筆者は古今亭志ん朝(1938年3月10日生-2001年10月1日没)の大ファンである。品質の低い音源も含め、かなりの量を押さえているほうだと思うが、一枚だけスタジオ録音版を購入したことがある。話芸としては確かに素晴らしい。ただし残念ながら面白くない。観客の笑い声が入っていないからだ。落語なる話芸が観客の笑い声を含めた協調行動であることを改めて思い知らされることになった。
これは落語に限らない。スポーツ(観戦)やライブ・コンサートも同様だ。これら全てはプレイヤーとオーディエンスの協調行動としての成果であって、その意味においては「実行する人」と「見るだけの人」という区別を設けること自体が間違いである。スタジアムで熱心に応援するだけのファンも、純然たるアスリートだと言っても言い過ぎではない。コンサートに観客がいなければ単なる音合わせや練習だろうし、ファンが見ていないスポーツも孤独なトレーニング以上のものにならない。
いうまでもなく、“打ち合わせ”も一種の協調行動であり、お互いを励まし合う行為とみなすことができる。それも、終わってしまったことに対してではなく、近い将来一緒にやるかもしれないであろうことに関する相談と言えるだろう。
そう考えると、酒は冷静な判断力を弱くするので、打ち合わせよりは精神的な解放区を演出する儀式、あるいは結果が出た後の飲み物であろう。お茶も悪くはないが、お茶が持つ渋みで展開される人生観や打ち合わせは、“もののあはれ”を強調しすぎるきらいがある。穏やかな気分になりすぎるのだ。紅茶は平和のメタメッセージとしては最高の飲み物かもしれないが、どうしても香りそれ自体を楽しむことが目的になってしまう。
二人でコーヒーを一緒に飲むという行為は、時間を圧縮すると餅つきのように見えるだろう。同時に口元までカップを運ぶ行為を無意識に避けるので、まるで交互に飲み交わしているかのようになるはずだ。それがまたコーヒーを飲む際の流儀であり、協調行動でもあるように見える。これも二人の間にある距離を縮めることになる。
コーヒーが持つ「苦味」も効果的だ。これから近い将来、二人または数人が作ろうとしている未来が、ある種の苦味を交えつつも予想できない展開になっていくことであろうことを示唆する。苦味という辛酸のひとつを軽く舐めながら、その先にある今とは少し異なる未来をイメージしやすい。
打ち合わせの秘匿性が高ければ高いほど、そこで供される飲み物にはコーヒーが相応しい。そして何と言っても魅力的なのは、様々なオプションを容認するその守備範囲の広さと、場所それ自身が持つ力を拡張する触媒としての機能性にある。
ホテルのラウンジでソファに沈んだ状態での打ち合わせなのか、喫茶店での打ち合わせなのかで、未来の成果や作るものが変わってくる。同じ喫茶店でも、どこにでもあるチェーン店を選択するか、その街にしかない古くさい喫茶店か、長時間の打ち合わせを黙認してくれるお店なのか、道沿いにあるオープンカフェを選択するか等で、話の内容や雰囲気を意図的に演出できる。
カップが木のテーブルに置かれるのか、スチールの机かで味も変わる。紙コップに入れて公園のベンチで飲むこともできるし、おしゃれな陶器に入れて畳が敷いてある和室で飲むことで日常の中にオフィシャルを演出させることも可能だ。
様々なパーソナライズを容認する包容力も大きな特徴だろう。日本茶に砂糖やクリームを加えることはあり得ないが、コーヒーならそれができる。最初は熱かったコーヒーも時間の経過とともに冷めてしまうが、それを一気に飲み干せば、打ち合わせに積極的な終止符を打とうとするメッセージになる。氷で冷やせば、また別の飲み物に変貌する。
もちろん打ち合わせに限らず、様々な“一人で行う行為”をより深いものにしてくれるのもコーヒーの機能だ。もっとも相性が良いのは読書だと思うが、一人でクルマを飛ばしながら飲むコーヒーも悪くない。
さらに魅力的なのはその後味である。「映画はあと味の勝負」は、日本が生んだ稀代の映画監督・小津安二郎の名言だが(注1)、一般に高級なコーヒー豆ほど、その香りの持久力が長いと言われる。ただ実際には、コーヒーでありさえすればその余韻、後味の持続時間は他の飲み物よりも長いので、妙に高級な豆を購入する必要はない。
一方、論理的・科学的にもっとも正しく、かつ割安で美味しいのは、某コンビニで100円で販売しているコーヒーなのかもしれないが、皆が雪崩を打ってそのコーヒーを選択しているわけではないところにこそ、コーヒーの“本当の妙味”がある。コーヒーはそれ自身が最終製品ではなく、あくまで良質なコミュニケーションやリズムを構成するための材料であり触媒だからこそ魅力的なのである。
注1)
小津安二郎といえば『東京物語』ということになっているが、本人が言うところの“後味”で評価するなら、同監督の最高傑作は、生涯でたった一度だけ故郷の三重県でロケを行った、そして唯一の大映作品である『浮草』ではなかろうか。全編を通じて背後に小さく聞こえ続けるお囃子が、旅芸人一座の儚さと、そしてまた近い将来やってくるであろう少し明るい未来を演出しているような気がする。
- 書名
- 会社をつくれば自由になれる
- 出版社
- インプレス/ミシマ社
- 著者名
- 竹田茂
- 単行本
- 232ページ
- 価格
- 1,600円(+税)
- ISBN
- 4295003026
- → Amazonで購入する → Kindle版を購入する