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星野リゾートはなぜ貧乏くさいか

「贅沢は貧しさの反対語ではありません。下品の反対語です」(ココ・シャネル)という言葉がある。ここに一つ日本語で付け加えたいのは、下品=「貧乏くさい」ということだ。貧乏は単に金の有無の状態であるが、貧乏くさいは自らの在り様が下品であることを示す。「貧乏」と「貧乏くさい」の間には天と地ほどの開きがある。

星野リゾートとユニクロに“同じ匂い”を感じるのはなぜだろう、ということが前々から気になっていたのだが、実はこの2社、“パターンの拡大再生産”という意味では、やってることが同じなのだ。うまくいったパターンを繰り返して無限に“規模”を大きくしようとしている点では同業だ。

一方は富裕層向けの高価格、片や大衆向けの低価格、という具合に価格帯も顧客対象も業種も異なるため、別のビジネスと認識しがちだが、根底にある思想は酷似しているように思える。この2社に限らず、多くの大企業が目指すところの、規模を追求するビジネスにはどこかしら精神的な貧乏くささがつきまとう。

カネがないのは本当の貧乏だが、カネや規模に対する飽くなき欲望も十分貧乏くさい(=下品)と呼んでもいい時代になった。ESG経営(投資)の推奨がこの動きを加速させている。ココ・シャネル風に言うならば下品の反対、すなわち贅沢(な経営)が求められる所以である。

無論、彼らのビジネスを真っ向から否定することはできない。日本という国全体で考えれば、むしろ必要不可欠なプレイヤーであろう。筆者自身(ごく一部ではあるが)ユーザーとして愛用させていただいているし、筆者のような零細企業の取引先にさえ世界に冠たる大企業が何社かある。ただし彼らは、これからの贅沢を考えるときの良き教師であるとは言い難いし、それが期待されているわけでもない。

(売上げ)規模と贅沢は無関係なのだ。高価格だから贅沢、という訳ではなく、また安いから貧乏くさい、という訳でもない。同時に、高価格な贅沢も、安さによる貧乏くささも腐るほど実在する。やや面倒臭い言い方をすると「価格を根拠にした贅沢の議論と量を追求するメンタリティ自体が貧乏くさい」のである。

贅沢とは何かを考えるときには、カネ(の多寡)の議論は外した方が良い。あまりに強力過ぎる因子だからだ。カネは議論の余地がない“正義”なのである。カネの力があまりに強いため、全ての事象がカネで解決できるように見えてしまう(実際、大半のことはカネで解決する)。その影響力を排除するのは本来不可能だからこそ、一旦、それを傍に置く必要がある。

そうしないと、「物価の安い地域なのであくせく働いてたくさん稼ぐ必要がない田舎暮らしは贅沢だ」という、まことしやかな話を素直に肯定できてしまう。もし仮に、日本国民が全員そのような暮らしを切望し、実現しているとしたらおそらく日本は即座にデフォルト(債務不履行)に陥る。「たくさん稼ぐ必要がない田舎暮らし」は「そうではない暮らし方をしている人がたくさんいること」を前提にしているから可能なのだ。

この「物価が安い地域なので~」の何がダメかというと、贅沢をカネで語ろうとしていることに起因する。しかし、この同じ事例を「仕事で拘束される時間が非常に短く、朝から晩まで、時間の大半を好きな読書に費やしている」という形でカネの話を除外して表現できるなら、これはずいぶん贅沢な暮らしだな、と羨望の眼差しが向けられることになる。その贅沢な暮らしが、自分が経営していた会社を高額で事業譲渡することができたからなのか、田舎暮らしだからかは単なる趣味の違いなので本来“どうでもいいこと”なのだ。趣味の良し悪しを議論することくらい悪趣味なことはない、と言えるだろう。

カネの影響力は「従業員のモチベーション・マネジメント」を例に出すともっとわかりやすい。モチベーションの研究分野には、下記のような様々な社会学的知見が存在する。一緒に働く人の(チームワークの)モチベーションはどのような方法でアップするのかということに関して、実に多くの知見や理論が提唱されてきた。

パス・ゴール理論、SL理論、DOCS(Denison Organizational Culture Survey))、BPR Business process re-engineering)、AI(Appreciative Inquiry)、ファーストペンギンの経済学、エンゲージメント(Engagement)、エニアグラム(Enneagram)、PM理論(PM Theory of Leadership)、U理論、Tグループ、クロスファンクショナルチーム(Cross-functional team)、ダイバーシティ・マネジメント(Diversity Management)、ダブルループラーニング(Double Loop Learning)、ハーズバーグの二要因理論(Herzberg’s theory of motivation)、ティシーの現状変革型リーダー論(The Transformational Leader)、シャートルのオハイオ研究(Ohio State Leadership Studies)、チーム学習(Team Learning)、組織の7S(Seven S)、ワークアウト(Workout)、ポジティブハロー(Halo effect)、ポーターの価値連鎖、ピグマリオン効果(Pygmalion effect)、ビジョナリー・リーダーシップ論(Visionary Leadership Theory)、フィドラーの条件即応モデル(Fiedler’s Contingency Model)、変革的リーダーシップ理論(Transformational Leadership)、ホフステードの組織文化モデル、レヴィンのリーダーシップ類型/アイオワ研究(Lewin’s Three Major Leadership Styles)、メンタルモデル(Mental Model)、マネジリアル・グリッド論(The Managerial Grid Model)、マクレランドの欲求理論(McClelland’s Theory of Motivation)、目標設定理論(Goal Setting Theory)、リレーショナル・リーディング(Relational Leading)、ストッグディルの特性論(Stogdill’s Trait Theory)、メンタリング(Mentoring)

……以下、無限とも言えるほど続く。これらの言葉の多くはハーバード・ビジネス・レビュー(Harvard Business Review)に必ずや一度は登場しているはずだ。

挙げたらキリがないこれらの高尚な理屈を一網打尽に退治できるのが“報酬”だ。極論すれば「休みなんてほとんど取れないよ。だけどみんなと仲良く、そして成果を上げてくれるのなら年収は3000万円を保証する」と言われれば、上記の理論などどうでもよくなり、職場の仲間に愛想をふりまきつつ馬車馬のように働くだろう。モチベーションを最高潮にしたければ、カネを与えればいいのである。

だがしかし、それをやってしまうと「それ以外の要素(=上記の理論群が仮説検証サイクルを回して解明しようとしているもの)」による影響力が完全に隠れてしまう。誰もが納得する拝金主義が前提になると、議論の必要がなくなり、存在していたはずの大切な問題を覆い隠してしまうので。(贅沢の議論においては)カネの問題は一旦傍に置いておきたいのである。

では、一体何を主たる因子として贅沢を考えるべきなのか、と言われればこれはもうたった一つしかない。「時間」である。時間の使い方、過ごし方、迎え方、そして他人の時間の仕入れ方、自分の時間の差し出し方、あるモノを作ることに費やした時間、などに贅沢のノウハウが隠されているはずだ。

「働き方改革」の議論がなぜこうも貧乏くさいのかというと、本来個人が持っているに決まっている時間の裁量権(使い方の自由度)に対して、第三者(の国会議員)が頼まれもしないのに、ああだこうだ、こうしたほうがいい、という余計なお世話をこちらに押し付けるからである。そもそも国家による時間の強制的行使の行き着く先が徴兵であることを自覚している国会議員がどの程度いるのかも甚だ怪しい。

無論、彼らもこんな面倒くさいことやりたくてやってるわけではなかろう。そもそもこの法案が必要になったのは、長時間労働をその原因とする労災だ。では、その長時間労働を強いたのは誰か。いうまでもなく経営者である。とくに規模の拡大再生産に血道を上げる経営者こそが真犯人だ。つまり「規模の拡大再生産に対する飽くなき欲望=貧乏くささ」が人を死に追いやったということになる。貧乏くささこそが諸悪の根源なのだ。

経営者がなぜ従業員を増やそうとするかといえば、いざというときに使い倒せるからである。固定の給与と引き換えに(従業員の)全ての時間を奪いたい、という欲望が全くない経営者はごく希れだろう。筆者のような、零細企業で社員ゼロ、自分のために働いてくれるひとが全員フリーランス、という場合はこうはいかない。

外注費が非常に多い経営というのは、仕入先(e.g.フリーランス)が顧客(=ご機嫌を伺う対象)になってしまう。時間単価でいうと間違いなく高額になる。なのでたまに「社員を雇ったらラクだろうなあ」と思うことしばしば、なのだが、「全ての固定費は常に流動費化する」という原則に忠実であろうとすることでこの欲望と戦っている、というわけだ。

ともあれ、このように「働き方改革」が叫ばれることになってしまったのは、冒頭の「規模の拡大再生産」という貧乏くささを遠因とすることができる。貧乏くささ(=下品)は最終的には人を殺傷する兵器にすらなるのだ。

さほど働いてないけどそこそこ儲かる、という状況を作らないとこの問題は根本的に解決しない。そして、その意外な補助線こそが“(時間の使い方から考える)贅沢”なのである。経営者と従業員が本当の贅沢を理解できない限り、働き方改革は永遠に成し遂げられない課題として居座り続けるだろう。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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