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使命を全うした「51C」の次に来るもの

建築物は、そこで展開したいと考えているコミュニケーションからバックキャスティングして設計しなければならない。一戸建てやマンション・アパートの場合は家族のあり方が問われ、オフィスの場合は社員が働きやすい環境かどうかが問題になり、工場であれば生産性と安全性が重視される。そして現代は、(1)家族という概念の液状化、(2)予期せぬ情報環境の出現と爆発、(3)女性の働き方、の3軸を中心に大きく変貌を遂げたことを念頭に置きつつ、建物を中心した街の再設計が必要とされている。

「51C」という、もはや忘れ去られようとしている言葉がある。これは、戦後の深刻な住宅不足を受けて、1951年に策定された公営住宅標準設計案の中から実際に採択されたものの略称だ。正式名称を「公営住宅標準設計C型」という。国家事業として進められる事になるこの公営住宅建設計画の眼目は、鉄筋による高層化、標準化による効率化、低コストで衛生的であること、であった。

これを受けて当時の日本建築家協会が多くの建築家に様々なプランを求め、採択されたのが東京大学・吉武研究室の案だった(この研究室に所属し計画の策定に参加したメンバーの一人が故・鈴木成文氏で、いろいろ調べてみると、その後に彼が51Cを代表するスポークスマンになっていくようだ)。A案(16坪)、B案(14坪)、C案(12坪:およそ35㎡)のうち最も小さいC案が51年に採用されたので「51C」となったわけである。

この狭い空間の中で「食寝分離」及び「就寝分離」(吉武案に先立ってこれを提唱したのは京都大学の故・西山夘三氏)を実現するためにひねり出された苦肉の策こそが、ダイニングキッチン(DK)に他ならない。

ここから、現在の日本で定着しているnLD型、すなわちダイニングキッチン(DK)と個別の部屋(nL)のビルディングブロック方式により様々なバリエーションを展開する設計形式がスタートし、さらに行き着く先が現在の超高層マンション群になる。つまり、私たちの住まいはその多くが、良くも悪くもこの51Cの魂を包含し続けてきたことになる。6LDKの豪邸(?)でさえ、どこかに貧乏くささが漂うのはこれが遠因だろう。

建築に限らず、効率を重視したものから私たちが“贅沢”を感じとるのは難しい。そもそも、この公営住宅構想が持ち上がった時に、時の政府が最も良い見本として参考にしたのが、当時のヨーロッパの労働者階級向け住宅だったという説もある。効率よく詰め込めればそれでよかろう、という発想がどこかにあったことは否めない。

言うまでもなく、建物が提供する空間は、そこで行われるコミュニケーション内容を規定する。建築学自体は構造設計も含め完全に工学だが、その計算の結果として出来上がった空間で展開されるのは社会学だ。建築は最初から学際なのだ。

一戸建てやマンション・アパートの場合は家族のあり方が問われ、オフィスの場合は社員が働きやすい環境かどうかが問題になり、工場であれば生産性と安全性が重視される。建築物はコミュニケーションの土台、というわけだが、そのコミュニケーションを形成する主役は家族や仲間である。

そして時代は、(1)家族という概念の液状化、(2)予期せぬ情報環境の出現と爆発、(3)女性の働き方、の3軸を中心に51C時代からは大きく変貌を遂げた 。51Cは使命を全うし、もはやその役割を終えているはずで、私たちにはそれに代わる新しい器(?)とその使い方が求められている。

今から30年以上の長期間にわたってローンを組んで、51Cの亡霊を購入するなど正気の沙汰ではない、ということが、早晩、露呈するだろう。

家族の液状化(1)とは、簡単にいえば家族パターンの多様化だ。離婚率の上昇、晩婚化、出生率の低下、社会全体の高齢化、長寿化、LGBTの社会的容認、単身世帯の急増(婚姻率の低下)、などが直接的な原因だが、大企業中心に続く“大家族主義”の緩慢な崩壊、家族という概念の拡大解釈=英語のファミリー(family)への接近、なども視野に入ってくる。

また血縁関係よりは時空間の共有関係の優先、パッケージ(まとまり)よりは複数の川の流れに自らの身を委ねるようなスタイル、などが当たり前になるのかもしれない。

(2)は、実空間とネット上のコミュニケーション空間がシームレスになったことを指すが、ここで注目すべきはネット空間が持つ、別の実空間への誘引力だ。アポイントが取りやすくなった、ちゃんとした約束をしなくても会いやすい、簡単に宿泊先を予約できる、など、自分を別空間へ移動させるための敷居が極めて低くなったことを実感している人も多いはずだ。

「家族4人が居間にいるのに、みんな無言で(スマホを通じて)他人と会話している」ことを憂うという論調もあるが、そもそも何年も一緒に暮らしている家族が食事のたびに和気藹々(あいあい)と会話を弾ませていたとしたら、むしろそちらのほうがかなり病的である。単なるホームドラマの見過ぎであろう。そんなことよりは、移動のための準備コストが極めて圧縮されたことによるメリットのほうが圧倒的に大きい。

男女雇用機会均等法は、もっぱら“職場における平等性”を問題にしているが、もしそれをいうのなら、当然、家事という本来の労働においても性別とは無関係に“均等”でなければバランスが取れない。したがって、これからの典型的な働き方とは、自宅が事務所(仕事場)を兼ねており、そこに棲む夫婦が遊んでいるのか働いているのかも判然とせず、家事をやってるようなやってないような曖昧で冗長な状態が普通になるはずである。“これから”と書いたが、お気付きのようにこのような働き方は、都会のサラリーマンから異様に映るだけであって、実際にはあちこちで観察できる古典的な働き方だ。

ともあれ、我々が普段当たり前だと考えている常識は、多くの場合、歴史的には非常識であることが多い。当然のことながら、自分自身の短い寿命における過ごし方を、その時代にたまたま発生したトレンドに合わせる必要も必然性もない。「その年齢にふさわしいロールモデル」など屁みたいなものである。自分(だけ)の価値観に素直になることが、最終的には幸せであることは論を俟たない。

 

注1)生活の発見
生活の発見』(ローマン・クルツナリック=著、横山啓明・加賀山卓朗=訳、フィルムアート社2018)による。リクシルが運営するLIXILブックギャラリーでたまたま出会った書籍だ。人間関係(愛・家族・感情移入)、生活(仕事・時間・金銭)、世界(感覚・旅・自然)、慣習(信念・創造性・世界観)、などに関する世界各地での歴史を調べ、コンパクトにまとめてある。日本人読者の心をぐっと引きつける素晴らしい翻訳のおかげで460頁をあっというまに読み終えることができるので、最近仕事で会う人ほぼ全員に薦めている。
 
 
 
 
 
書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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