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勝手に“バージョンアップ”する楽しさ

もちろん、そこそこ儲かるに越したことはないが、零細企業経営にとってそれ以上に重要なのは「好き勝手なことを誰の許しも必要とせずにやれる楽しさ」にある。自分の裁量権とその時の関心だけで小さな事業を始めたり、あるいは適度に育てたり、そして潰したりできる、ということだ。固定費の流動費化がうまくいっていれば、より一層の方向転換の自由度が高くなる。

ネットでちょっと検索してみると、創業支援を行う業者や自治体は、事業継続を支援してくれる業者に比べて格段に多い。“創業支援の方が圧倒的に簡単”だからである。

しかし、創業のための支援などそもそも不要だ。いくつかのポイントさえ押さえておけば馬鹿でも会社くらい作れる。むしろ、そこそこ馬鹿で能天気なほうが起業に向いている。神経質なサラリーマンほど「自分の会社を作るなんて、いい度胸している」と考えがちだが(起業のため離職する同僚に対して贈られるのは、賞賛というよりは尊敬・軽蔑・嫉妬が入り混じった微妙な視線のような気もするけど)、大企業での出世ゲームでの成功は、自分の会社を作ってそこそこ食える状態を作るゲームよりも遥かに難しい、と当の本人が一番心得ているはずだ。

出世を諦めたドロップアウト組が起業しているのであり、零細企業の社長はほぼ全員が、社会人としての模範的な振る舞い(儒教的価値観の実践とも言う)が苦手な落ちこぼれだと考えてよい。起業は“出世ゲームからの逃避行”に過ぎないのだ。ただ、筆者としては、“出世も諦めたが起業もしない”という状態が、深刻な問題の先送りであり最も危険な状態であることについて、今後も引き続き警鐘を鳴らしていくことになるだろう。

10年以上会社を経営していれば、その間にいろいろなことがある。傍目にも「うわっ、大変そう」と映るような局面も発生する。ちょっと儲かれば、当然のごとく重税に喘ぐだろうし、背中に冷たい汗が流れる状態を経験する人もいる。しかし、にもかかわらず、それらのデメリットを全て帳消しにしてしまうような“楽しさ”が経営者を癒してくれる。

実際には大して儲かるわけではないし、ごく一部を除いては「左団扇(うちわ)で悠々自適」みたいな状況からはほど遠い。表面的にいろんなトラブルやストレスが発生しても、会社を経営し続けている限り、そこには通底する“楽しさ”がある。これこそが事業継続のモチベーションになる。

この楽しさの正体を解きほぐしていくと「自分の裁量権で(事業を)勝手にバージョンアップできる」ということに突き当たる(取締役会を設置しなければ完全な独裁政権が実現可能だ)。新しいことをやってみたいときに、誰かに遠慮する必要はないということでもある(公序良俗に反することでなければ、だが)。

サラリーマン時代には、

・無能な役員でも理解できる企画書を作成し、
・話をする順序を精査した上で各方面への根回しを行い、
・その後、理論武装による説得をし、
・どう説得しても反対するはずの勢力の抑え込みを図り、
・経営会議での立ち居振る舞いについてあらかじめ陳情し、

といった一連の作業を延々と繰り返してきた。そして、ようやく承認が取り付けられるかと思いきや、事業承認を仰ぐ経営会議上で、タコな役員が不用意に昨日発売の週刊誌ネタを話題にしたために、

・それらの前処理の一切が水の泡に、、、。

というようなことを何度も経験した。こんな話に比べれば、「勝手にバージョンアップする権利100%」は、それだけでも夢のような世界、一種のファンタジーですらある。「案外儲からないもんだなぁ、、、」としょげ返った直後に「でも、まあ、好きなことやってるからねぇ、、、」と思い直すだけでストレスが瞬時に吹っ飛ぶ。

ただし、同じ起業でも上場を目指していたり、第三者増資を当てにしていたり、あるいは金融機関から多額の融資を引き出したい、などと考える場合は、それなりのデューデリジェンス(Due Diligence)が重要になってくるので全くの好き勝手はできない。むしろ、サラリーマン時代よりも厳しい監査を覚悟する必要がある、ということは注意しておこう。

「勝手にバージョンアップ」には、“前言撤回を繰り返す”ことも含まれる。そしてそのような傍若無人な振る舞いについていけるスタッフだけが残る(こういった零細企業の社長には若干の集客力、あるいは一種のカリスマ性ともいうべきものがあるようだが、これについてはまた別の論考で述べる)。

加えて、こちらは去るものを執拗に追いかけ、説得する体力が残されていないオジサンなので、逆に(離れていったスタッフと)妙な友好関係が持続したりもする。ついでに言えば、興味を失った事業を即座に止めてしまう、ということも裁量権としてカウント可能だ。このようにして、キャッシュフローを横目で睨みつつも、かなり感覚的に振る舞える自由度の高さが零細企業経営の醍醐味だろう。

ひとつだけ42/54的経営者に求められる必要条件があるとすれば、そこそこ優秀なプロデューサー(producer)であること、だろうか。プロデューサーはごく簡単に言うと、「回収責任者」と定義できる。ある期間に行われた投資に対してきちんと利益を回収(recoup)するために、配下にいるスタッフの業務全てをディレクションし、全ての雑務を引き受ける営業マンがプロデューサーに他ならない。

プロデューサーは資格ではないので、研修や座学を通じて晴れてプロデューサーになれました、ということはない(ありえない)。実績だけがエビデンス(evidence)になる。下積み時代(?)には何か別の職種・専門家であることが普通で、同じプロジェクトの他人の仕事も巻き取れるようになるとプロデューサー資格目前だ。

長期間にわたって培われた人脈が原材料になるはずなので新人には無理で、胸を張ってプロデューサーを自認できるようになるのは、早くても40代になってからだろう。つまり42/54的起業を目指す皆さんこそがその候補だと自覚していただければいい。

何億円ものプロジェクトの回収責任者になるプロデューサーには、乾坤一擲(けんこんいってき)の大博打を仕掛ける勝負師という側面もあるが、42/54的起業はスケールの多寡を問題にはしない。むしろ、小さなプロジェクトをたくさん回して、小さな利益を積み重ねるスタイルを推奨する。その小さなプロジェクトの一つひとつが「大した理由はないけど俺がやってみたいと思ったモノ」だから楽しいし、失敗しても後悔しない(反省はするけどね)。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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