65

防衛的起業とギグ・エコノミー(gig economy)

自分のスキルの市場価値が比較的長期間高止まりしそうであれば、きちんとした法人格を持った個人事務所を作った上で「ギグエコノミー」に積極的に参加するのは悪くない。しかしこれは、正社員になれない(あるいは指向しない)フリーランスが極めて短期間・短時間の仕事をクラウドソーシングを通じて請け負う、という形と「状態としては同じ」だ。

最近、米国のメディアで頻繁に登場するのが「ギグ・エコノミー(gig economy)」という言葉だ。「ギグ」は、それほど親しいわけではないミュージシャン同士が、音合わせを兼ねてその場限りの演奏を試しにやってみて、相性を確かめ合い、意気投合すればレコーディングするかも、といったニュアンスのセッションのことだ。

ギグを通じてパーマネントグループが結成されることもないわけではないが、実際にはその場限りのお試しのライブ演奏が多く、ジャズとロックで比較的頻繁に行われる。ただし、ギグに参加するミュージシャンのレベルは総じて高い。素人はお呼びではない。

では、ギグ・エコノミーは単純なクラウドソーシング(=単なる「内職」と大差ないのだが)と何が違うのだろう? どうやらミュージシャンのギグ同様に、それなりのプロフェッショナル・スキルがあることが前提、というニュアンスが感じられる。つまり、著名人への講演依頼のようなものだ。

当たり前だが、講演依頼の場合、講演者(話題提供者)は主催社に所属する正社員である必要はない。スケジュールが空いていて希望の講演料が支払われるのなら受諾するだろう。つまり、ギグ・エコノミーで重要なポイントは、業務の請負者が価格決定権を持っている点にある。

また、価格決定権のみならず、複数のプラットフォーマー(仕事の仲介者)からの複数のオファーの中から、最も条件が良いものを選ぶ、という選択権をも手にすることになるだろう。そうなると、プラットフォーマーは価格競争(コミッションの削り合い)に陥ってしまう。

というわけで、最終的には優れたスキルを持つ個人を契約によって囲い込もうとするはずで、芸能プロダクションがやっていることがまさにこれに他ならない。従って、ギグ・エコノミーなどという新しい言葉を割り当てるほどのことではない、伝統的なビジネスに過ぎない、ということが判る。

前述の講演者が特定の法人と雇用関係にある場合、副業やその他収入の扱いに関する規定が存在するはずなので、著名人といえども自分で講演料を決定できないことが多いが、これが個人あるいは個人事務所であれば、法外な価格をふっかけることもできる(個人的に、ベストセラーが話題になった直後の作家の講演料として、とてもここには書けないような強気の金額を提示された経験がある。人気が下火になれば、声がかからなくなるだけの話でもあるのだが)。

自分のスキルの市場価値が高く、比較的長期間有効だろうと考えるなら、きちんとした法人格を持った個人事務所を作った上で、ギグ・エコノミーに積極的に参加するほうが無難である。しかしこれは、正社員になれない(あるいは指向しない)フリーランスが極めて短期間・短時間の仕事をクラウドソーシングを通じて請け負う(先に「内職と大差ない」と記述)、という形と「状態としては同じ」だ。

クラウドソーシングには「私ならもっと安くしておきますよ」というプレイヤーが続々と登場するので、逆オークション(Reverse Auction:競争入札)の原理が働きやすい。結果的に単価がどんどん下がり、それに合わせて品質も低下する。

単位時間あたりの労働単価が正規分布しているとしたら、ギグ・エコノミーは右端、クラウドソーシングは左端に偏在し、中間領域は何らかの雇用関係にある集団、ということになるだろうか。

右端は積極的に起業(株式会社としての個人事務所の設立)すればいいだけの話だが、左端を自覚している人にも「防衛的な起業が必要になるだろう」ということがこのコラムで強調したいことである。「あなたが公務員ではなくかつ雇用関係を嫌うのなら、起業するしかない」というだけの話ではあるのだが。

起業というと、どうしても前述の「右端」に所属する人向けのノウハウあるいはケーススタディがメディアでは積極的に取り上げられ、ある種の成功者あるいはエリートとして扱われる(失敗したケースは取材拒否の憂き目に遭うことが多いので、あながちメディアが偏向しているとも言い切れない。失敗事例の取材は成功事例の取材の約10倍のコストがかかると考えていただければ良い)。

自分の能力が過小評価されていると思うから起業する、という側面があることは否定できないし、起業できるような人は(ビジネスマンとして)優秀な人だと思われがちだ。しかし、実態としては消極的起業(もしくは家業を継ぐ、というケース)が大半だろう。「仕方ない、起業でもするか」という程度のノリである。

そうでなければ、この狭い日本にシャチョーが数百万人(平成26年度の法人数は261万6,485社。国税庁の平成26年度分「会社標本調査」調査結果より)も存在するわけがない。「左端」にいる人は、「私には起業なんてとても無理」と考えてしまう人が多いようだが、ごく普通に考えれば雇用されない人は会社を作らざるを得ないはずで、すでに数百万人のサンプルがあることを統計データは示している。

この実態は、サラリーマンや公務員にはピンと来ないのだろう。さらに加えて言えば、この期に及んで「年金で何とか食えるはず」と信じている人が案外多いのに驚かされる(ただし、大都市ではないところに在住し、教員年金が支給されるような公立学校の教師などには、それこそ「安定した老後」が保証されているのも事実ではある)。

問題は、このような防衛的(=消極的)起業をサポートする社会インフラが貧弱だということにある。例えば、「経営者しか参加できない労働組合」、あるいは「合法的な制度としてのカルテル」などが必要になるのだと思うが、そういう制度設計を推進しようとしている人を見たことはない。「最低労働賃金」のような議論は、実は零細企業の経営者にこそ必要だったりする。儲かってるフリをして異業種交流会などに参加している場合ではない。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
Amazonで購入するKindle版を購入する