弘文堂から「増補普及版」が2007年に発行されている。この増補普及版に追加された冒頭の章「甘え今昔」でこのあたりの経緯が比較的丁寧に解説されているので、ぜひご一読頂きたい。いずれにしても、国に甘えるのにも技術が必要で、日本人は比較的それが得意なのではないかという見解が展開されていることは、頭の片隅に置いておく価値があるように思う。
「ギャラ」はguaranteeを語源としていて、これは報酬ではなく「保証」という意味である。つまり、security、warranty、assuranceなどが類似語になる。ちなみに報酬は英語ではcompensationで、こちらには償い・代償・補償といったニュアンスが含まれる。いずれにしても日本語で「ギャラ」という言葉が出現した時は「どの程度の金額を保証してくれるのか」という他人に対する依存心が見え隠れし始めていることに注意しよう(注1)。
筆者がギャラという言葉が嫌いなのは、その語感からは「自分でなんとかして売り上げをつくろう」という意欲がまったく感じられないことによる。棚ぼたや僥倖がそのうち落ちてくることをぼーっと期待しつつ眺めているだけで生きていくのは、なかなか難しい。チコちゃんに叱られるのは間違いない。棚ぼたは、取りに行こうとするからこそたまに落ちるのである(「競馬は買わなきゃ当たらない」という言葉もある)。
フリーランスであれ正社員であれ、ギャラのことしか念頭にないようなスタッフに囲まれた社長は悲惨である。“そういうスタッフをうまく使うことこそが経営だ”という言い分に耳を傾けるヒマがあるなら、例え無能でも自らのフィー(fee:日本語ではギャラとほぼ同じ意味で使われるが、手数料とか時間給のニュアンスが強い)を増やそうとするための動きをしてくれるスタッフを支援するために時間を使いたい。
「保証」のことだけで頭がいっぱいのスタッフは、コスト要因にしかならない。なるべく早めに戦力外通告するのがお互いのためである。売上に対応しない外注費・人件費は怖い。月単位で細かいチェックをしていかないと、最終的に痛い目に会う。そのとき“ギャランティー”がなくなったフリーランスは、世話になったという一言さえなく、さーっと静かに消えていく。彼らも次の“スポンサー”を探さねばならないので大変なのである。
ただ、ごく稀に会社が経営的に辛い状態でも付き合ってくれる人がいて、そのような人こそが本当のコンパニオン(Companion=仲間)つまり会社の語源(=共にパンを食べる人)に相当するスタッフなのだろう(むろん家庭や生活の事情や状況がそれを許しているだけという場合も多いのだが)。会社経営とは真のコンパニオンを探す旅(travelではなくjourneyね)のことなのではないか、という想いに耽る秋の夜長だったりするわけである。
では、成果物を納品する前にギャラに執拗にこだわるフリーランスがダメ人間か、というと必ずしもそうとも言い切れない。誇るべき実績が多いフリーランスほど、こちらもそれ相応の“ギャラ”を用意して三顧の礼で迎えようとすることがないでもない。ただしこの行為は、ビジネス上の利益率向上にはあまり貢献しない。
高額なギャラはサービスや事業のブランドイメージの向上に役に立つ場合もないわけではないが、商売としての旨味をそこから引き出すのは難しい。回収するための(経営的な)沸点が上昇してしまう(金額的な規模が大きくなる)からだ。42/54的経営は、このような沸点上昇ではなく凝固点降下的経営でなければならない。つまり、売り上げ(温度)が小さくても(低くても)、なかなか倒産(凍結)しない経営である。
発注者が用意すべきは、ギャラのための予算もさることながら「面白さ」なのだ。なんだか面白そうだな、と思わせる企画を用意することが重要で、その面白さに受発注の関係者全員が共感できるとビジネス自体がうまく回ろうとし始める。「さほど面白いとは思わないが生活のためにしかたなくそのギャラを受け取る契約をする」は両者にとって最悪の結果を招く。フィーで合意する前に面白さで合意したい。
発注者には、その面白さを上手に伝える義務がある(これはクライアント向けの企画書作成と実はほぼ同じ行為である)。説得しなければ納得しないようなら、それはすでに(面白さを伝えることに)失敗していることになる。また、しばらく回してみてうまく行きそうだと感じ始めてから本格的に動き出すフリーランスもあまり信用できない。「洞ヶ峠」を決め込むような態度のスタッフは、そのビジネスが悪化し始めたときに一目散に逃げるに決まっているからだ。
経営者視点からの現実的な解決策としては、特にそれがどうしても確保しておきたいスタッフの場合は、業務量や納品物の品質などには目をつむって毎月10万円を“保証”しつつ、そこにどの程度上乗せされるかは一種の成功報酬になる、という契約にすることだ。そしてその“成功報酬”はプロジェクト自体の面白さと強い因果関係があるはずだ。
報酬には定額保証と成功報酬の二種類があるというのが一般的な認識だが、前者は国家の、そして後者は民間企業の役割である。大企業であろうと前者(=定額保証)を負担する義務はない。つまり民間企業には“ギャラ”という概念は存在しないはずなのだ。あなたが毎月“保証”してもらっているようにいただく給与は、実は成功報酬の結果が長期間続いているだけに過ぎない。しかも、その成功の理由を作っているのは多くの場合あなた自身ではなく、同じ会社の他の優秀な社員だったり、ビジネスモデルそのもの、あるいはブランドエクイティだったりする。
定額保証と成功報酬という2種類を収入源と考えるなら、定額保証(=ギャラ)は本来国家の義務である。これは社会保障と言い換えることができる(注2)。憲法はそれを国家に命じている。そしてこの社会保証の制度の一環として非常に魅力的なのが(いわゆる)ベーシックインカム(Basic Income)だ。
フィンランドで2017年1月から限定的な実験としてはじまった同制度は、いわゆる失業保険ではないので、就職が決まったあとも一定額(日本円で約7万円)を支給し続けることになっている。もらった金は何に使おうと自由だし、仕事を探さねばならない義務もない。日本国内ではこれがモラルハザードを引き起こすのではないか、という議論が活発だが、筆者が多くのフリーランスと付き合った経験からも、あるいは筆者自身のモチベーションとしても、モラルハザードになるかどうかは金額次第だろう。
毎月5万円の報酬だと、特に何もしなくても(クライアントに対する)罪悪感がない。しかし、これが10万円になっただけで「あなたのことは24時間見守ってますよ。何かあったらいつでも声かけてください。すぐに対応します」というモードになるはずだ。10万円というのは「月々の作業量が変動してもそれが固定で支給されるなら納得できる金額の底値」なのだ。
「地方はもっと安くてもやっていけるのでは」というような貧乏くさい議論は不要だ。日本国籍があることだけを条件に一律に月額10万円を配布すれば良い。
米国の臨床心理学者ハーズバーグ(Frederick Herzberg)は、モチベーションの変動要因には大きく分けて動機付け要因(社会的意義や公共性への貢献など)と衛生要因(報酬も含めた待遇や福利厚生などに対する期待)があると説明したが、後者の衛生要因はその多寡や品質で変動するはずだ。
従って、もしも日本でベーシックインカムを実施するとしても、10万円未満の金額だと、砂漠に水を撒くがごとく胡散霧消してしまう可能性が高いが、毎月日本銀行から、自分の通帳に「ニホンギンコウ」という名目で10万円が振り込まれているのが確認できるなら(いうまでもなく日本銀行にはそんなことはできないが)、大半の日本人は俄然お国のために働かねば、と意気に感じるのではないだろうか。
当然、原資は税金なので、実際は税金の還付に過ぎないのだが、モチベーションはある程度まで工学的にコントロールできるはずである(ただし、日本はベーシックインカムとしていくら必要な国になってしまったのかを改めて精査する必要はあると思われる)。
注1)
ここで「他力本願」という言葉をなぜ使わないのだろうと訝しがる人も多いはずだが、本来「他力本願」とは「自らの修行で悟りを得るよりは、阿弥陀仏の本願に頼って成仏する方が手っ取り早い」という意味だ。そもそも他力の「他」とは他人のことではなく阿弥陀如来のことを指し、「本願」とは人々が仏になることを願うことなので、阿弥陀如来様の力をお借りして人々が仏になれたらいいですね、という意味なのである。とはいえ、本来の意味で日常生活で使われることはほとんどないので(そんな信心深い人間が日本にそれほど存在するとも思えない)、もしも会話の中にこの言葉が出てきたら「他人へ依存しようとする心」で使われるケースが多いはずだ。これはまさしく誤用に他ならないのだが、実世界ではこの誤用がむしろ正しい使い方になりつつある。ある言葉をある新しい意味で使う人が過半数を越えれば、本来の意味にこだわっているとコミュニケーションができなくなる。言葉の意味は、時代の流れの中で長いものに巻かれながら変わっていく宿命にある。その意味ではギャラもフィーも報酬も給料も、もはや同じ意味なのだが、語源に残っている魂には何かしら時間を超越した普遍性があるような気もするわけである。
注2)
社会保障に関しては、現在の日本の福祉政策にも大きな影響を与え続けている有効な手段を確立した、という意味においてウィリアム・ベヴァリッジ(William Henry Beveridge)に触れないわけにはいかない。かの有名な「ゆりかごから墓場まで(from the cradle to the grave)」、すなわち第二次世界大戦後に英国労働党が掲げたスローガンを実際のプログラムにした人と言っていいだろう。ケインズ(John Maynard Keynes)の弟子筋に当たるらしい。彼の提唱した福祉プログラムは単純でわかりやすかったので、議会を敵に回しつつも国民を味方につけることができた。ベヴァリッジは国民をフリーライダーとみなすことなく、かつ国民がそれに応えた結果がこのプログラムの成功に結びついた。現在の日本に最も欠けているのが、この相互の信頼関係であろう。この“国家と社会が協調行動をとるための技術論”の詳細は『ベヴァリッジ報告書』に詳しい。
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