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掛け紙を使え

筆者の自宅近くの東急百貨店たまプラーザ店の地下食品売り場には「木挽町辨松」があった。ここの弁当が好きで、1カ月に1回くらいは購入していたのだが、残念ながらこの4月に廃業と相成った。

現在、SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)に関連して、パッケージ材料としての紙や木を見直す機運が世界的に高まりつつある。それだけに、木挽町辨松の弁当は世界に誇る文化資本であることが、むしろこれから証明されるだろうと思っていた矢先だった。もう少し持ちこたえて欲しかったというのが正直なところではある。外食店舗の営業自粛も、「弁当の価値」が改めて見直される機会の要因にもなるだろう。「辨松、案外近い将来復活するかも」と期待していたりする。

弁当はもともと、目的地に食事できる場所がないことが想定されている時に持参する「当面、便利な食事」(これがそのまま語源になっている)として古来から利用されていたが、今では「Bento」として世界で通用する言葉になった。日本で最初の駅弁が発売されたのは、明治18年の宇都宮駅といわれている。ここで販売された弁当は、握り飯(おにぎり)に沢庵が添えられ、竹の皮で包んだものに過ぎず(注1)、鉄道会社から懇願された業者が仕方なく始めた、というのが本当のところのようだ。

2年後(明治20年)には、早くも「折り箱(注2)に掛け紙」という形式の駅弁が出現している。案の定、戦時中は「欲しがりません勝つまでは」的なプロパガンダが印刷された掛け紙の全盛期だったりする。もっとも、これはこれでミリメシのようなパワーが出るかのような気分になりそうで、美味しそうなのが厄介なのだが(注3)。

ともあれ、この仕方なく始まった駅弁は「掛け紙」によって、その後とてつもなく大きなビジネスへと成長したのではないだろうか。

そもそも、食事には3つの役割がある。生存、健康、そして娯楽だが、現在販売されている加工食品の大半は、少なくとも日本国内においては娯楽のために存在している、といえるだろう(食事が健康第一であれば、病院食のようなものが正しい、ということになるはずだ)。そしてその最右翼こそが駅弁だと思うのである。

駅弁はなぜ「楽しい」のか。自宅で食べる駅弁がさほど美味しくないことからも、移動しながら食べるという非日常感が味覚に大きな影響を与えているのは間違いない。しかし、それ以上に駅弁の楽しさを演出しているのが「掛け紙」、すなわちパッケージだろう。コンビニ弁当のように中身があからさまに分かるものは正直ではあるが夢がない。それを食べた後にどうなるのかが、大方見えてしまう。

しかし駅弁は、中身を見せない上に、下手をすると中身とは無関係な図案による掛け紙で美味しさや楽しさを演出していたりする。一種のギャンブルのような楽しさ、すなわち当たりハズレを楽しめる工夫が注入されているのだ。

昨年の夏に仲間5人と金沢へ旅行した時に、筆者が種類の異なる五つの駅弁を東京駅のホームで購入し、車内でジャンケンで勝った者から好きな駅弁を選ぶ、というごく単純なゲームで(いいトシをした中年のおっさんが)盛り上がったりしたのだが、これも、そもそも駅弁がギャンプル性を内包していて、この点で遊びと相性が良いことの証左だろう。

加えて駅弁は、冷えてなければならない。駅弁の販売事業者は「冷えても美味しいものにするために工夫している」というだろう。実は、駅弁というものはそもそも冷えていてナンボなのだ。以前、仕事での出張の帰りに新神戸駅で「ホカホカであることを売りにした焼肉弁当」を購入し、新幹線の中で食べてみたことがあるが、あれはダメだ。「ありがたいし、そこそこ美味いのは確かだが、これは駅弁ではない」と脳が判断してしまう。冷えていないからである。

外食産業が疲弊する状況の中で、意に反して弁当を販売せざるを得ない局面に追い込まれている業者が続出しているが、どうせ販売するなら、テイクアウトなどという無味乾燥で事務的な言葉を使わず、オリジナルの掛け紙と折り箱を使った「夢のある弁当」を販売して欲しい。夢があるものは、値段を釣り上げることができる。さほど量が出なくても、そこそこ利益が確保できるはずだ。

そしてその弁当を買った人は、なるべく外で食べていただきたい。公園のベンチでも良いし、芝生の上でも良い。たとえ一緒に食べる人がいなくても、外で食べる「駅弁のようなもの」は絶対に美味しいのである。そしてこの騒動が去った後に、弁当できちんと利益が出るようにするためにも、乾坤一擲の掛け紙を製作・印刷するべきと思うのだ。日本とドイツの印刷技術は、世界に誇る高品質を恐ろしく安い費用で提供してくれる。夢の捏造は、案外安上がりであることを保証する。

注1)
むしろ装飾過多な現在の弁当より美味しそうな気がしないでもない、と思っていたら、案の定、この弁当のアーキタイプ(archetype)に忠実な商売をやってる店「米屋のおにぎり屋」があった。クルマに乗って窓を全開にしてこの「弁当」を実際食べてみたことがあるのだが、いや実に美味かった。なお、弁当の起源については『べんとう物語』大塚力(雄山閣出版、1971年)を参考にした。

注2)
折り箱に使われるのが経木(きょうぎ)、すなわち薄くスライスしたスギあるいはヒノキだ。余計な水分を吸い取ってくれるのと、殺菌効果があることがよく知られている。経木の弁当をすぐに体感したい場合は。崎陽軒の「シウマイ弁当」を購入するのが手っ取り早い(関東圏であれば比較的どこでも販売している)。シウマイ弁当については、こちらの記事も参照されたい。
なお、筆者は日本惣菜協会という団体に、プラスチック容器を撤廃し、全て経木もしくはそれに準じる素材でパッケージしたほうが良いのではないかと提案したことがあるが、「原価が桁違いになる」ということで却下された経緯がある。桁違いと言ってもせいぜい1円が10円になる程度だろう。最終価格を20円高くなったとしても、消費者は美味しそうに見える経木パッケージを選択するに決まっていると思うのだが。

注3)
参考文献は羽島知之著『明治・大正・昭和 駅弁ラベル大図鑑(図書刊行会、2014年)』だが、それにしてもこの著者、よくもまあこれだけ掛け紙集めたな、と思えるくらいマニアックな図鑑である。ヘタな旅行ガイド本や混雑する観光地より遥かに旅情をそそられる。今年のゴールデンウイークのあるべき過ごし方にはうってつけだったかもしれない。もちろん、今から購入しても損はしないと思う。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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