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起業時の事業計画は単なる計画で終わる

起業して(少なくとも)数年間は「予想しなかったイベント(出来事)や出会いの連続になる」ので、結果的にどういうものになるのかは本人でさえほとんど想定ができないことに留意しよう。

筆者の父は、太平洋戦争時の志願兵だ。本来、重巡洋艦「筑摩」に配置されるはずだったのだが、配属人員等の関係で姉妹艦の「利根」に乗船することになった。もし本来の人事のまま筑摩に乗船していれば、私はここにはいない(筑摩は1944年のレイテ沖海戦で撃沈された。生存者はほぼゼロ)。

という具合に人生はすべてが「たまたま」の連続なので、「Aの結果Bが起きる確率(e.g. アタマが悪かったので東大に入れなかった、など)」の掛け算の連続ということになる。言うまでもなくこれは限りなくゼロに近づくことになる。「今ここに、この状態で存在していること」は数学的にはほぼ奇跡に近い現象なのだ。なんらドラマチックとは思えない人生でさえ、それが奇跡の連続である以上、いまこれを読んでいるあなたの人生はすでに充分ドラマになっている。とても「有り難い」ことだと感謝しよう。

経営も同様だ。すべてがたまたまの連続だから、起業時に立てた事業計画通りに事が運ぶ人は皆無に近い。功成り名遂げた立派な経営者の経営論が「一般解(普遍的な答え)」に聞こえないのは、それが「たまたまの連続」であることを私たちが知っているからだ。エピソードとしては面白い。特に(戦後の混乱期などの)ある特定の時代背景なしには語れないエピソードは掛け値なしに面白い。しかし、経営は「仮説→検証」サイクルに乗せるための実験ではない。食べて行くために必死でやってきたことの集大成だ。それの事後的な解説が「後知恵バイアス」の塊になってしまうのは避けられない(ついでにいえば「面白い」と「役に立つ」は無関係である)。

しかし、あるゴールを設定すると、経営学が社会科学として成立する場合がある。上記のエピソードの中にもそのゴールのためであれば有効なテーゼになりうる、というノウハウがたくさん隠れている。それは「たくさん売る」ということだ。

「たくさん売る」ことがゴールになると、科学的と思われるテーゼがそこそこ出現する。少々乱暴だが「たくさん売る」という言葉は「便利はどこまでも普及するのが正しい」と言い変えることができる。名経営者が執筆した書籍(まあ、多くはゴーストライターが書いているわけだが)を読むのは楽しいが、最後にがっかりするのはどんな経営者でも「というわけでたくさん売れましためでたしめでたし」という安直な結論で終わることだ。(蛇足ながら)さらにタチが悪いのは、ある種の宗教論に到達してしまい、やたらと粒度の粗い議論(e.g.人類と世界の平和、これからの人間論など)をまき散らし始めること。これを「老害」と言わずしてなんと言う。高度成長期の成功体験は、これからは反面教師でしかないはずなのだ。

この「42/54」というサイトが全力を挙げて阻止したいのは、「たくさん売ることはいいことだ」という結論である。就労年齢に達している多くの人が「あるとき法人格を有し、代表取締役に就任し、たいした売上ではないけど、そこそこ幸せ」という状態がそこかしこで爆発していれば、社会的に安定するに決まっている。ベキ分布(スケールフリーネットワーク)の発生を最低限に抑えるための技術的な方法論(制度設計)を探る旅とも言える。但し、これから老兵になる人は「消え去るのみ(Old soldiers never die, but fade away)」では困るのであって、現在の老人の成功体験をあまり考慮しない、新しい働き方を模索・実現していくべきだと考える。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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