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無形資産の耐久性

零細企業にとっての資本とは「ヒト、モノ、カネ」ではなく、あなた自身がすでに保有しているはずの無形資産になるはずだ。すなわち、関係資本(人間関係)、経験(知)、そして健康である。これに徹頭徹尾食らいついて起業するのが正しい。あなたが社長になってから身につけた貧弱なスキルに金を払うクライアントはいない。残念ながらあなたは、経験や人間関係と心中するしかないのである。

新聞(紙)はニュース報道が目立ちやすい構成で編成されている。これは部数を増やすための施策であり、読者のニーズに応えた結果なのだろう。ただし、積極的に情報を取得し何かに活用するためにニュースを読む人が実在することは否定しないが、現実には、その報道内容の大半が自分には“無関係”であることを確認し安心するための材料としての消極的な活用方法に価値を見出しているに過ぎない人も多いはずだ。

そもそも、一人の人間には多くの報道に右往左往するほどの時間は与えられていない。筆者は今でも新聞を複数紙購読している古い人間だが、ニュースを精読することはほとんどない(ニュースはGoogleアラートで十分である)。新聞記者ではない第三者が執筆した論説や解説を紙面上で読みたいがために新聞を購読している。

ニュースと論説の決定的な違いは、経時劣化(時間の経過に伴い価値が低下する)にある。基本的に5W1Hで構成されるニュースの価値は、内容(コンテンツ)よりは、それが差し出されるタイミングにある(その意味において、報道という行為は外食産業と良く似ている)。価値の劣化が激しいのはニュースという生鮮食料品の宿命でもある。

他のメディアと差別化したニュースを作り続けるのは至難の技でもあり、報道を事業の軸にすることは自転車操業を余儀なくされることを意味する。

一方、論説はその日にどうしても読まなければならないということはないし、良質な論説であれば、繰り返し熟読するたびに新しい発見がある。つまり、経時劣化の少ないものは資産としてカウントしやすい(その代表的なものが、延べ300万人が300年を編纂に費やした「聖書:the Bible」に代表される、いわゆる“古典”である)。

前述の新聞記事が有料データベースに保管され、記事の閲覧に対して課金されるとしたら、繰り返し参照される回数の多い記事は親孝行、ということになり、それは5W1Hで構成されるニュースではなく論説になるはずだ。

高品質なものは繰り返しの利用に耐えられる。すなわち耐久性が高い。耐久性とは、さほどの手間ではないメインテナンスを定期的に施すことで機能が劣化しないもの、と定義しても差し支えないだろう。これは、手にすることができるモノや道具だけの話ではない。“アイデアや制度”のような無形資産にも適用できる考え方だ。

会社を構成するための資本は「ヒト、モノ、カネ」ということになっているが、これらは資本の中核ではなくむしろオマケであろう。零細企業にとって最も大切な資本は、そのほとんどが目に見えない“モノ”、すなわちあなた自身が個人として保有するはずの無形資産であろう。損益計算書に数値として表記できないというだけで過小評価されているだけであって、零細企業の場合、下記の1)~3)のような無形資産を原資として、売上の90%以上を叩き出しているはずだ。すなわち、

1)関係資本(人間関係)
2)経験(知)(様々な業務上のノウハウや知的財産、及び身体知がこれに該当)
3)健康(健康はカラダの瞬間的な状態を指し示すのではなく、資本として蓄えられ、活用され、かつ安価に補充されるものである)

の3種類である。

企業規模が大きくなると、前述の“オマケ資本”が果たす役割が俄然大きくなってくる。特に、買収や合併などは、モノやカネよりは人(従業員)をごっそり手に入れられることがオイシイと感じて実行されることが多いが、いずれにしても我々零細企業の事業者には無関係な話である。

この1)と2)の資本は経時劣化しないどころか、むしろ時間を積み重ねることで資産価値が上がる。例えば1)の関係資本は、繰り返し一緒に過ごした時間の長さと比例して強くなるはずなので、時間の積み重ねが資本を強化することになる。ただし、「facebookで友達が1000人います」みたいなものを実効性の高い関係資本とみなすのは少々無理があるだろう。

2)は成熟、すなわち、ある仕事量や品質を達成するための時間とコストが極めて小さくなる現象と言い換えることができる。これも繰り返し利用することで精度がどんどん上がってくるはずで、ROI(投資対効果)に直接跳ね返る。

3)で留意したいのは特に精神面(メンタル)だろう。中高年は男性も含め更年期障害的な症状が出やすく、また経営という仕事は情緒的な起伏が大きくなりがちなので、それに耐えられる精神の状態も健康状態に含まれる。ただし、1)や2 )とは異なり、3)は明確に時間とともに劣化していくので、これについては定常状態が温存できれば御の字で、そのためには色々な努力が必要になるのが厄介だ。また、いわゆる「教養」というのも一種の精神的な健康ではないかと思われる。

定年起業で注意すべきは、これらの資本を大切に運用しようとすることにあり、いたずらに拡大しようとか、方向転換してみよう、という冒険は避けたほうがいい。例えば、実務でマーケティングなど全くやったことがない人が、「起業して社長になったのだからマーケティングを勉強しよう!」などというのも、心意気は悪くないが、投資対効果は極めて低いことを覚悟する必要がある。未経験のものを学習によって成長・育成させることができるのは若者の特権であって、定年後の親父がやるべきことではない。

ところで、少し前に「手を焼くシニア社員5分類」なるものが話題になった。愛知県経営者協会で実施したセミナーで話題提供されたもので、日経がこれを紹介したことで誤解を招きつつ拡散された。下記の5分類である。

1)勘違い:元管理職の威厳を武器に、過去の仕事のやり方に固執。
2)評論家:文句は多いが当事者意識に欠き、組織の役に立つ実務ができない。
3)会社依存:仕事は会社が準備するものと認識。スキルの幅が狭い。
4)現状固執:自分のやり方に強いこだわり。新しい業務知識を学ばない。
5)割り切り:賃金に見合う仕事はこの程度と割り切り、職場に悪影響。

出典:「手を焼くシニア社員5分類」 愛知県経営者協会(日本経済新聞)

まず、この5分類、必ずしも“シニア社員”にだけ散見される現象ではなく、1)以外は若い管理職ではない社員にもそこそこ(というか、かなり?)ある傾向であることには同意いただけるだろう。

これを駆逐するためにセミナーやります、なんてのは全くもって時間の無駄なので、やめたほうがいい。一度や二度のセミナーでこれらの悪癖が解消されるくらいなら、こういう人は実在しないはずである。仮に当事者がそのセミナーの内容を論理的に(頭で)理解できたところで、体質や性格が変わるわけはない。特に3)についてはこの傾向が強いフリーランスが非常に多いのが実感である。

これらを解消するソリューションとしては、起業以外にはない。定年起業の場合は「繰り返していることが品質の向上になる」というテーゼからすれば、1)と4)をむしろ武器にして(というかこれを武器にせざるを得ない)会社を作ってしまえば、2)、3)、5)のような悪癖は自然淘汰されるはずである。これを淘汰しないと自分の会社が淘汰されてしまうからだ。シャレにならない。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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