中年起業は、多くの不安と少しの自由を感じながらその静かな船出を迎えるのだが、筆者の場合、自身の起業直後に、すでに会社を経営している友人から(取締役として)手伝ってくれ、というオファーをそこそこ頂いたこともあり、少々どたばたしたような記憶がある。それらのオファーに無定見に付き合ってみたりしたが、これはあまりお奨めしない。コミットメントが分散するからだ。当たり前のことだが、起業直後は自分の会社の経営に専念したほうが良い。何期か回してみて様子が見え始めたら、そのようなお誘いに乗るのも悪くはないのかもしれない。
悪くはないが、それよりも優先すべき別のことがある。自分の会社が安定軌道に乗って、ある程度の余剰資金(内部留保)ができるようになったら、会社にダメージを与えない範囲のカネを使って、(いわゆる)ベンチャーを作ってみよう。本当は自分の会社でやってみたいのだけど、多少リスキーだと思われる事業をそっちに回してしまうイメージだ。
自分の会社を堅実な零細企業として維持しつつ、スタートアップ・ベンチャーは「外でやれ」ということだ。経営資源(主に時間をベースにした労働力)としての自分を100%自分の会社に振り向けるという前提でできることは基本的に「出資」になるはずだ。余剰資金を出資に回し、共感できる仲間と、社長をやってくれそうなスタッフ(若い人がよい)を探し、事業計画の構想と出資をセットで実行してみよう。
言うまでもないが、零細企業のあなたが出資してよいのは、いわゆるシードマネー(seed capital)だけだ。既にバリュエーションがついてるステージにいる企業に出資するのは止めたほうがいい。自分の意図を反映させる時期を過ぎていることが多いからだ。
当該ベンチャーの事業計画の策定そのものには時間を惜しまないほう良いが、常勤の経営メンバーになるのは避け、自分自身のポジションは社外取締役程度にしておくのがよい。「所有はするが経営はしない」というスタンス、すなわち株主としての参画が優先すると考えよう。議決権比率にどの程度こだわるかは個別の考え方次第だが、出資金は回収を前提としない寄付(donation)のようなものであると心得たほうがよい。「帰ってこなくてもよいお金である」という割り切りが重要だ。
IPOの可能性はゼロでかまわない、というクールなスタンスのほうが、純粋に新規事業の運営自体を、その意義も含めて楽しめるように思う。あるいは、日本の株式市場もある程度熟成してきているので(=市場が成熟するとベンチャーを買収できる資金的余力のある企業が増加する)、IPOを意図的に避け、事業譲渡を前提にした起業を選択肢にしておくのも面白いかもしれない。
いずれにせよ、自分の会社は「ローリスク・ローリターン」で堅実な経営を行い、憂さ晴らし・ハメを外した行動・チャレンジ等の危ない行動は、出資した会社で「費用限定的かつ実験的」にやってみると精神的にバランスするような気がする。自分自身の会社を作ること以上に、自分がもはやサラリーマンではない楽しさを一番実感しやすいからだ。
なお「リスク」という言葉は案外難しい概念を含んでいるということを心得ておこう。文字通りにはもちろん「危険」という意味だから、反対語としては「安全」ということになる。しかし、そもそも人の人生や会社の経営はある程度のリスクとセットになっているので、あとはそのリスクの発生頻度と、発生してしまった場合の(リスクの)大きさが問題になる。リスクが数値化可能だとすれば、リスクがない状態、すなわちゼロ(zero)がリスクの理論上の最大値(これから起こりうる事象こそがリスクなので)ということになるが、お気づきのようにこの状態は実在しない。
そう考えると、普段私たちが「リスク」という言葉を使用したくなる局面では、「ボラティリティ(volatility:資産の変動幅)」という言い方に変えたほうが妥当かもしれない。自分の零細企業はボラティリティは小さい(=安定している)ほうが良いし、自分が出資した別のベンチャーはボラティリティが大きいほうが面白い(上場から倒産までのレンジ(幅)=volatilityが非常に大きい)。
請負業務が中心の零細企業においても「取引社数が多く、売上単価が低く、平均契約期間が長い」場合はボラティリティは小さい、ということになり、「取引社数が少なく、単価が高く、期間が短い」場合は、嵐の大海原で荒れ狂う波の上で乱高下する小舟のような経営、ということになる。

- 書名
- 会社をつくれば自由になれる
- 出版社
- インプレス/ミシマ社
- 著者名
- 竹田茂
- 単行本
- 232ページ
- 価格
- 1,600円(+税)
- ISBN
- 4295003026
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