環境省が、新型コロナウイルスの感染リスクの少ない自然の中で働き遊べる場として、国立公園での「ワーケーション」を促すために20年度補正予算で30億円を割き、ツアー企画やWi-Fi環境の整備を支援するという(環境省、低感染リスクの国立公園の観光事業を支援、ワーケーション推進で滞在日数の延長狙う)。これも含めワーケーションなる企画がかなり的外れであることを解説する。
先日、Inter BEE 2019(国際放送機器展:International Broadcast Equipment Exhibition 2019)でのセッションの一つ「5Gが放送ビジネスに与えるインパクト」にパネリストの一人として参加した。筆者が用意したプレゼンは、最近感じていることをメモにしただけのたった一枚の小さな文字をたくさん詰め込んだスライドだったので、会場の後ろにいた人には見えにくかったはずと考え、必要なら後でメールで送付すると言い残してステージを後にした。意外なことに問い合わせが殺到したので「それならば」ということでコラムとしてまとめ直したのが下記である。放送関連事業者に向けた部外者からのメッセージであることを念頭に置いてお読みいただければ幸いである。
情報の80%は視覚から入手している、という俗説が正しいのかどうかは定かではないが、人類が視覚優位の生物であることに異論はないだろう(例えば、身近な動物である犬は嗅覚がヒトの視覚に相当する役割を担っている)。しかし今後は、視覚的価値はAIに委託することができる。嗅覚、触覚、味覚、そして聴覚を駆使することで、視覚優位性により構築できた文明や利便性(そしてその弊害)とは異なる価値に没頭できる時代がやってくるかもしれない。
あまりにも周りの評判が良いので、映画『ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)』を観に行った。年末になってこの映画がここまで話題になるとは、配給会社も想像していなかっただろう。しかし、いわゆる“スパイラル広報戦略”がうまい具合にハマったマーケティング成功事例の一つであることは間違いない。以下は、なるべく予見をもたずに鑑賞することを心がけた結果としての、一人のそして古いクイーンファンの映画批評である。ただし筆者は、映画も音楽も専門外なので、あくまで個人的な素人の感想、ということでのお目汚しをご容赦いただきたい。
筆者は「美食」あるいは「グルメ」という言葉で括られる食事とそうでない食事の区別がよく判らない。味覚があまり発達していない、食えるだけで旨いと感じてしまうということもあるのだろうが、カッコつけた言い方をすると、全ての食材に対する礼儀のようなものを持ち合わせているからではないか、と思わないでもない。全ての食材とは、基本的に「人間以外の動植物」である。この動植物に対する礼儀(=美味しくいただき、残さない)こそがレシピに他ならず、これをコアにしながら、様々な人間や環境が加わっていくことで、樹木の年輪のようにマナーの輪を増殖させていく必要がある。この時に必要なのは倫理ではなく、全ての食材の価格を思い切り上げてしまうことだろう。
皆さんが今度電車に乗った時に是非観察して欲しいのは、スマホを操作している人の視線と、今や極めて少数派になってしまった読書している人の視線の“品質”の違いだ。少し神がかり的であることを承知の上で言えば、どんな類の書籍であろうと読書している人の視線は圧倒的に美しい。このような美しい機会を増加させたい、というのが2018年3月にスタートした「ソクラテス(Socrates)」の願いである。
起業するときの視野(事業のパースペクティブ:perspective)が年齢とともに狭くなるのは事実だ。20代の起業は「世の中、何でもありだぜ」という万能感に溢れている(ほとんどが勘違いなのだが)。30代の起業は比較的冷静な判断をしていることが多い。40代の起業になってくるとある種の悲壮感が漂いはじめ(筆者の場合がこれ)、50代や60代での起業など「無理」と考えてしまうのも止むを得ないかもしれない。ただし、この「視野が狭くなる問題」を能力の話だと勘違いしてはいけない。視野が狭くなる(できることが限られる)のは事実だが、会社の経営それ自体は才能とはあまり関係ない。世の中を見渡してみると、経営者にはむしろ無能で軽薄な馬鹿が多いことには、あなた自身も気づいているはずである。
「No.99 働き方改革を実現する唯一の方法 」 に引き続いて、再度「働き方」を話題にする。今回は時間給と労働生産性について検討してみることにする。
広告はある特定のスポンサーが特定のメッセージングのために費用を負担している。一方、同じメディアで記事と称するものを生産するための費用は読者が負担している。1社が多額を費やして費用を負担している広告も、たくさんの人から集めたお金で作った記事も、メディアの当事者ではない第三者による金銭の贈与を前提にしているという意味においては同じである。このように、基本的に全ての公衆向けメッセージは広告であるという基本構造を理解しておかないと、「記事と広告の区別が云々」と言った初心(うぶ)な議論に血道をあげることになってしまう。自分が作った会社をPRしていくときに多少は参考になると思うので、このあたりの話題をご提供しておく。