42/54が書籍になりましたBook

42/54 の書籍版のタイトルは、いくつかの紆余曲折を経て『会社をつくれば自由になれる 』となりました。3年前にオープンした当サイトで書き連ねてきたコラムの中から、主に筆者(竹田)によるものを中心に、ミシマ社の星野友里(ほしの・ゆり)さんが再構成・再編集し、加筆・修正していくことでようやく刊行に漕ぎつけることができました。この本の事実上の作者は星野さんであり、筆者は単に素材を提供したに過ぎません。それなりに売れたとしたら星野さんの編集力の賜物であって、売れなければ筆者の力不足によると考えていただいて良いと思います(注1)。

この書籍が一貫して訴えているのは、一言で言えば「法人格の主体になると裁量権を最大化できる」ということに尽きるのですが、そんな面倒な主張をタイトル(書名)にしたところで売れるわけがないと考えた星野さんや販売元のインプレス・井上薫(いのうえ・かおる)さんからの提案で「自由」という言葉を入れよう、ということに相成りました。

「自由」というのはみなさんご存知のように案外難しい概念です。本書の中でも若干「自由」に関する記述(=禅宗による解釈が日本人にしっくりくるだろう、としています)を試みていますが、実はこれ、ホッブズ(Hobbes)だのロック(Locke)だのルソー(Rousseau)だのが亡霊のようにぞろぞろ登場してきて、最後はミル(Mill)が止めを刺すことになっているうんざりするくらい面倒な言葉です。ただし同時に、自由という言葉自体が各方面からの説明を求めてあちこちをウロウロしているようにも見えます。

例えば、ということで「制約が機能として振る舞うことで自由を獲得できる」ということについて解説してみます。

長時間のデスクワークに没頭した後、気分転換のために椅子に座ったまま両腕を思いっきり上に伸ばす、というのは私たちが普段からよく行い、またよく見かける光景です。この時私たちが何故思いっきり腕を伸ばすことができるのかといえば、思いっきり腕を伸ばしても、腕の長さ以上に腕が伸びないことを心得ているからです(アホらしいと思わず読み続けるように)。これがもし伸縮自在でゴムのように伸び縮みする(一見便利な)腕だと天井を突き破ることになり大怪我をします。腕が腕の長さ以上に伸びないことを知っているからこそ“思いっきり”腕を伸ばせる。腕の長さという物理的・身体的な制約のおかげで思いっきり腕を伸ばす“自由”が獲得できている、ということに着目してほしいわけです。

これはハンディキャップのある人があえてスポーツに没頭したくなるのと酷似しています。そもそも私たちの日常生活や街中の移動は無数の予期せぬ障害物が予想外の動きを繰り返す不愉快で複雑で危険な空間です。身体はそのセンサー機能をフル稼働させ、防衛的に振る舞うことを余儀なくされます。これに比較すると、スポーツは非常にシンプルな規則(制約)で仮想的な理想空間を提供してくれるので、思いっきり身体機能を拡張させることが可能になります。制約によって身体機能を最大限に活かす自由と安全を保障することが、最終的に身体を最大限ストレッチさせる快感をもたらしてくれるのです。日常生活空間と比較した時のこのスポーツ空間の気持ちよさは(特にハンディキャップのある人にとって)ルール(regulation)および空間的制約がもたらしてくれる自由であると言い換えることが可能です。

これは、身体の活動のみならず、知的な活動と認識されている行為にも適用可能です。(小学校の頃の)理科の自由研究に比べて、制約だらけの読書感想文(書籍の指定という制約や、何文字以内の文章という制約が逆に成果を達成しやすい)がはるかに簡単だったのは制約の与え方(デザイン=定義)が優れていたからです。

実は会社経営自体もこの原理に沿っています。法人格を手にいれるとは「1年に1回は決算書を出せ、1月に1回は請求書を発行せよ、見積書は請求書よりも日付を前にせよ、経費精算も1ヶ月に1回が望ましい、契約書は法律に優先する、利益相反はやめろ、法人税はこの税率で、消費税は云々で,,,,etc」という膨大な制約と付き合うことを意味するのですが、この蓋然性のある制約は律動感(rhythm)を産み出すことに成功しています。規律や制約は心身の活動を思いっきり躍動させることを保証します。制約を機能として提供するという意味において、経営もスポーツも根本的には同じものなのかもしれません。

ハンディキャップのある人に伴走者が必要なように(注2)、経営者には法人格という伴走者が必須なのです。これはすでに2年前に田邊が当サイトで指摘している通りです。法人格とは単なる「経営のためのガイドライン(guideline)」に過ぎません。しかし法人格という制約としての伴走者が付与されることで、経営者は思いっきり裁量権を行使することができます。これこそが自由を手に入れた状態に他なりません。逆説的ですが、裁量権を確保するためにはよくできた制約が必要不可欠なのです。未だにボンクラ経営者である筆者がこれに気がついたのは決算書を5回ほど回した頃だったように記憶しています。

42/54は今後もコンテンツを追加していきます。今しばらくは、政府が推進しようとする“働き方改革”が論理的に破綻していることを説明する内容が増えるはずですが、起業までの考え方については本書をご一読いただければ基本的な理解が進むはずと自負しています。ぜひご購読ください。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
(注1)例えば同じ牛乳でもコップに入っていれば私たちの飲み物でしょうけれど、底の浅いスープ皿に入っていればペットのものかな?と考えるはずです。このように、素材の“意味”は入れ物次第で変わります。編集とはそのような表現の技術だと考えてください。今回の場合、筆者は牛乳を生産したに過ぎず、中高年の人たちに対して、美味しそうに見えるように、そして飲みやすくパッケージングしたのが(ミシマ社の)星野さんです。いうまでもなく後者の作業は前者に比べ圧倒的にタイヘンなのですが、書誌情報に担当編集者の名前を入れようとしないのは出版業界の妙な習慣の一つとして残っているようです。

(注2)ブラインドマラソン(Blind Marathon)という競技では伴走者が必要になる場合があります。伴走者は障碍のある走者に様々な情報を伝達し安全を確保するための存在ですが、これは実質的には“2人がペアになって行うマラソン”という新しい競技の誕生を意味します。このように、多くのパラリンピック種目は、私たちが思いつかない道具(gear)や人との協調行動による新しい価値を創造しています。ゲームのルールはその新しい価値をフルに発揮させるためのレギュレーションになっているはずなので、そのレギュレーションを丁寧に説明することがゲームの面白さを伝えることに他ならないのですが、NHKをはじめとするすべてのメディアにはこのあたりの理解と視点が決定的に欠けています。「ハンディキャップがある人を応援しよう!」という情緒的な支援が持続しないことは過去の被災地支援に対する態度からも明らかです。面白くなくても応援し続けてくれるのは一部の利害関係者だけでしょう。ではどうやったら面白くなるか。これはひとえにルールの作り方、すなわち制約の与え方に依存すると同時に、そのルールが制定された経緯も含め、いかに面白おかしく説明し続けることができるかに尽きると思います。メディアのスポーツ報道は「なぜこんなルールがあるのか」を徹底的に、そして継続的に解説し続けるべきです。