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情報通信産業の特性を正しく理解しよう

私たちは、人工知能が仕事を奪うかどうかが議論になる以前から、情報通信産業が雇用を減らしてきたという事実を見逃していた。情報通信は、いわゆる非正規雇用者の激増に一役買っている。スマホは持っているが定職は持たない人にその構造が集約されている、といえばわかりやすいだろうか。資本生産性の高い情報通信産業が膨れ上がるほど、その他のすべての産業における雇用にダメージを与える、という構図が浮かび上がってくる。

新聞(紙)を作るには、輪転機を動かすことも含め、膨大な資本を必要とする。一方、ブラウザで閲覧することを前提にしたメディアは小資本で作ることが可能だ。筆者が小さな会社にもかかわらず複数のメディアを運営することができるのは、インターネットというインフラの存在を前提としているからに他ならない。

投下した資本は売上を計上することで回収できるわけだが、ネットメディアの場合、一人あたりの売上高は、輪転機を必要とする大資本によるメディアよりも高くなることが多い。資本そのものがデジタル化されている場合、従業員を徹底的に少なくすることが可能なので、結果的に資本装備率が高くなる(資本装備率=投入されている資本の量を従業員数で割った値)。結果として、資本の絶対量では大手新聞社と比較することすらおこがましい小資本メディアでも、“一人当たり”であれば優位に立てることも珍しくはない。

装備している資本が情報通信インフラの場合、従業員は少なくて済むどころか、ユーザーをタダで働いてくれる従業員のごとく利用できる場合がある。例えばレシピの投稿サイトなどは、レシピを投稿(執筆)してくれたユーザーに原稿料を支払ったりはしない。これは主催者からすると、編集原価相当分を無償で手に入れたとみなせるので、ここだけに着目すれば、理論上は労働生産性が無限大になる。

一般にソーシャルメディアが驚異的な利益率になりやすいのは、これが理由だ(資本生産性が高いという言い方をすることもある)。労働生産性が最高の時、従業員数は最低で済む。つまりIT(情報通信技術)は雇用を減らすと考えるのが素直だろう。

従って「ITの利活用で地域を活性化する」のは普通に考えると難しい。地域にある小資本・少人数の零細企業が、インターネットを利用して関東圏あるいは海外にいる顧客に対して(通信販売などで)結構な売上を計上しているのであれば、ITが上手く活用されているように見えるのは確かだが、これは当該地域の雇用の増加にはほとんど寄与しない。

東京以外はすべてオフショアとみなすことができる一極集中体制こそ現在の日本の実態だとすれば、東京以外の地域にある小資本の会社の業績がITでよくなったとしても、同時に雇用そのものを減らすことに貢献してしまうので、日本全体の総売上は長期的には減るはずである。余談ながら、東京資本が地域の需要をすべて奪い取って東京に利益を還流させている典型的なビジネスがコンビニ(CVS)である、ということも頭の片隅に入れておいたほうがいいだろう。

私たちは、人工知能が仕事を奪うかどうかが議論になる以前から、情報通信インフラ自体が雇用を減らしてきた事実を見逃していた。情報通信は、いわゆる非正規雇用者の激増に一役買っている。“スマホは持っているが定職は持たない人”にその構造が集約されている。

雇用を増やすことができるのは、資本としての情報通信インフラ自体を販売しているところ、すなわち情報通信産業そのものであろう。資本生産性の高い情報通信産業が膨れ上がるほど、その他のすべての産業の雇用にダメージを与えるという構図が浮き上がってくる。

人材斡旋業自身は異常に焼け太りしているが、そこに登録している人の労働単価が異様に低い、という状況とよく似ている。何らかの信頼関係が壊れているのだろう。日本は1980年代のバブル景気とその後に続く構造改革(=民営化など)で、ある種の信頼構造(=公共財の使い方についての信頼関係)が破壊された国だと自覚する必要があるように思える。3.11とそれ以降の社会のありようがその象徴である。

情報通信自体は、特定の職種や業種を狙い撃ちしているわけではない。人工知能が仕事を奪う、その職業はこれだ、ということを盛んに報道するメディアや書籍があるが、あれはコトの本質を正しく理解していない。すでに情報通信は、高度な専門性を保持している人以外のすべての人の雇用を相当な数で奪いつつある。

大企業は、社業に貢献している人20%:どちらでもない普通の人70%:ダメ社員10%で構成される、などと揶揄されることがあるが、雇用を失っているゾーンはこの“普通の人”、つまり中間層である可能性が高い。このままでいくと、我こそが中間層であるという自信のある方は、職種・業種・会社の規模を問わず、クビになるであろうことを覚悟しておいたほうがいいだろう。

さらに深刻なのは、当の情報通信産業の大半が欧米企業の代理店に成り下がっている、という残念な事実だ。情報は規模の経済が働きやすく、規模は言語圏の広さと比例する(従って情報通信産業で最後に“勝つ”のは中国であろう)。

国内にある外資系情報通信系企業、あるいは外資系情報通信系企業のサービスの片棒を担いでいる会社の立場は、地域にあるコンビニの店長と全く同じである。ロシアのマトリョーシカ人形のような入れ子の構造をイメージしていただければ、搾取する需要の対象が日本全体か、特定の地域かだけの差でしかないことが理解いただけるだろう。

従って、財政という公共財を扱う政府が「これからはAIだ、フィンテックだ」というプロパガンダを連発しているのは、もはや狂気の沙汰と言っていい。これは、情報通信産業以外での雇用をガンガン減らせと言っていることに他ならず、外資系情報通信産業に、日本の公共財を「持ってけ泥棒!」とばかりに差し出しているに等しいからだ(本当に差し出したいのかもしれないけど)。

このような状況において、私たちに残されている選択肢は“絶対価値のリアリティを欲求するか否か”ではないかと考える。

冒頭のメディア(新聞)を例にとると、情報通信がやっているのは広い意味での仮想化であることはご理解いただけるだろう。すなわち、紙に印字された文字はディスプレに表示された文字によって代替できる、そしてそちらの方が“便利だ”という考えかたである。

利便性の最大の弱点は、利便性と引き換えに失ってしまった価値に対して無頓着になりやすいことにある。身体的に楽になるからである(これは寿命を延ばすことには貢献している)。インターネットメールで“通じる”ことがわかれば、手書きの手紙のような面倒臭い手段は使わなくなる。しかしその時に、手書きの手紙でしか実現し得ないコミュニケーション価値があったことを忘れている。忘れているのだから使うわけがない。インターネットメールでの連絡と、手紙を利用した連絡は行為としては別のことであって、決して代替的でもなければ、本質的に同等でもないことに自覚的かどうかが問われている。

同様に、新聞社が提供するニュースをスマホでザッピングしている場合と、紙面で解説欄をじっくり読んでいる行為に、同じ「読む」という言葉を割り当ててはいけない。そもそもそれぞれの行為では脳の発火する部位が違うことも証明されているくらい(※1)で、これは比較すべきではない別の行為なのだ。

しかも原材料からして、新聞は木材から作られるが、ネットは単なる電気信号(pulse)である。原材料の物性が異なるのであれば最終的なサービスの形が違うものになる、と考えるのが普通だろう。同じアイスコーヒーを紙コップで飲んだ時とガラスのコップで飲んだ時に味が異なるように、多くの場合、リアリティは触覚的なものとして存在しているように思う。

触覚的なものも電気信号で代替できる、と考えてしまうのが情報通信産業の考え方のクセだが、電気信号を利用したサービスは電力を必要とするということと、劣化が早いという物性をも併せ持っていることに注意しよう。情報通信産業が持続可能性を担保しようとはしないことは、歴史的に証明されている。新しいものは簡単に作れるが、古いものを捨てることにコストがかからないからだ。

別の例で考えてみよう。100万円のテレビと100万円で購入した自動車を比較してどちらが優れてるという議論をすることはない。全く同じ金額でも目的が全く違うものだからだ。実は情報通信系で多いのは、これと同じ不思議な議論がまっとうな議論としてまかり通っていることにある。(書籍と電子書籍はどちらが便利か、など)関係のないものを比較して炎上するクセがある(メディアをやってる人は、そのイメージとは裏腹にどうにもアタマの悪い人が多い)。

新聞の販売で挙げた1000万円の売り上げとネットメディアの広告収入の1000万円を比較して、どちらがどうだああだこうだ、という議論はそれ自体がすでにナンセンスだ。ネットメディアで功成り名遂げた人は、その次に雑誌や書籍を作りたがることが多い。ネットメディアでは実現できないリアリティがそちらにあることを知っているからであり、同時にネットメディアでの成功自体にコンプレックスを感じているからではないだろうか(そもそも別の商売なのだからコンプレックスなど感じる必要はないのだが)。

日本がとるべき戦略は、端的に言えば、情報通信では実現できない価値の創出にこだわることだろう。そこにはどうしても実空間やマテリアル(素材)の存在が必要になり、生身の人間がすぐそばにいるからこそできる仕事であることも重要になる可能性が高い。

あまり根拠はないのだが、なんとなく“水”から全てが始まるような気がしている。その視点で改めて日本地図を見直してみると、まずは、

  1. 日本が誇る、そして世界的に不足が予測されている“水”の価値を見直す
  2. その水で育まれる山林という資産をすべて国有化した上でその活性化策を検討する(国土の70%以上を山林が占めているのは日本とノルウエーだけ)
  3. 識字率の高さ、日本語というメタ言語の特徴を生かしたコミュニケーション戦略を考える
  4. システムは作れないが改良は得意、という国民性を生かした持続可能性、すなわち保守・運用・管理に寄与する事業を積極的に推進する

といったあたりの仕事が重要になると考えている(※2)。ただし同時に、公共性(=財政)すなわち税金の徴収とその使い方についての信頼関係の回復という作業を併行して実施する必要がある。そのために見直す必要があるのは選挙制度だろうと思われる。

ともあれ、情報通信産業の片隅で禄を食んできた筆者には、この状況を打破する何かを考える責務が課せられている(この歳になってようやくそういうことを考えるようになってきた)。微力に過ぎないのは重々承知しているのだが、とりあえず何か始めてみようと思っている。

※1
産業技術総合研究所での研究による

※2
例えば、和食を構成する食材で日本原産ものは驚くほど少ない。しかし、にもかかわらずなぜユネスコ無形文化遺産として承認・登録されたのかといえば、高温多湿な風土における保守・運用・管理技術が評価されたからだろう。もちろん、熊倉功夫氏の交渉力に拠るところも大きかったのだが。
参考文献:『和食とは何か』 熊倉功夫・江原 絢子 著(2015年)一般社団法人 和食文化国民会議 監修)。