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今にも破れそうなパイプラインを大切に扱う経営

経営に必要なのは、「まあなんとかなるだろう」という根拠のない楽観主義だ。実際、多くの場合なんとかなるのである(周りにいるサポーターに助けられることが多いのだが)。ところが健康だけは違う。こちらは悲観的な見通し、自覚している以上に事態は悪化しているという先回りの発想が必要だ。「まだまだ若い奴には負けないぞ」という心意気が一番ダメである。あなたはすでに、走行距離が20万kmを超えたポンコツである。そしてポンコツならではの働き方ができるのは、あなたが社長の場合だけなのだ。

販売パイプライン管理(Sales Pipeline Management)という言葉がある。これは、営業案件の一つひとつを透明の管(tube)に見立て、それぞれの案件がプロセスのどのあたりにいて、どんなステイタスなのかを管理するという考え方だ。零細企業の場合は、社長が複数のパイプライン(個別案件)を一人で管理するのが普通である。

このプロセスの束をある時刻(時間)でスライスすれば「貸借対照表(BL)」になるし、1年間で積算すれば「損益計算書(PL)」になるのだが、今回、それはまあどうでもいい。

パイプラインの中身を流れているのは、下記のような事象(events)である。

1)顧客候補からの問い合わせ、あるいはマーケティングの結果の見込み客リスト(Sales Leads)の獲得
2)顧客に対する具体的な企画作成と提案(Proposal)
3)検討と交渉の時間(Negotiation / Review)
4)見積書の発行(Quote)
5)受注または失注(Closing )
6)(受注した場合は)サポートセールス(Support )または運用

パイプラインの解説書なるものがあるとしたら、1から6まで綺麗に時系列で流れているような説明がなされているだろう。しかし、現実は少々異なるということと、実はこれが起業のきっかけになるという話をするのがこのコラムの前段の目的である。

筆者が以前在籍していた職場では、他社からの講演・執筆依頼について積極的に受注し、それを個人の売り上げとして良い、という文化があった。会社のPRになるのだからどんどんやれ、ということだったようだ(現在このあたりのルールがどうなっているかは不明)。

筆者が初めて外部からの講演依頼を請けたのは30代の頃、依頼主は大田区役所(東京都)である。中小企業の親父を集めるのでインターネットビジネスなるものが何なのかを解説してほしい、という依頼であった。講演自体は全く盛り上がることもなく(何しろ筆者は、無謀にも米国インターネット事情の最前線を話題の中心に据えてしまった)聴衆の大半は頭に中に「?」をたくさん抱えたまま帰路についたはずだが、それもまあどうでも良い。

100%会社からの給与だけで生活をやりくりしていた著者にとって、講演による副収入という道筋(Pipeline)があるのだな、ということがわかったのが大きかったのである。上記の時系列でいうと、いきなり5からスタートした仕事ではあるが、そこから1から4までの過程(プロセス)と6の可能性のようなものがおぼろげながら見えたような気がしたのだ。

今にして思えばだが、42歳で起業することになる遠因は、その10年くらい前に実施したこの大田区役所での講演だったのではないか、と推察できるわけである。会社ブランドに対するオファーだったことを自覚しつつも、若干の自惚れを混在させ、ひょっとしたら自分のチカラだけでメシを食っていけるのではないか、という勘違いがここで芽生えた。

無論、芸能人でもない30代のガキの講演料など大した額ではないが、実際にはその後、“ほぼ定期的に”あちこちで講演することになったので、細々ではあるが、点(Dot)が線(Pipeline)になったのである。

当時の私の講演内容など、今、思い返せば顔から火が出るくらい恥ずかしい内容に過ぎないし、今ならこの程度の内容を語れる人材は掃いて捨てるほどいるだろう。しかし、何はともあれ、これは筆者にとっては立派な“副業”の始まりだった。そしてこれは、最終的には起業につながっていくことになる(ということに今頃気がついたわけである)。

ランサーズの調査(フリーランス実態調査 2018年版)によれば、副業(本業・副業を区別していない労働者を含む)フリーランスの人口は744万人、経済規模は8兆円近い規模になり、報酬は堅調に増加し、業務委託ベースのパラレルワーカー数が伸長している傾向にあるという。これが本当ならば、2018年を“副業元年”と位置づけるのはさほど間違いではないのかもしれない。

本業に隣接する、ただし本業ではできない仕事を副業にしておいたほうが、妙なエネルギーロスがなくラクなはずで、それは近い将来の起業という行為、あるいはその時にあなたが行うことになるであろう事業と接続されることになるはずである。副業は、それ自体が目的になるわけではなく、かといって転職のためのトレーニングですらない。これは独立のための実験であり、一里塚なのだと考えるのが正しい。「とりあえず小さな実験をやってみよう」ということであれば、起業イコール清水の舞台から飛び降りること、と考えてしまう臆病者でも手を出せるはずだ。

筆者の周りには、拙著『会社をつくれば自由になれる』を読んでいただき、よし起業してみようと励まされたという方も何人かいるようだが、普通の人は起業本を読んだくらいで起業したりはしない。やっぱり面倒臭いという気持ちと恐怖感が払拭できない複雑な心境で読了したであろう(本当に起業する人は起業後に起業本を読んだりする)。

そういう人には、副業がうってつけだ。金額の多寡よりは、パイプラインのようなものが見えるか/見えてこないか、が重要なのだ。後者の場合は、また別の副業に手を出してみればいいだけの話である。何のリスクも存在しない。あまり肩肘張らず、ちょっかいを出してみるくらいのつもりで副業に臨むのが良いだろう。

さて、このコラムの後半は、定年近くになって起業したあなたの複数のパイプラインはどれもこれも細く、劣化していて、いつ破れてしまってもおかしくはないものであることに対して自覚的になっていただきたい、ということを書く。なんのことはない、加齢による血管の劣化と同じである。ぜひとも大切に扱っていただきたいわけだが、パイプラインを大切に扱うとはどういうことか。

とある調査によると、(クルマの)ドライバーの90%は「自分は他の平均的なドライバーより運転が上手い」と思っているというおめでたい結果が出ている。このように、自分だけは大丈夫で、自分だけは特別と思い込む傾向のことを楽観主義バイアス(optimism bias)という。自分だけは大地震に遭遇することはないし、自分が乗った飛行機は絶対落ちないし、自分が買った宝くじはなぜか当たる確率が高く、自分は他人よりは才能に恵まれている、という具合に、統計や確率を無視して荒唐無稽な絵空事を自分に都合のいいように描くことができる大変便利な能力である。

しかし、従って楽観主義バイアスは排除すべきである、という結論にはならない。程度の差こそあれ、多くの人にはこの傾向があり、生きていく上での糧(エネルギー源)になっているとさえ言える。特に起業しようとするような人には、必要不可欠なバイアスだ。

これは「ポジティブ心理学」につながるのだが、「まあ、なんとかなるだろう」という未来に対する楽観的かつ根拠のない希望を創出するのは経営者には必須の能力とすら言える(楽観主義バイアスが少ない人は、何かあるたびに“死にたい”と漏らすことが多い)。

同様に、そのような調査が実在するかどうかは不明だが、おそらく大多数の人は「自分は同年齢の他の人よりも若く、健康的だ」と思っているはずだ。これも一種の楽観主義なのだが、残念でした(少なくともこれに限っては)あなたは年齢通りの肉体である。「いつまでも元気で働けるようにイキイキとしなくては」などと考えた時点でジジイであることが証明されたようなものだろう(本当に肉体的に若ければこういう発想はしない)。

しかし、周りからも年寄り(ベテランという便利な言葉もある)扱いされた方が、やせ細ったパイプラインが破裂せずに済むのでこちらとしてはむしろ歓迎すべきなのだ。

パイプラインを大切に扱う具体的な方法としては下記のようなものがある。

・無理やり若い人と会おうとしない(筆者の仕事の場合、優秀だなあ原稿欲しいなあと思っても、そのひとが若い場合は執拗に追っかけないことにしている)
・週末に限らず、会いたくない時間帯にはアポイントを入れない
・メールに速攻で返信などしない(これは非同期だからこそ意味がある)
・長時間のデスクワークはしない(そもそもできない)
・妙な目標(1日1万歩の散歩、1日5件のアポイントなど)に自分を縛りつけない
・好きな仕事だけに集中し、嫌な仕事や面白くない仕事は他社へ丸投げする
・クライアントにせよ仕入先にせよ、共感できない相手とは付き合わない
・出席の返事をした会合やセミナーなどには絶対出席しなくてはならないなどと考えない
・年齢にふさわしいロールモデルなるものは、多くの場合メディアがでっち上げた妄想なので無視する。自分は自分、他人は他人である。
・眠くなったら寝て、飲みたいときに飲み、食べたいときに食べる
・定期的になるべく意味不明な無駄遣い(散財)をする

一言で言えば「あまり無理せずぐうたらに」ということに尽きるのだが、雇用・再雇用という働き方を前提にこれを実現するのはほぼ無理だろう。というわけで、ヨレヨレになったパイプラインと穏やかに過ごすための最も健康的な働き方とは起業に他ならない、ということになるのである。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026