2004年のある日、筆者の起業を聞きつけた(以前から交流のあった)ある出版社の社長に「うちの顧問をやってくれ」と言われた。タイミング的に渡りに船だったのか単なるご祝儀だったのかは不明だが「ああ、これはきっとラクな仕事に違いない」という予感を胸に秘め、いそいそと打ち合わせに出かけた。聞いてみると、月に1回、昨今のビジネス情勢について自分とざっくばらんな話をしてくれればいい、月額顧問料は10万円でどうか、という有り難いご提案である。
時給換算で5万円のこういう仕事が月に20件あれば、平日毎日別の人と2時間程度懇談するだけで200万円の売上げだ。仕入原価はゼロで済むからとてつもなく利益率が高い、などということを瞬時に妄想してしまうのが起業直後の経営者の悲しい性だったりする。しかし、世の中はそんなに甘くない。
翌月、会社の口座に振込手数料を差し引いた金額が振り込まれていた(顧問契約書があるので請求書等が不要)。10万円に対して、振込手数料は数百円なので「桁が変わってしまった金額」ということになる。
自分でも意外だったのはその金額を見てモチベーションが明確にダウンしたことだった。手数料など誤差の範囲だから会社の売上としては大差ないのだが、桁が違うとモチベーションが変わることを実感した(というわけでその後の定期的なミーティングはとてもいいかげんなものになりました、ということはさすがにないのだが)。
筆者の会社は、とんでもない額の外注費の存在を前提とする経営(外注費は流動費化しやすい)をしているので、外注先のモチベーション・マネジメントにはやはり相当気を使う。しかしモチベーションは極めて「個性的」なので、一般的な最適解算出方法は未だに編み出せていない。同一金額のフィーであっても人や季節によって意味が変わってくるので、基本的に個別対応していくしかない。「やけにカネに執着がないヤツだな」と思ったら大金持ちのボンボンだった、ということがあったりするわけである。
ただしかし、10万円という金額は発注するにしても受注するにしても、非常に重要な基礎額として機能するように思う。9万円と10万円には「桁違い」という雲泥の差(?)があるのに、10万円と20万円は「金額は2倍だけど桁は同じ」なのである(このあたりの言い回しに悪い意味でのレトリックが入っていることに注意しておいていただきたい)。
つまり、発注する立場からすれば、9万円というオファーはあり得ないのだ。多少無理をしても10万円にしたほうが、外注先のモチベーションがまったく違うものになる可能性が高い。
経営者には千円~数万円単位のオーダーの議論をしている時間的な余裕はない。一方で、1000万円を超えるような案件が頻繁に発生する、ということもないだろう(業種によるとは思うが)。つまり中年起業は、数十万円のやりとりの攻防を繰り返し続ける企業体なのだ。基礎額が10万円になる、というのはそういうことである。
「10万円で自分は何が納品できるか」および「10万円でどの程度人は動いてくれるか」をひとつの基準額とし、その倍数で事業を膨らませて行く、あるいはコストを抑えていく、と考えておけば、自分自身の会社の料金表が出来上がることになる。
ついでにいえば「予想していなかった売上や支出には実際の金額以上のインパクトがある」ということは明確に意識したほうがよい(一般的なマーケティングが想定外の落差を演出したがるのと同じである)。
例えば「セミナーに登壇していただきたい。講師としての謝礼は10万円」というように、あらかじめ頂けるフィーが分かっている場合は、その10万円にあわせた動きをするので、もらい過ぎだとも足りないとも思わない。しかし(これは実際に筆者がまだ新米のサラリーマンの頃経験したことだが)楽しい飲み会が盛り上がりすぎて終電を逃してしまい、タクシーで帰宅せざるを得ないのだが、あいにく持ち合わせがない、というようなときに先輩が「あ、これ使って」とポンに渡してくれた1万円ほど有り難いと感じたことはない。
価値は状況に依存する、というだけの話しなのだが、会社の売上あるいは支出においても、似たような効果を狙ったカネのやりとりというのはある程度デザインできる。例えば、同じ売上げなら、振り込みが速いクライアントに対する仕事が優先するだろう。
ついでに言えば、請求書に記載することになる「消費税」は現金で入金されてしまうため、売上げと区別をつけにくくなる(=単純な売上げだと誤解してしまう)ので、入金された売上げのうち消費税に該当する金額は、なるべく別口座に移しておくことをお勧めする。ある程度の売上げが計上できる会社になってくると、支払うべき消費税がとんでもない金額になるからだ。そういう意味も含め、銀行口座は3つ程度を用意し、それぞれ個別の役割を与えて使い回すようにしておくのがよい。
さらに蛇足ながらだが、「ワンショットで結構高額なディール」は意外と儲からない。「ある納品物を500万円で仕上げてくれ」といった発注である。なぜ儲かりにくいかというと、前処理(e.g.調査など)と後工程(e.g.サポート、改修など)に想定外の時間とコストを使うことが多いからだ。それらの作業もスケジューリングして線表を引いてみると、ヘタをすると持ち出しになることすらある。
ところが500万円という金額には強い認知バイアスが働くので、中年起業家にはそれなりのインパクトを与えてしまう。請負契約は「小額の、月額固定で、長期間」という五・七・五的リズムを基本にしたほうが確実に利益率は高い、と心得よう。
筆者が公的機関の入札案件に手を出さないのはこの理由が大きい(見た目の金額は大きいが、儲からないようになっている)。公的案件のおかげで会社にハクがつく時代はもうずいぶん前に終わっているはずなのだが、これにこだわる中小企業経営者がなぜこうも多いのかは未だに不思議である。
どうしても霞ヶ関と付き合いたいのなら、本丸に直接手を出さず、本丸に近いところにいる外郭団体(公益社団ではなく一般社団のほうが機動力がある)が代理店として機能しそうな場合か、随意契約で動ける範囲(必然的に小額になる)にとどめておくか、のいずれかの場合に限定したほうがいい。なお、公的機関の入札案件なるものには非常に面白いノウハウがたくさんあるのだが、公開情報としては少々執筆しにくいので、お近くの中小企業診断士にご相談あれ(但し、繰り返しになるが、個人的には公的案件はお勧めしない)。
ともあれ、お金の話をしていたつもりのこの論考、読み返してみるとただのコミュニケーション論に過ぎないことがわかる(こっちは多少筆者の専門に近い)。というわけで、どうやらおカネというものはコミュニケーション言語として機能しているらしい、ということがわかる。
- 書名
- 会社をつくれば自由になれる
- 出版社
- インプレス/ミシマ社
- 著者名
- 竹田茂
- 単行本
- 232ページ
- 価格
- 1,600円(+税)
- ISBN
- 4295003026
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