149

「ワーケーション」は人を幸せにしない

環境省が、新型コロナウイルスの感染リスクの少ない自然の中で働き遊べる場として、国立公園での「ワーケーション」を促すために20年度補正予算で30億円を割き、ツアー企画やWi-Fi環境の整備を支援するという(環境省、低感染リスクの国立公園の観光事業を支援、ワーケーション推進で滞在日数の延長狙う)。これも含めワーケーションなる企画がかなり的外れであることを解説する。

数年前に海外へ旅行した際、成田を離陸して10分後くらいに気が付いたのだが、機内の隣のブロック(中央4列の座席)を占めている4人が、とても有名な劇作家とその奥さんに2人の子供、というご家族だった。8時間程度のフライトの間、奥さんと子供は熟睡していたようだが、当の劇作家は搭乗直後からずっとノートPCに向かっていた。おそらく、既に締め切りを過ぎている脚本を書いていたのだろう。無論、一部始終を観察していた訳ではないが、彼は機内で眠ることはなかったと思われる。売れっ子は大変なのである。

驚いたのは目的地(ごく純粋な観光地である)で利用するホテルが同じで、しかも部屋がほぼ隣といった場所だったことだ。たまたま、その劇作家パパが2人の子供に無理やり連れ出される形でどこかへ出掛けようとしているところに出くわした。この時の彼の憔悴しきった表情が、今でも忘れられない。機内での彼の仕事ぶりからすれば、ホテルの部屋で一人で眠りたかったはずなのだ。ワーケーションなる妙な言葉を初めて目にしたときに真っ先に思い出したのがこの光景である。

ワーケーション(Workation)は、観光地などでテレワーク(リモートワーク)を活用し、働きながら休暇をとる過ごし方を指すらしい。「働きながら休暇をとる」といえば聞こえは良いが「休暇を取りつつ働く」と同義だとすれば、「まっぴらごめん」なビジネスマンが大半だろう。先の劇作家のようなハメになることが目に見えているからだ。そもそも、休暇中の仕事関連の電話ほどイヤなものはない。たった1本の電話がその場の楽しい休暇ムードを容易に破壊する。妙な緊張感が生まれ、場が汚れる(けがれる。あるいは「穢れる」だろうか)のである。

オーダーメイド型ワーケーション プログラムを4月1日からJTBにて販売開始」が、コロナ禍において観光需要が激減したことに対する苦肉の策であることは誰の目にも明らかだ。これが「世間に公表することが憚られるくらいアタマを使っていない自己都合プラン」であることは当事者も十分自覚しているはずで、せめて、苦笑いしながらの記者会見だったと思いたい(見てないけれど)。クソ真面目にこんな劣悪な企画を力説されては、こちらとしても立つ瀬がない。

テレワークが日常的になったこと(これも大企業のごく一部のさらに特定の職種だと思われるが)が、このワーケーションという企画の発端になっているようだが、電話1本でさえムードをぶち壊しにできるのだから、そこにZoomだのTeamsだのが加わったとしたら、もはやそれは旅行ですらないだろう。なぜワーケーションがクリエイティブで労働生産性が高いといえるのか、その理由や論拠が不明なのだが「休暇も取れるし仕事もできるので一石二鳥」という説明は、仕事と休暇のいずれもが中途半端なものになること、ということでもある。説得力に欠けること甚だしい。

そもそも、まともなバケーション(vacation)を取る習慣や制度設計のない国で、ワーケーションを標榜するのは無理がある。既に誰も口にしなくなった「プレミアムフライデー https://premium-friday.com」に匹敵する愚策である。しかもこれが「働き方改革と新型コロナウイルス感染症の流行に伴う、新しい日常(New Normal)奨励の一環として位置付けられる」というのだから、我々庶民はここまで愚弄されて良いのだろうか、とさえ感じる。家族旅行に仕事をねじ込むような企画は、どうやっても誰も幸せにならない。

この企画がとても投げやりなものに見えるのは、「無理やり移動させ散財させること」が目的になっていることにも起因する。人類の歴史が移動の歴史であることは論を俟たないが、今、問題にしているのはそういうことではない。コロナ禍云々とは無関係に「高度成長期の成功体験=日本型経営+雇用形態」が大きく崩れてきているので、個人のレベルでも企業のレベルでも、新しい働き方を模索する必要がある。これが主眼のはずである。そこにコロナ禍が加わり、副業やテレワークなどがアイデアとして提示され始めているわけだが、その中でも最もスジの悪い提案がこの「ワーケーション」だろう。

小学生も高学年になれば、家族よりは友人との都合が優先するのが普通なので、そもそも子供と一緒に家族旅行できる期間は意外と短い(10年くらいのはず)。その短い貴重な時期の家族旅行にわざわざ仕事を持ち込む必要はない。朝から晩まで、徹底的に子供と付き合った方が(自分自身が)後悔しない、ということを後々実感するだろう。家族・休暇・仕事を無駄に結合させようとするワーケーションは、本質的な課題設定が間違っている、といえる。

この問題は、「働くための場所が一カ所に固定されている事務職が気分転換できる仕事の方法」に置き換えれば済む(テレワークはその場所が自宅に固定されてしまったに過ぎないので、本質的には同じ課題である)。常日頃、取材や営業で飛び回っている人にはピンと来ないだろうが、人が本来(旅行や引越しなどの)移動に対して価値を感じる動物である以上、事務職であってもたまには(仕事という名目で)外出したいはずだ。いずれにしても、この「新しい施策」は職種・業種・会社の規模とは無関係に実施されるものでなければならない。

この課題に対する答えは、おそらく「合宿(meeting camp)」である。

1)少人数(5人以内程度)のグループで実施(大企業の場合は普段一緒に仕事をしていない人たちでグルーピングする)。
2)本社所在地からクルマや電車などの交通機関で1~2時間程度の温泉旅館での1泊2日。1人に1部屋割り当てる(相部屋禁止)。
3)やることは「ブレーンストーミング」だけ。日常的な仕事を持ち込まない。
4)夕方、旅館の中庭などの屋外へ集合し、まずはブレスト。その後、そのままその場で夕食になだれ込む。食べ物や飲み物を口に運ぶとき以外はマスク。
5)翌日、一緒に朝食を摂った後に解散。当日も翌日もフルタイムで働いたと認定。合宿に係る費用はすべて会社負担。
6)これを年に4回程度(春夏秋冬に1回)実施する。

これはオフィスワーカーのみならず、(いわゆる)エッセンシャルワーカー、あるいは(嫌いな言葉だが)ギグワーカーにも有効な施策だ。

メインイベントは4)の夕食だ(直前のブレーンストーミングは仕事をしたという口実のためだけに実施する。むしろ夕食後の自由参加の宴会のほうが良いプランが出てくる可能性がある)。少人数であれば、感染予防策(食べるとき、飲むとき以外はマスク)を徹底すればさほど危険ではない。同じ旨いものを食べるとミラーニューロン(mirror neuron)が起動するので共感が深まる(同じ釜のメシには科学的根拠がある)。

合宿は、42.195kmを走るマラソンに設置されている給水ポイントのようなものだ。働いているフリをしつつ休憩するのが目的だ。倫理的に問題のない宴会でもある。外出する必然性のない仕事をしている人にこそお勧めしたい。何十年も働くのだから、適度なタイミングで「働いているようで休憩している」時間を意図的に作らないと続かない。費用も安上がりだし、多くの会社が同時に実施しても、適度に分散するはずだ。であるにも関わらず経済的インパクトは大きい。

そもそも、大企業や急成長するIT企業が丸の内、大手町、渋谷、六本木などの都心にオフィスを構えるのは、従業員の賃金を低く抑えるための施策として有効だからだ。個人的にはよく理解できないが「丸の内に勤務するOLであること」自体が自慢できる(らしい)のだ。多少給料が安くても、そっちの方が「かっこいい」ということのようである。経営的には、人件費を流動費化させるのが意外と難しいのに比べると、坪単価で見たときの家賃は従業員が多いほど割安になる上に、景気が悪くなったら引っ越せば良い、というお気楽さがある(流動費化させやすい)。要するに働く側と働かせる側の利害が一致するのである。

ただし、某大手国内精密機器メーカーのグループ企業のように、品川にあった本社を幕張に移動させ、幕張に付いて来られない社員を振るい落としたと思ったら、また品川へ本社を戻して幕張に最適化した社員をさらに振るい落とす、というような阿漕な手段を強行する大企業もあるので注意したい(当該メーカーのカメラを愛用している自分がなんとも情けない)。

オフィス所在地を自慢する時代が終了し、むしろ合宿や起業支援などの各種アクティビティの豊富さをウリにする時代が到来しているときに「ワーケーション」という企画が一部の大企業や金持ち相手の古臭さを漂わせ、一方で、古臭いはずの合宿(旧日本海軍では全弦、あるいは半舷と呼んでいた)がこれからの働き方に相応しいと感じるのは筆者だけではなかろう。

・参考記事
 古い言葉で言えば全弦(あるいは半舷)

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
Amazonで購入するKindle版を購入する