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少人数でシェアする「情報量の多さ」にこそ価値がある

メディアで頻繁に登場する「情報爆発の時代」という言葉は単にデータ量が急増していることを指しているに過ぎない。一方、情報量はデータ量とは異なる概念で、「あなただけに必要な情報量」自体はさほど増えていない。

50歳を超えたあたりから人生の終焉のようなものが具体的な形で射程に入ってくる。40代の頃からの「葬儀に参列する機会の増加」とは少々異なる切実感、自分の問題そのものになってくる切迫感のようなものを体力の低下と共に実感することになる。

こうなると、避けて通ることができない課題を克服の対象と捉えるのではなく、うまく付き合っていくためのマインドコントロールが必要になるのだが、この世代の自殺率の高さは、それがうまくいっていない人が多いことを物語っているのかもしれない(「年齢階級別の自殺者数の推移」を参照 )。

いずれにしても、あまり時間が残されていないことは確かなので、経営に関連した関心もぐっと絞らざるを得ない。具体的には、

1)カネはどこにあるか
2)ヒトはどこにいるか
3)非公開情報はどこにあるか

この3つになるだろう。

他の中小・零細企業がどんなに儲かっていても、それは自分には関係のないことだ。ましてや他業界のハナシともなれば、遠い外国の話と大差ない。国や都道府県の施策で興味が持てるのはごく限定された業種や地域向けの情報だけであり、一般公開情報はビジネスマンの常識として聞き流すだけで十分である。

請負業務が中心の場合、1)に関しては大企業にしか存在しないことが最初から分かっているので、どの大企業に潤沢な余剰資金があるのかを探すことになる。それも、当該の大企業全体を表す売上等の数字よりは、自身の事業と深い関係のある事業部の動向などに焦点を当てることになる。

2)について言えば、まず新卒が入社したいと思う企業に期待しているのは、安定感・業界上位・将来性・技術力・社風・企業イメージ・個性を活かせるか、といった項目であって、これは単に「大企業に入りたいです」とほざいているだけの話である(ただし、新卒の大企業志向は戦略的には正しいと思う)。

零細企業は新卒から相手にされていないので、最初からゲリラ戦になる。新卒でも中途でも構わないが、優秀なのに大企業に入りたがらない変なヤツを信頼できる人から紹介してもらう、という手段が軸になる。それ以外のリクルーティング・サービスのような手段は、あなたの貴重な時間を無駄な面接に費やすことになるので止めた方がいい。

さて、メディアを作ることを仕事にしている筆者のような立場で一番厄介なのが、3)である。

情報の語源は「敵情報告」の短縮語として明治時代の軍人が作った、というのが定説(森鴎外はそれを最初に使ったユーザーらしい)だが、シャノンの情報理論によれば、事象Eが起こる確率をPとするとき、 事象Eが起こったことを知らされたとき受け取る「情報量I」は、

I = log(1/P(E))

と定義される。

これは「起こりにくいことが起きた時ほど情報量が多い」ということを意味する。すなわち、考えられる事象の中から、ある特別なこと(=確率が低いこと)が起きたときに「情報量が大きい」と表現する。例えば、晴れか雨か曇りのはずの天気における「明日は台風が上陸」という情報は、情報量としては多いのだ(この場合、その台風が大型かどうかは情報量とは無関係)。

メディアが頻繁に利用する常套句に「情報爆発の時代」があるが、この時に彼らがイメージしている情報量はハードディスク容量と比例するデータ量を指していることが多い。しかし、情報理論上の情報量は確率の逆数なのである。

また、情報の価値はそれが提供される人が多いほど小さくなる。ブロードキャストされている情報(新聞、テレビ、Facebookなどで大量にシェアされている記事、Yahoo!ニュースなど)をベースに起業や経営を考えるのは、差別化戦略の放棄に等しい。

それに比較すると書籍は、典型的な多品種少量生産型商品なので、情報そのものの差別化ツールとしては比較的有利だ。最近、自著が10万部を超えたとほくそ笑んでいる著者と懇談する機会があったが、10万部売れても人口比で言えば0.1%に過ぎない(しかも、本当に読んでいるかどうかも怪しい)。統計的には無視できる数字なので、誰もその本は読んでないとみなして構わない。しかし、この「マスになりきれないところ」がむしろ書籍の強みだろう(団塊の世代がたくさん購入してくれる前提の価格設定をしてしまったのが出版業界の最大の誤謬だ)。

ともあれ、「多い情報量」を「少ない人数でシェアする」ことが情報優位の秘訣になる。このケースは人事で頻繁に出現する。筆者が前職に在籍していた頃は、それこそネット黎明期だったのと、国内マーケットがかなり有望だという思惑から「ある外資系企業が社長候補を探している、アイツに白羽の矢が立ったらしい」という情報が頻繁に入ってきた。

当該の外資系が日本にそのブランチ(支店)を作るのは1回だけと考えると、前述のように「情報量が多い(発生頻度が低い)」ということになる。そして人事のようなデリケートな情報は、非公開かつ非公式にごく一部の人の中を流れるだけだ。

(携帯電話などの)通信というサービスは「いつでも・どこでも・誰にでも」というユニバーサル・サービスでなければならないのだが、その中を流れるであろう中小企業向けの情報は「今だけ・ここだけ・あなただけ」でなければ商売にはつながりにくい。

というわけで、一般論としては広告媒体としての価値が高い(多くの人に情報が届く)メディアほど情報メディアとしての価値は低い、ということになるが、メディアから受け取った一次情報の受け止め方のリテラシーが高ければ、公開情報を自分だけの情報にしてしまうことが可能だ。

簡単に言えば「推測と結合」というオリジナルプロセスを介在させれば良い。この情報を受け取ったであろう不特定多数の行動を予測した時に、自分はどういう行為を用意すれば儲かるか、を検討する(ゲームの一種だと思ってもらっても良い)。

さらにもう一つは、予想外のものとの結合を考える癖をつけるといいだろう。「ゴールドラッシュ(Gold Rush)で儲かったのはリーバイス(Levi’s)だけだった」というサンプルを常に頭の片隅に置いておかないと、自分自身がレッドオーシャンの波の中でもみくちゃにされてしまうことになる。それだけは避けたい。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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