなグループ)、D:不特定少数(一度に利用できる人数はかなり少ないが、誰が使うのかはわからない公園のトイレなど)の4種類がある。著作権上の「公衆」という概念においては、D グループも公衆であることをお忘れなく。
- 書名
- 会社をつくれば自由になれる
- 出版社
- インプレス/ミシマ社
- 著者名
- 竹田茂
- 単行本
- 232ページ
- 価格
- 1,600円(+税)
- ISBN
- 4295003026
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