竹田 茂

竹田 茂Shigeru Takeda

1960年生まれ。新潟県上越市出身。日経BP社にてBizTech(現在のnikkeibp.net)の立ち上げを皮切りに同社の様々なインターネット事業の企画・開発業務を統括、「日経ビジネスオンライン」など主要ビジネスメディアや様々な実験的メディアをプロデュース後、2004年にスタイル株式会社を設立。およそ年に1本のペースで主にB2B分野にフォーカスしたWebメディアを創刊・運営。早稲田大学大学院国際情報通信研究科非常勤講師(1997~2003年)、編著に『ネットコミュニティビジネス入門』(日経BP社、2003年)など。

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「ワーケーション」は人を幸せにしない

環境省が、新型コロナウイルスの感染リスクの少ない自然の中で働き遊べる場として、国立公園での「ワーケーション」を促すために20年度補正予算で30億円を割き、ツアー企画やWi-Fi環境の整備を支援するという(環境省、低感染リスクの国立公園の観光事業を支援、ワーケーション推進で滞在日数の延長狙う)。これも含めワーケーションなる企画がかなり的外れであることを解説する。

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掛け紙を使え

筆者の自宅近くの東急百貨店たまプラーザ店の地下食品売り場には「木挽町辨松」があった。ここの弁当が好きで、1カ月に1回くらいは購入していたのだが、残念ながらこの4月に廃業と相成った。

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「プランB」は個人のレベルでの三つの事業部から作れ

プランBとは「バックアップのために起動させる次善の策」だが、この次善の策というもの自体が複数の策から構成される。これがプランBの特徴だ。これを国に要求するのは筋違いで、本来、個人で作るものである。これは自分自身を三つの事業部で構成されている人間、と認識するところから始まる。

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形式は内容に優先する

形式は内容に優先する。このテーゼは、メディアの作り方に限らず、あらゆる事業に有効であり、現在の「テレワーク(リモートワーク)」などにも適用できることを説明する。

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「5Gと放送」Inter BEE 2019での講演から

先日、Inter BEE 2019(国際放送機器展:International Broadcast Equipment Exhibition 2019)でのセッションの一つ「5Gが放送ビジネスに与えるインパクト」にパネリストの一人として参加した。筆者が用意したプレゼンは、最近感じていることをメモにしただけのたった一枚の小さな文字をたくさん詰め込んだスライドだったので、会場の後ろにいた人には見えにくかったはずと考え、必要なら後でメールで送付すると言い残してステージを後にした。意外なことに問い合わせが殺到したので「それならば」ということでコラムとしてまとめ直したのが下記である。放送関連事業者に向けた部外者からのメッセージであることを念頭に置いてお読みいただければ幸いである。

144

堅牢な人間関係を作りたいならコンセンサスはラフにしておくに限る

何事にも「タメ(時空間上の余裕)を作るクセ」を作らないと、世の中はうまく回らないことになっている。不良設定な二者択一の課題に条件反射で反応してしまい、取り返しのつかない事態になってしまった経験がある人も多いだろう。タメは、時空間上にはグレーゾーン(=どっちに転んでも良い)として存在する。このグレーゾーンをうまく生成するための技術が「ラフ・コンセンサス」である。

143

あまりたくさん売ろうとはしないための「教養経営学」

「教養経営学」なるものがあるとしたら、それは一体どのようなものかを考えてみた。流石にこのテーマは「自分に書く資格があるのか」としばらく自問自答したが、資格を云々する資格自体が自分にはない。すなわち、悩む資格があるのかさえもわからない、と思ったので、とりあえず「これを本当に仕事にするときは別の人が主役」と想定することにして勝手に安心して書くことにした。

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文化資本は実は技術論である

『人は見た目が9割』がベストセラーになってしまうくらい、人は視覚的認知バイアスの虜(とりこ)になってしまいがちな生き物である。良し悪しは別にして、その特徴を活かしつつ生き延びてきたという側面も否定できない。ただし、これから徐々に見た目の価値は相対的に低下していくはずである。(8Kのテレビなどを見ていると)視覚はすでに開発され尽くした感が否めないが、それに比較すると嗅覚・聴覚・触覚は、まだまだ手付かずの状態に近いと思われるからだ。

141

守備範囲の広い“コーヒー”を使い倒せ

なまじ情報学や情報通信理論などをかじっていたりすると、コミュニケーション品質をデータ量などで判断してしまいがちだが、コミュニケーションの本質が「本当に大切なことは誰にも言わない(あるいは言葉にしたくてもできない)」ということにあることをきちんと押さえておけば、そこから逆算して“良質なコミュニケーション”を意図的に作ることはある程度可能である。そしてその時の隠れた主役が案外コーヒーだったりするのだ。

140

「なんでそんなものにそんなお金を払うの?」にこそ日本が生き残る道がある

「値段」ではなく「値打ち」で勝負する時代になった。値打ちの本質は、機能・性能・利便性ではなく「文化資本」にある。文化資本とはひとことで表すと、歴史的な意味、あるいはストーリーのことと言えるだろう。「手編みのセーター」が捨てられないのは、その成分の大半が文化資本だからだ。値打ちは消費者が一方的に決めるものでもない。消費者があたかも生産者であるかのように振る舞い、結果的に生産者と消費者の協調行動の結果として生成される。

139

クルマの先に見える聴覚優位の時代

情報の80%は視覚から入手している、という俗説が正しいのかどうかは定かではないが、人類が視覚優位の生物であることに異論はないだろう(例えば、身近な動物である犬は嗅覚がヒトの視覚に相当する役割を担っている)。しかし今後は、視覚的価値はAIに委託することができる。嗅覚、触覚、味覚、そして聴覚を駆使することで、視覚優位性により構築できた文明や利便性(そしてその弊害)とは異なる価値に没頭できる時代がやってくるかもしれない。

138

テレワークとは「経営者」に突き付けられた踏み絵である

家庭も経営の対象であり、かつ法人格を利用するオプションが与えられている。テレワークは、その両端で家庭経営者と企業経営者が「綱引き」をしている状態を想像すればよい。これは、リアリティとフィクションの戦いでもある。圧倒的に企業経営者優位に見えるこの運動会の種目は、最終的には強い正義を有する側の勝利に終わるだろう。家族経営というのは案外深い概念なのだ。

137

効率重視の時代の終焉

労働生産性が高いのは文句なしに“良いこと”ということになっているが、これは同一のサービスやモノを大量生産したい場合の話である。これから本格的に人口が減少していく日本は、どう考えてももはや大量にモノを生産する必要はない。重要なのは“価格を上げる”あるいは“高価格にふさわしいモノ”を作ることだ。労働生産性はむしろ低くないと価格は高くならない。適用範囲が広いソリューションとしてのデザインの時代から、興味がない人には意味不明な自己肯定感だけで構成されているアートの時代にシフトしないと、日本は国としての存続が危ぶまれる。

136

映画『ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)』を観て

あまりにも周りの評判が良いので、映画『ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)』を観に行った。年末になってこの映画がここまで話題になるとは、配給会社も想像していなかっただろう。しかし、いわゆる“スパイラル広報戦略”がうまい具合にハマったマーケティング成功事例の一つであることは間違いない。以下は、なるべく予見をもたずに鑑賞することを心がけた結果としての、一人のそして古いクイーンファンの映画批評である。ただし筆者は、映画も音楽も専門外なので、あくまで個人的な素人の感想、ということでのお目汚しをご容赦いただきたい。

135

人間中心設計から日本人中心設計へ

“教養主義”は、本来の人間の生きかたを取り戻す方法として定期的に出現する。不況になると、出版社が「言語(日本語)、歴史、教育」のいずれかのテーマの書籍を数多く発行しようとする動きと連動することも多い。一方、“カネ”に関する本はいつの時代でもそこそこ売れるが、教養主義の最大の弱点はそのカネと縁遠いことにある。しかし、これからもそうだろうか。Erik StoltermanのDX(digital transformation)の前提になっているのはデジタル・テクノロジーである。これは、過去に教養主義が流行した時代には実在しなかった。

134

田中善一郎さんのこと

人生はほぼ全てが偶然の出会いを元に育まれていくが、「もしも彼(彼女)に会えなかったら」を想像した時に、ゾッとする人が必ず何人かいるはずである。それくらい人生に大きなインパクトを与える出会いがある。筆者にとっての田中善一郎氏がまさにそれである。現在、私が小さな会社で禄を食むことができている理由のすべては、過去に田中氏と一緒に過ごした時間の中だけにある。

132

ギャラという言葉に内在する甘えの構造

「『甘え』の構造」は言わずと知れた故・土居健郎(どい・たけお)氏により1971年に発行された書籍のタイトルである。ここで注意したいのは、彼は「甘ったれ、あるいは甘やかしの体質はイカン」と主張している訳ではないことだ。甘えには健康的なものと病的なものがあり、特に日本人は健康的に甘えるのが上手、これはむしろ能力、と評価しているのだ。従って、本稿の見出しは“意図的に誤用”していることをご理解いただければ幸いである。

131

テレワークは親の背中を見せるための制度である

テレワークの最大の弱点は、場を共有することでしか実現できない価値が創出できないことにあるが、定期的な打ち合わせと非定期の緩いミーティングを適度なリズムで組み合わせることで回避できる。一方、テレワークのメリットは労働者としての主権を自分自身に取り戻せることにあるが、それ以上に重要なのは「自分が働いている様子を家族に見せることができる」という点にある。

130

マナーはレシピの上位概念である

筆者は「美食」あるいは「グルメ」という言葉で括られる食事とそうでない食事の区別がよく判らない。味覚があまり発達していない、食えるだけで旨いと感じてしまうということもあるのだろうが、カッコつけた言い方をすると、全ての食材に対する礼儀のようなものを持ち合わせているからではないか、と思わないでもない。全ての食材とは、基本的に「人間以外の動植物」である。この動植物に対する礼儀(=美味しくいただき、残さない)こそがレシピに他ならず、これをコアにしながら、様々な人間や環境が加わっていくことで、樹木の年輪のようにマナーの輪を増殖させていく必要がある。この時に必要なのは倫理ではなく、全ての食材の価格を思い切り上げてしまうことだろう。

128

星野リゾートはなぜ貧乏くさいか

「贅沢は貧しさの反対語ではありません。下品の反対語です」(ココ・シャネル)という言葉がある。ここに一つ日本語で付け加えたいのは、下品=「貧乏くさい」ということだ。貧乏は単に金の有無の状態であるが、貧乏くさいは自らの在り様が下品であることを示す。「貧乏」と「貧乏くさい」の間には天と地ほどの開きがある。

127

使命を全うした「51C」の次に来るもの

建築物は、そこで展開したいと考えているコミュニケーションからバックキャスティングして設計しなければならない。一戸建てやマンション・アパートの場合は家族のあり方が問われ、オフィスの場合は社員が働きやすい環境かどうかが問題になり、工場であれば生産性と安全性が重視される。そして現代は、(1)家族という概念の液状化、(2)予期せぬ情報環境の出現と爆発、(3)女性の働き方、の3軸を中心に大きく変貌を遂げたことを念頭に置きつつ、建物を中心した街の再設計が必要とされている。

126

今にも破れそうなパイプラインを大切に扱う経営

経営に必要なのは、「まあなんとかなるだろう」という根拠のない楽観主義だ。実際、多くの場合なんとかなるのである(周りにいるサポーターに助けられることが多いのだが)。ところが健康だけは違う。こちらは悲観的な見通し、自覚している以上に事態は悪化しているという先回りの発想が必要だ。「まだまだ若い奴には負けないぞ」という心意気が一番ダメである。あなたはすでに、走行距離が20万kmを超えたポンコツである。そしてポンコツならではの働き方ができるのは、あなたが社長の場合だけなのだ。

125

「ソクラテス(Socrates)」とは何か?

皆さんが今度電車に乗った時に是非観察して欲しいのは、スマホを操作している人の視線と、今や極めて少数派になってしまった読書している人の視線の“品質”の違いだ。少し神がかり的であることを承知の上で言えば、どんな類の書籍であろうと読書している人の視線は圧倒的に美しい。このような美しい機会を増加させたい、というのが2018年3月にスタートした「ソクラテス(Socrates)」の願いである。

124

物思いに耽ることが仕事になる時代がやってきた

私たちの仕事は「論理的な処理や統計的な演算に基づいた作業」と「常識的な判断から対応する適切な処置」の二種類に分けることができる。前者は、できればやりたくないことだが人工知能はこれが得意だ。一方、後者は人工知能にはまったく歯が立たないが、私たちはそれをいとも簡単に、場合によっては楽しくこなしてしまう。キーワードは“常識”である。

123

知恵と直結する未来の贅沢

贅沢のために必要なのは、ちょっとしたアイデアや工夫、そして知恵であって、決してカネではない。やりたくない仕事を人工知能に丸投げすることで、私たちは本当の贅沢を手に入れるためにあれこれ考えたり、体を動かす時間を得ることができるようになるだろう。新しい技術が創出してくれた時間は、過去に埋蔵されたものをあえて掘り起こしてみるために与えられた時間なのかもしれない(なお、本稿は『会社をつくれば自由になれる』のコラム「中年起業にイノベーションはご法度である(P.115)」の追加解説です)。

122

起業しないことが挑戦になってしまう時代の到来

挑戦(challenge)とは、そのまま失敗を意味する。失敗する確率が高そうな事象を挑戦という。挑戦と失敗はパッケージになった言葉である。挑戦は賛美されるべき対象ではない。「定年後のあなたでも起業にチャレンジできます!」などというセミナーは即刻中止していただきたい。なぜなら、私たちは起業しないこと自体が挑戦になってしまう時代に足を踏み入れたからだ。もはや起業それ自体はチャレンジではない。

121

高確率持続可能型起業工学のすすめ

どのような個性の持ち主からの操作に対しても、同じ入力であれば同じ出力を保証する仕組みを工学と定義する。入力系と出力系の間には機械・ソフトウエア・化学反応などが介在し、プロセス自体は自動化されるという特徴がある。では、この工学を中高年のサラリーマンが起業する時に使える「持続可能型起業工学」として開発することは可能だろうか。筆者としては半分冗談・半分本気、である。

120

場所自体が持つ力を活かす「ローカルナレッジ」

「人生のリセットなんて簡単だ。古い人間関係を全て断ち切って、引っ越しして、朝早く起きるようにすれば良い」という俗説があるが、いうまでもなく、この三つはそう簡単にできることではない。特に引越しや移住などは、後から振り返った時に人生における大きな分岐点になることが多い。それは、その土地が持つ固有のパワーから離脱するからだろう。後ろ髪を引かれる想いがどうしても残る。しかしその憂いは、新天地が保有しているであろう「ローカルナレッジ」に出会った時に全て払拭されるはずだ。

119

「健康に不安があるのが普通」の中高年は個人事業主になってはいけない

「個人事業主」には分かりやすい才能があるが、「会社経営者」は自慢できる能力に欠けるボンクラと言ったほうが実態に近い。世の中の大抵の社長は、謙遜でもなんでもなく自分の無能を自覚しているはずである。外注に頼らざるを得ない馬鹿者ほど社長に向いている。見かけの売り上げはそれなりに大きくなるが、比例して外注費も膨らむのでさほど儲かるわけでもない。しかしそれでも、定年前後の起業には会社設立以外の選択肢はない。

118

べき論先行型論理的プロジェクトは失敗する

「好き・嫌い」で集まったグループはとてつもなく強い。ジャズのメタファーで言えば「こういう世界観作りたいんだけど」というオファーに対して「あ、俺もそれ好きかも」みたいなのがうまくいく。多少スキルが低いメンバーでもその“好き”に共感してくれるのであれば、そのプロジェクトが成功するかどうかはともかく、楽しいことは保証できる。

115

創生されるべき未来(無形資産)の作り方

これから私たちが作るであろう未来は「無形資産」が中心となるだろう。しかし、無形資産の最大の弱点は、見た目があまりパッとしない、高度成長期のような視覚的価値に欠けるものにならざるを得ないことだ。とはいえ視覚以外の聴覚、嗅覚、触覚、味覚、あるいは時空間の流れ方に、より一層の豊かさを感じることができるのであれば、それこそが大正解であり、そのとき初めて私たちに持続可能性を議論する資格が発生するような気がする。

114

無形資産の耐久性

零細企業にとっての資本とは「ヒト、モノ、カネ」ではなく、あなた自身がすでに保有しているはずの無形資産になるはずだ。すなわち、関係資本(人間関係)、経験(知)、そして健康である。これに徹頭徹尾食らいついて起業するのが正しい。あなたが社長になってから身につけた貧弱なスキルに金を払うクライアントはいない。残念ながらあなたは、経験や人間関係と心中するしかないのである。

113

繋がることの意味

クライアントとの繋がり(つながり)には様々な種類があるが、もっとも理想的なのは、担当者レベルではなく、法人レベルでの信頼関係が構築できていることだろう。同じ繋がりでも法人との堅牢な接続は、担当者が人事異動でいなくなっても信頼関係が新しい担当に引き継がれるはずなので、取引が途絶えるということはなくなる。担当者が変わったことによりその法人との関係が途絶えた場合は、あなたはその担当者と単に仲が良かっただけに過ぎない。

112

“プロデューサ買い”が普通になる時代の到来

定年起業家はプロデューサでなければならない。プロデューサとは「特定の技能を身につけた営業マン」だと考えればいい。重要なのは、その技能と営業のポーション(portion)を自在に、場合によっては1日の中で、あるいは1時間のミーティングの中でも変化させていく力があるかどうかだ。その典型的なサンプルを「一人出版社の社長」に見ることができる。そしてインターネット(=ロングテールを発見しやすいネットワーク構造)はそれを支援してくれるだろう。インターネットがなかった時代の定年起業とはここが決定的に違う。

111

「主義(-ism)」に捉われるとロクなことにならない

「働き方改革」の最大の弱点は、雇用原理主義のようなものから逸脱するわけにはいかないというドグマに捉われていることにある。このドグマ自体が間違っているので「プロフェッショナル人材にも残業時間の上限を」といった意味不明な議論がゾンビのように次から次に飛び出してくる。人にとっての働き方としての正しいドグマとは、自給自足を前提とした社会的協力以外にはない。そして、自給自足の第一歩こそが起業に他ならない。

110

「みんなちがって、みんないい。」

様々な仕事の自動化が進むと、私たちは自分の個性を生かす作業に専念できるようになる。また、その個性の価値は、影響力を及ぼす範囲が広いほど高いというわけでもない。個性は、それを必要としている近傍にいる人にだけ適用されれば十分である。長年サラリーマンしか経験していないあなたにも個性はある(たぶん)。そして、その個性を小さな範囲で行使するだけで、メシは十分食えるのだ。

109

定年起業のエッセンス

起業するときの視野(事業のパースペクティブ:perspective)が年齢とともに狭くなるのは事実だ。20代の起業は「世の中、何でもありだぜ」という万能感に溢れている(ほとんどが勘違いなのだが)。30代の起業は比較的冷静な判断をしていることが多い。40代の起業になってくるとある種の悲壮感が漂いはじめ(筆者の場合がこれ)、50代や60代での起業など「無理」と考えてしまうのも止むを得ないかもしれない。ただし、この「視野が狭くなる問題」を能力の話だと勘違いしてはいけない。視野が狭くなる(できることが限られる)のは事実だが、会社の経営それ自体は才能とはあまり関係ない。世の中を見渡してみると、経営者にはむしろ無能で軽薄な馬鹿が多いことには、あなた自身も気づいているはずである。

108

「校友会」が地域活性化の肝になる

「ふるさと納税」は返礼品のお買い得感を競うゲームになってしまったので、さっさと止めたほうがいい。普通に考えれば、体力のある自治体にはそれなりにメリットがあるのだろうが、過疎化に悩むような地域は、このような仕組みのゲームでは負けるに決まっている。すでにその地域にはいない全国に散らばった出身者の“郷土愛”を活用するには、このような納税制度ではなく、関わった人の売上になるような仕組みが必要だろう。

107

手抜きの方法を必死で考える経営

「お座なり(おざなり」は「形式的には出来上がっているけど、なんとなく品質が低いもの」で「なおざり」は「途中まではやったけど、そのあと放置されているので未完成なもの」である。どちらであろうと、仕事でこれをやってしまったらアウトだ。ところが定年起業家は、気力も体力も底をつき始めてからのスタートになる。だからこそ定年起業家は、戦略的に“手抜き”をやらないと納品物がお座なり/なおざりになりがちである。手抜きは決して悪いことではない。むしろ自分の得意技に集中するための有効な手段だ。

106

情報通信産業の特性を正しく理解しよう

私たちは、人工知能が仕事を奪うかどうかが議論になる以前から、情報通信産業が雇用を減らしてきたという事実を見逃していた。情報通信は、いわゆる非正規雇用者の激増に一役買っている。スマホは持っているが定職は持たない人にその構造が集約されている、といえばわかりやすいだろうか。資本生産性の高い情報通信産業が膨れ上がるほど、その他のすべての産業における雇用にダメージを与える、という構図が浮かび上がってくる。

105

メールは「伝わらないもの」と心得よう

定年企業家が身につけるべき最重要のITリテラシーは、コミュニケーション・ツールとしてのメールの使い方である。インターネットがあればどこでも仕事ができる、とは言うものの仕事やそれにまつわるコミュニケーションというのはそう単純なものではない。メールで伝わるのは言葉ではなく文字に過ぎない、ということを理解しよう。メールは文字で書いたこと以外は何一つ伝わらないのである。

104

毎日出勤するために起業しよう

昨日まではできたことが今日はできなくなる、これが“老いる”ということだ。今日も昨日とあまり変わらずに、つつがなく過ごせることが実に幸せなことなのだと実感するためには、それなりの時間を必要とするのである。定年制度は、その人のある年の誕生日を境に、そのように“つつがなく過ごせた”日々を乱暴に断ち切る制度だ。そして定年起業とは、その制度に柔らかく立ち向かう最も有効な手段である。60歳からの貴重な5年間を無駄に過ごすことになる再雇用制度といった姑息な延命策には、背を向けるべきであろう。

103

2人でカラオケに行ってはいけない

喫茶店での雑談にしても、ブレーンストーミングをする場合でも、3~4人が最も楽く、参加した全員の満足度が高いはずだ。これは気の置けない仲間と集まっているからではなく、「3」あるいは「4」という数字が固有のポテンシャル(potential=潜在力)を持っているからだ。数字はそれ自身が天然資源だ。舐めたり触ったりすることができないという弱点はあるが、在庫が無限大で仕入れコストがゼロ、しかもすべての人に所有権・利用権がある。数字を直接仕入れるという考え方を取り入れるクセをつけることは、特に零細企業の経営において極めて有効に働くだろう。

102

安全と安心の起業

ヒトというのは大変厄介な生き物で、ある事象についての安全が数値で示されると、その数値を超えた状態に関心が移ってしまう。安全を規定していない領域での安心の度合いが知りたくなるわけだ。クルマの場合は許容回転数を越えれば(Over REVという)エンジンブロー(engine blow-out)して一巻の終わりだが、中年起業でそれをやるわけにはいかない。では安全な起業とはどのようなものだろう。

99

働き方改革を実現する唯一の方法

自分には会社を作る能力などない、と卑下する必要はない。大した才能のない凡人でも会社は経営できる。固定費を限りなくゼロに近づけることができれば、大した売上がなくとも会社が潰れる事はない。贅沢はできないかもしれないが、自分の好きなことや得意なことに専念するような働き方をしてさえいれば、少ないかもしれないが顧客はそのうちついてくるだろうし、長いこと生きていれば2~3回程度はビッグチャンスが訪れるはずだ(それがビッグチャンスだと気がつくかどうかが、勝負の分かれ目だったりはするのだが)。

98

間違いはクリエイティブの源泉である

人工知能を実装したサービスがどんどん普及してくると、それらが私たちの仕事を少しづつ侵食していくようになるのは間違いない。ただし、それが不幸なことかどうかはまた別の話だ。なぜなら、人工知能の普及によって私たちの仕事の意味が、むしろつまびらかになるからである。そして「間違える」という行為が私たちの仕事の中核をなすものだ、という認識を与えてくれるだろう。間違えるという行為は遊びという行為と表裏一体なのだが、実はこれがクリエイティビティの源泉なのだ。

97

ライドシェアはヒッチハイクになる?

改札が自動化されることで駅員の仕事が変わったように、自動運転車が普及すると、タクシードライバーの仕事は今の業務とは相当かけ離れた、たとえば観光ガイドのような仕事になる可能性が高い。ただ、よくよく考えてみると、教師にしても医師にしても調理師にしても、すべての仕事は「ガイド」と言えないこともない。自動化が進むことで、人の仕事が本質的にはガイドであることがより鮮明になってくると同時に、人間だからこそ可能なガイドができないと「AIに任せておけ」となってしまう可能性も否定できない。

96

60歳からの無借金経営と健康問題

定年後に、自分の趣味や好きなことに没頭するのも悪くはないが、すぐに飽きるだろう。あなたが他人から必要とされている、という実感がそこに発生しないからだ。他人から見た時に、あなたの居場所や存在意義が第三者の中に存在していない状態は、必ずあなた自身を蝕むことになる。必要とされているという実感を持つためには仕事をするのが一番いい。ボランティア活動に精を出すのもダメだ。少額で構わないので金銭のやりとりとそれに伴う軽いストレス(適度な緊張感)がある状態が良い。それがあなた自身の健康につながるはずである。

95

私たちに必要な「スポーツメディア」

2020年の東京パラリンピック・オリンピック開催を控え、私たちは今までには存在しなかった“スポーツ専門メディア”を必要としている。目的は「健康」、そのために必要な編集軸は「応援という行為」「生涯を通じての働き方」そして「道具論」の3つである。

94

10万社の新しい中堅企業

コミュニケーション系ITを駆使し、密度・立場・濃度・関心・境界面・全体感・地域性などを最適にデザイン、機動力・意思決定・個性・方向転換・マーケティングのそれぞれに力をつけ、結果として高い市場占有率と収益性を確保する。そのような、従業員数数百人くらいの10万社が存在するはずである。彼らが次世代の日本をリードする優良企業だ。42/54的零細企業は彼らとうまく付き合っていくことが必須になるだろう。

93

執行役員だった人の起業とこれからの成功イメージ

争うように上に伸びようとするビルやマンションの建設、大馬力エンジンを搭載し高速道路を爆走する自動車、そしてひたすら社員と売上を増やそうとする大企業、などが従来の成功イメージだろうか。しかしこれらの成功イメージのどれからも何ら知性(intelligence)を感じないということには同意いただけるだろう。これから起業する人が目指す「成功」は、売上という指標は恐ろしく軽視され、限られた範囲での信頼とか信用などの関係資本を最大化する、という方向に舵を切るのではないか。

90

言葉にはそれ自体にポテンシャルエネルギーがある

私たちは言葉の使い方一つで妙に元気になったり、必要以上に悲観的になったり、あるいは勘違いしたり、ということを繰り返している。しかし会社を作ってしまう人に共通する傾向は概ね“楽観的”というところにある。従って、起業するときにはポジティブな言葉を多用し、ローコストに自分自身を励起状態に持っていきたいところだ。しかし語源などを調べていくと、私たちが日常的に使っている言葉には負のエネルギーをもたらすものが数多く散りばめられているのも確かだ。あまり使うべきではない言葉を長年の癖で使ってしまうのは知らず知らずのうちに自分にダメージを与えることがあることに注意しよう。

88

東京から仕事を獲得せよ

これから起業する人は、自分の会社の本社所在地がどこであれ、東京から仕事を取ってくるしかない。東京との関係資本(人間関係)をつくらずに起業することは、文字通りの“ベンチャー(冒険)”になってしまう。日本という国の地盤沈下度を考えると、本来、東京すらあてにせず外貨を稼ぐことが理想的ではあるのだが、それでなくても様々な障壁があるところに言語の障壁と文化の障壁を積み重ねるのは、起業直後の零細企業には無理である。従って、“腐っても鯛”の東京からきちんと稼げるようになることをまずは検討しよう。

87

すべての記事は広告の一形態である

広告はある特定のスポンサーが特定のメッセージングのために費用を負担している。一方、同じメディアで記事と称するものを生産するための費用は読者が負担している。1社が多額を費やして費用を負担している広告も、たくさんの人から集めたお金で作った記事も、メディアの当事者ではない第三者による金銭の贈与を前提にしているという意味においては同じである。このように、基本的に全ての公衆向けメッセージは広告であるという基本構造を理解しておかないと、「記事と広告の区別が云々」と言った初心(うぶ)な議論に血道をあげることになってしまう。自分が作った会社をPRしていくときに多少は参考になると思うので、このあたりの話題をご提供しておく。

86

専門性という売上げと教養という経費

専門性は、影響力を行使していくこと自体に価値があるが、教養はむしろそれをあからさまに起動させない姿勢の中に価値がある。また、専門性は社会の様々な問題を解決するために役立つ一方、教養はそれが役に立つような事態にならないように祈る態度に内在している。そして、専門性はカネになることが多いが、教養は経済問題とは距離を置こうとするだろう。

85

“専門家”としての中年が起業するとき

専門性が高いということは活動領域と人脈が限定的であることを意味するので、その能力は他の業界に移植させるのが難しい。また、経験知が豊富なので課題を抽出する能力と根本的な問題や発生するであろう事象について深く洞察する能力にも優れている。しかも処理速度が速く、かつ自分の能力を客観的に判断できる冷静さがある。しかし、それでもこの「専門性」というものが手放しで礼賛されるべき価値なのかどうかはかなり怪しい。

84

未来永劫通用する日本的経営は“昔から利用されている言葉の中”に隠れている(かも)

情報、電撃的、統制、戦術、戦略、撤退、偵察、補給、派遣、射程、先制、空中戦、作戦、采配、速攻、遠征、兵隊、武器、援護射撃、狙い撃ち、最前線、激選区 というような言葉を多用する人とはあまり仕事したくない、というのが人情だろう。会社経営がある種の戦争あるいはゲームであることは否めないが、これからの経営に必要なのはこういう言葉群ではない可能性が高い。

83

100歳でも仕事をしているかもしれない自分を想像できるか

呼吸に要する時間は体重の1/4乗に比例する。ここから、哺乳類の心臓は一生の間に15億回程度打つという計算ができるという。鼓動の回数が同じなら体重が小さければ早く死ぬ、ということにもなる。寿命の長短に生物の(種としての)違いが現れるのだとすれば、寿命が50年のヒトと100年のヒトはもはや同じ生物ではないのだから働き方も違うものになるはずだ、という仮説はさほど乱暴ではない。

81

ユニフォーム効果

どこにでもいるような善良なお父さんでも、警察官の服装というユニフォームを身にまとってしまうと威圧的に振る舞うことが許されているように錯覚する、という“効能”がある。私たちも、ユニフォーム自体が社会的メッセージや機能を保有していることを知っているので、後ろめたさがある人は彼を目撃しただけで身構えてしまうことになるだろう。

80

愛とは後悔しないこと。勝負は朝の10時についている

42/54はあまり「仕事術」的なネタは作らないようにしているのだが、今回はそれに近い話題をひとつ提供する。それは「(その日は)いい仕事をした、何の後悔もないというときは、朝の6時から10時までの間に非常に濃厚なデスクワークをこなしているはず」ということである。

79

再度、小学生とプログラミング

コンピュータを言葉で説明することはとても難しい。コンピュータという「発明」は、何々のようなものという例を挙げることができない。また、性能向上が桁違いで、実感できない程である。言葉を使わずにコンピュータとは何かを知るためには、コンピュータに直接触れるという体験が不可欠である。その直接触れるということが、すなわちプログラミングなのである。

78

経営者は最低でも3回転する

会社経営において“経営者自身に在庫回転率がある”という仮説を考えてみると面白い。この場合の“回転”は 10年スパンくらいの大雑把な仕事のサイクルを指す。1)蓄えられていくノウハウ、2)衰えていく体力、そして、3)馴化することによる刺激の喪失(簡単に言えば“飽きる”ということ)の3要素と相談しながら、仕事のスタイルを変えていく。単純で貧乏くさい上昇志向ではなく、どんどん脇道に逸れて行く状態自体を楽しむような「回転」こそ42/54的起業家に相応しい。

77

社会関係資本ベースの経営への移行

日本企業での長い労働時間と低い収益性は様々なところで問題点として指摘されており、日本の駄目な点の最右翼だったりするのだが、果たして本当にそうなのだろうか。労使ともに合意の上で行なわれている長時間労働には、お互いにそれなりのメリットを感じているのではないか。職場に長時間滞在する本当の意味はどこにあるのだろう。

76

ブレーメンの音楽隊

生物がやっていることは、基本的には自分と種の保存、および安全の確保のための行動のはずだ。群として行動することで大きな生き物のように見せ、生存戦略上の優位を確保しようとすることも多い。この時、人や人工物を単一の種(しゅ)ではなく多様な種として認識した上で、どのような協調行動が可能なのかを考えることが重要なポイントになるだろう。

75

「コンコルドの悲劇」に何を学ぶか?

埋没費用と事業成功の可能性には何の因果関係もないこと、自分は自分自身が持つ専門性との戦いを控えていること、そして自分自身の専門性は必ず歪(ゆが)んでいること、私たちはこの3つについて「コンコルドの悲劇」から学ぶことができる。

74

フリーエージェント的体質との付き合い方

どのような雇用形態であろうと、成果と無関係に一定額の報酬を支払い続けると、仕事の品質は劣化していく。そうなってもある程度持ちこたえるのが大企業のいいところ(?)なのだが、零細企業は存亡の危機に陥る。経営者が行うべきは「ベクトルを合わせる」という一点に尽きる。だが、技能は高いがベクトルが合わないことが多いスタッフの代表格が「フリーエージェント」なのだ。

73

顧客は“品質”をイメージできない

そんなバカな、と思うかもしれない。しかし、何度やってもそうとしか思えない。不特定多数のコンシューマーに向けた大量販売の経験はないので、あくまで特定の事業者へ納品するサービスや製品の場合に限定した話ではあるのだが、顧客はやはり“品質”をイメージできない、あるいは顧客の品質イメージを規定してあげるのが納品する側の義務のようである。

72

42/54的サンプル 北野・竹田・田邊の会社経営

情報通信系・メディア系という意味では業界もほぼ同じ、しかも起業した経緯や設立当初の業務内容が酷似していた42/54メンバーの3人の会社でさえ、10年以上が経過すると、その経営形態は3社とも全く違うものになっている。そしてそれは、本人が想定していた形態ですらない。

71

予想外という価値

人間は生まれながらに偶然性(serendipity)や予想外の出来事を期待しているところがある。極端な賭けは身を滅ぼす危険があるが、適度な当たり外れは、それ自体がエンタテインメントだ。零細企業経営の面白さはこの「適度な浮き沈みをある程度コントロールしながら楽しめる」というところにある。

70

勝手に“バージョンアップ”する楽しさ

もちろん、そこそこ儲かるに越したことはないが、零細企業経営にとってそれ以上に重要なのは「好き勝手なことを誰の許しも必要とせずにやれる楽しさ」にある。自分の裁量権とその時の関心だけで小さな事業を始めたり、あるいは適度に育てたり、そして潰したりできる、ということだ。固定費の流動費化がうまくいっていれば、より一層の方向転換の自由度が高くなる。

68

ワークライフバランスという言葉は何がおかしいか

私たちが当たり前のように受け入れていた“定年”という制度は、厳しい言い方をすれば、年齢を根拠にした一種の就労差別である。今まではそれでも良かったのかもしれないが、寿命が驚異的に延びてしまった今、その致命的な欠点を露呈しているように見える。ワークライフバランスという言葉はこの“定年”という制度・悪癖と実に相性がいい。しかし、仕事がある日突然、強制的に終了させられてしまうという不自然な制度による悪影響から逃れるには、起業してONもOFFもない状態を作っておくのがベストだ。この状態の“価値”は実際に起業してみないとわからない。そして(おそらく)死ぬまで有効である。

67

小学生にプログラミングを必須科目にしてはいけない

何かを創造しようとする時に、論理的であることはさほど重要なことではない。出来上がったサービスや作品に共感できるとか美しいと思える時には、論理のレイヤーではなく表現のレイヤーが重要な役割を果たすからだ。論理的思考がその威力を発揮するのは、意外なことにサービスや作品を創造した後である。

66

First Cut is the Deepest : 最初の失恋が一番印象的で思い出深い

通常の学習は一定時間の繰り返し動作により機能を強化していくことが多い(“1万時間の法則”なるものがまことしやかに囁かれているが真偽のほどは不明)が、「刷り込み(imprinting)」は最初の接点が後々まで大きな影響を与える。ただし、これもまた学習の一つと考えられている。

65

防衛的起業とギグ・エコノミー(gig economy)

自分のスキルの市場価値が比較的長期間高止まりしそうであれば、きちんとした法人格を持った個人事務所を作った上で「ギグエコノミー」に積極的に参加するのは悪くない。しかしこれは、正社員になれない(あるいは指向しない)フリーランスが極めて短期間・短時間の仕事をクラウドソーシングを通じて請け負う、という形と「状態としては同じ」だ。

64

放送大学を聴け

経営者になると、学習のための時間をほとんど取れないという悩みに直面するはずだ。どうしても日常的な活動時間はすべてを売上増加のために費やすことになる。そんな経営者の強い味方になるのが「放送大学」だ。但し、使い方にコツがある。

63

視覚情報優位時代の終焉

物欲が満たされていないという窮乏感は高度成長期の最大の駆動力として機能したはずだが、それがある程度満たされているという前提の頃に生まれた世代には、その窮乏感自体が存在しないので、目に見えないものを繊細に感じ取る能力が高い可能性がある。これは過剰な視覚優位に依存していた異常な時代から、総合的な意味で“まとも”な時代へのシフトの原動力になり得ると考えられる。

62

少人数でシェアする「情報量の多さ」にこそ価値がある

メディアで頻繁に登場する「情報爆発の時代」という言葉は単にデータ量が急増していることを指しているに過ぎない。一方、情報量はデータ量とは異なる概念で、「あなただけに必要な情報量」自体はさほど増えていない。

61

「事務所は郵便局のそばが良い」の心は?

シェアリングエコノミーなどとカッコつけた言葉を使わなくとも、共有財の「仮想の私物化」は極めて経済合理的である。管理コストが桁違いに小さいからだ。ここで一番重要な変数は「距離」になる。近くにある/近くにいるのであれば、わざわざ高いカネを払って所有することに何の意味もない。さらに、仮想的に私物化したいものがデジタルならば距離さえも問題にならない。これを世間では「クラウド」と言う。

60

経営者にコミュニケーション能力は必要か?

コミュニケーション能力は持って生まれた遺伝的因子と環境因子で子供の頃に決定する。大人になってからトレーニングして身につけたコミュニケーション能力は、生得的な能力ではないことが透けて見えてしまうので、このトレーニングは時間の無駄である。

58

副詞に潜む「好き」に着目せよ

本当の「好き」は名詞や動詞ではなく副詞の中に隠れている。副詞は動詞の修飾語として利用されることで「状態」あるいは「程度」を表す。副詞こそがその人の「好き」を読み解くときのキーワードになる。オブジェクト(対象物)の好きではなく、状態の好きを発見しないまま起業するのは危ない。

57

インターネットとは何か?

「インターネットって通信回線のことでしょ?」は間違いではないが正しいとも言い難いので、本質的だが少々乱暴な解説をごく簡単に。これから起業する中年サラリーマンが情報通信革命を煽るメディアの報道などに右往左往しなくて済むようにしたい、というのが目的だ。押さえておくべきポイントは「情報通信革命なるものの正体は『仮想化』に尽きる」いう点だ。

55

営業部隊は即刻解散せよ

「営業」とはコミュニケーションの方法、あるいはもっと大げさに言えばその企業の風土や文化みたいなものであって「職種」ではない。労働がある種の専門性に対する報酬の提供だとするなら、定義が曖昧でそのケイパビリティ(capability)がはっきりしない「営業」という言葉は使わないほうがいい。しかし「営業が職種を表すわけではない」という言説は、分からない人にはおそらく永遠に受け入れられることはないだろう。

53

スタートアップ・ベンチャーは「外でやれ」

自分の会社は「ローリスク・ローリターン」で堅実な経営を行い、憂さ晴らし・ハメを外した行動・チャレンジ等の危ない行動は、別の会社に出資する形で「費用限定的かつ実験的」にやってみるのが良い。起業後3~5年後くらいで、この程度の「遊び」ができる状態にもっていくことを目標にするのも悪くないだろう。

52

10万円が重要な基礎額である

9万円と10万円は「桁違い」なのだ。発注する立場からすれば、9万円というオファーはあり得ない。多少無理をしても10万円にしたほうが、外注先のモチベーションがまったく違うものになる可能性が高い。

50

「正しい見積書」の作り方

「毎月定額の支払いだが、作業のボリュームや内容は時期によって異なる」ということで両社が合意可能かどうかが見積書の書き直しをしなくて済むかどうかの分かれ目になる。1年間に発注者が支払った費用(=同じ期間に受注者が計上した売上げ)とその成果物に対して、両社が納得できているかどうかが重要だ。しかし、この手法の最大の弱点は「信頼関係が構築されている相手でないと成立しない」契約である、ということだ。

49

「請負契約」とは何か?

請負契約とは、「信用」をうまく活用することによって、両者の売上高利益率を高めようとする協調行動だ。信用は「積み重ねて分厚くすることができる」という特徴がある。未来の信頼を引き出す手段としては、過去の信用取引がもっとも有効なのだ。すなわち起業直後に最初に納品するものが発注者からの信頼に応えるものであることが長期的な成功への第一歩、と言えるだろう。

48

副業禁止規定の廃止は「起業支援」に他ならない

単なる「サラリーマンの会社掛け持ち」は結果的にはすべてを失うだろう。その前にやるべきは自分自身の本丸を築くこと、すなわち起業である。「起業を副業から始める」のはソフトランディングの手段としては極めてエレガントだと思われる。

47

「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり」

「勝つ」と「負けない」は一見同じことを言っているようだが、実際にはかなり違う。「勝つ」はアタマ一つの差だろうが何だろうか、他を蹴落としてでもNo.1を目指すことになるが、「負けない」はNo.1にはほど遠いが、しぶとく生き残っている状態を指す。地味だろうがカッコ悪かろうが、なかなかゲームから離脱せず、(事業が)継続している状況こそが「負けない(経営)」ということになる。

46

「客であること」が仕事になる時代

労働(仕事)の中核にあるものは作業ではなく感情である。従って、様々な仕事が「自動化」されていくと、最後は感情だけが残る(剥き出しになる)ということになる。感情労働それ自体が仕事そのものになる時代になるだろう。

45

「現場感覚」は製造業の専権事項ではない

起業前に準備することはたったひとつ。「お客を探してくること」である。そのために必要なのは「歩き回る」ことだ。歩き回ることが売上につながる、というのは体育会系的な「現場感覚」である。

41

個人事業主の限界とプロジェクト・ベースの仕事

これからの仕事はすべてがプロジェクト・ベースで動くことになるだろう。特徴は「プロジェクトは組織の形式に優先する」ということだ。すなわちプロジェクトを遂行するために必要なスタッフは組織を超えて招集されることになる。これは「一般的な会社イメージ」とは非常に相性が悪いことに留意したい。

38

介護と起業

何かに対する挫折や受け入れざるを得ない外的要因からやむを得ず起業せざるを得なくなった人は多いはずだ、というのがこの「42/54」の創刊主旨でもあるのだが、その中で最も切実なのが親の介護が理由になっている起業だろう。

36

起業にあたって用意すべき一冊

繰り返し参照できて、寿命の長い書籍を常に手元においておきたい。その意味で絶対の自信を持ってお勧めできるのは「類語辞典」である。

34

労働の基本は「自給自足」である

賃金(雇用)労働は、1)分業形式が規模の拡大に寄与するための最適な形式であること、そして、2)なんらかの理由で「自給自足できない人の救済策」として有効であること、この二つを両輪にして増加してきた。この形式での労働人口が非常に多いため、私たちはこれをごく普通の労働形式と錯覚してしまう。

33

ストレスの「色」が変わる世界を体験してみたいか

給与所得者と経営者は「ストレスの色」がまったく違う。どちらが自分に「合った」ストレスかを考えることは「何がやりたいか」という表立った前向きな話を裏側から検討する行為になるだろう。