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どこかに正解があると考えるのは20世紀の病気である(橋本治)

世の中に存在する問題のほとんどは“ジレンマ”として出現する。ジレンマは適当なところで妥協することでしか解決しない。しかも、それが本当の正解なのかどうかもわからないし、正解などというものが存在するのかどうかも怪しい。

ジェームズ・ダイソン(James Dyson)は「紙パックなど不要」という信念に基づいてサイクロン型掃除機を開発・販売したわけだが、大半の消費者は掃除機に紙パックが付属しているのは当然であり、ここには何の解決すべき社会的課題(Issue)など存在しないという認識だったはずだ(存在しないと信じていたので認識できずにいた、が、正しい表現かもしれない)。

そこに課題がある、という共通認識が存在しないのが課題提案型(=問題提起型)事業の特徴だ。逆に問題解決型事業は、それがすでに社会的コンセンサスを得た課題に対するソリューションだ(ただし、コンセンサスの取りやすさとその課題解決の難易度は無関係である)。

課題提案型の典型が新規事業開発であり、その大半は失敗することになっている。社会からは単なる“余計なお世話”としか認識されず、歴史的には死屍累々なのだが、そのなかで“偶然”生き残ったものが事後的に“イノベーション”として礼賛される。

市場は後知恵バイアスの塊なので、「いやー、僕も常々、ゴミが見える化できる掃除機を作れば売れると思っていたよ」というように、訳知り顔で論評する輩が必ず出現する。こういうタイプが最もイノベーションから遠いところにいる善良な市民、愛されるべきビジネスパーソンなのだろう。この手の人物に溢れた日本の家電メーカーからダイソン掃除機のパクリが続々と出現するのは時間の問題である(サイクロン型掃除機の関連特許については数多くのネタがあるが、本論とは無関係なので割愛)。

妙な制度やモノが出現して自分の生活や仕事が変わっていく状態が嬉しい人はさほど多くないはずだから、イノベーションには社会からは歓迎されていないという謙虚さが必要だ。事業者としても、イノベータがたまたま発掘したマーケットの後を粛々とフォローしていくほうがビジネスとしては安全だろう(ただし、フォロワーの大半はさほど儲からないはずである)。

日本には、期待もされていない偶然としてのイノベーションなど追求している余裕は残されていない。前述の「問題解決型」をさっさと片付けないとマズいでしょ、という状態に追い込まれている。自動運転車の開発に血道を上げてるヒマがあるのなら、崩れ落ちそうな橋梁をなんとかして欲しい、というのが庶民の本音であろう。

さらに問題なのは、その問題解決型として設定されるべきイシュー自体が間違っているケース (e.g. 「閑古鳥鳴く官民ファンド」が好例) があまりにも多いことだ。マスコミの議題設定機能が激しく劣化していることに起因しているが、その遠因を作っているのは私たち国民一人ひとりが醸し出している“空気”のようなものなのかもしれない。改めて『空気の研究』を読み直したほうが良いのは間違いない(注1)。

では、そもそも“問題”とは何か。ここで言う問題とは「社会的コンセンサスを獲得していると思われる解決すべき課題」だが、それらの問題は問題自体の性質によっておおよそ3種類に分けることができる。パズル、パラドックス、そしてジレンマだ(注2)。

パズル(puzzle)は正解が一意に決定する。正解がひとつしかないものがパズルだと考えてよい。学校で提示される問題はパズル、またはパズルの変形であることが多いが、実生活や仕事のシーンにおける課題は、変数の数自体が爆発する(変動する要素が多すぎる=いわゆる複雑系、具体的にはカオス:chaos)のでパズルの形式で解けるものは皆無と言って良い。(学校における)偏差値の高さとビジネススキルに有意な相関関係がないのはこれが理由だ。

というわけで、次にパラドックス(paradox)が登場する。パラドックスは正解が常識的な見解と矛盾するように感じられるもの、あるいは矛盾しているようでしていない事象だと考えて良い。典型的なのが「急がば回れ」だろうか(数学的にはもう少し面倒な定義が存在するがとりあえず無視)。これはこれで議論を深めると面白いのだが、先を急ぐことにする。そちらのほうが重要だからだ。

それが第三の問題「ジレンマ(dilemma)」である。「逆説」という日本語で展開しようとしている議論は多くの場合(パラドックスではなく)ジレンマの話をしていることが多い。いわゆる「あちらを立てればこちらが立たず」が全てこれに該当する。

例えば、監視カメラが街のいたるところに敷設されれば安全は担保されるが、プライバシーは限りなくゼロに近づく。起業すれば自分の好きなように仕事ができるがサラリーマン時代のお気楽さには別れを告げなければならない。消費税は誰が考えても増税しなければならないが、それを自分が言い出すと選挙に当選できない。

このように、森羅万象の大半はジレンマで構成されている。ジレンマはあちこちに転がっている現象ではなく、ジレンマで構成されているのが世間なのだ。

ジレンマは適当なところで妥協することでしか解決しない。従って、折り合いのつけかた自体にある種の“技術”を持ち込む必要がある。日本の場合、ここに“空気”いわゆる雰囲気(ムード)が投入されることが多い。

例えば、10年程度のスパンでみた場合、EV(電気自動車)は明らかにレシプロエンジンよりも環境にはダメージを与えるはずだが、「みんながそうしている」ことからEVの開発が正当化される。自動車メーカーはジレンマを感じならがも、世間の空気を読んで開発しているはずだ。その空気の中でマツダが技術開発の長期ビジョン「サステイナブル“Zoom-Zoom”宣言2030」を公表したのは、個人的には大英断だと思う(EVに出遅れただけ、という側面もありそうな予感がするが)。

ジレンマを解決するときに必要なコンセンサスの一つは時間軸である。ある価値を提供しようとするときに、それが何年計画かということ自体にコンセンサスが取られていないのであれば、その上に乗るIssueの是非について議論する前提が整っているとは言い難い。そしてもう一つが、「これは不良設定問題だ」という認識の共有だろう。これは正解がないかもしれない、という予想の上で活動せよということだ。

このあたりのことを見通していたのが橋本治で、2001年に発行された書籍『「わからない」という方法』(集英社新書)で「なんでもかんでも一挙に解決してくれる便利な“正解”などというものは、そもそも幻想の中にしか存在しない。二十世紀が終わると同時に、幻滅もやってきたと思う人は多いが、これもまた二十世紀病の一種である。やってきたのは幻滅ではなく、ただの現実なのだ(p24)」と喝破している。

この著書の発行からすでに10年以上経過した今、彼が、現在日本で起きている様々な諸問題のことについて何を語るだろうか、という興味から作ったのが『橋本治の映像講義「最後になって突然、天皇の話が出て来たぞ!」』 である。

彼独特の教育論と仕事論を堪能していただけるだけでなく、最後は(実はこれが一番長時間になったのだが)かつて日本に存在した女帝の時代を振り返れば現在議論すべき天皇論が見えてくる、という話しにまで及ぶ。時間にして1時間半、仲俣暁生(マガジン航・発行人兼編集長)の編集・編成による労作だ。Youtube上にPR動画 があるので、これをご覧いただいた上で、ご購入(http://media.style.co.jp/hashimoto_osamu_01/)いただければ幸いである。

注1)『空気の研究』山本七平(1983)文春文庫
注2)『論理パラドクス―論証力を磨く99問』三浦俊彦(2002)二見書房