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知恵と直結する未来の贅沢

贅沢のために必要なのは、ちょっとしたアイデアや工夫、そして知恵であって、決してカネではない。やりたくない仕事を人工知能に丸投げすることで、私たちは本当の贅沢を手に入れるためにあれこれ考えたり、体を動かす時間を得ることができるようになるだろう。新しい技術が創出してくれた時間は、過去に埋蔵されたものをあえて掘り起こしてみるために与えられた時間なのかもしれない(なお、本稿は『会社をつくれば自由になれる』のコラム「中年起業にイノベーションはご法度である(P.115)」の追加解説です)。

「贅沢」という言葉は、ご承知のように、限度を超えた消費、あるいは無駄遣いという意味合いで使われる。対義語が“倹約あるいは質素”だとすれば、贅沢自体はあまり褒められた行為ではないと考えるのが、少なくとも今までは常識だった。物質的な希少性を重視する価値観という意味では、確かにその通りだったかもしれない。しかし、時代はその古臭い意味での贅沢からの脱却と、古くて新しい意味での贅沢を要求し始めた。

贅沢はもっと広く、そしてどこにでも遍在(Ubiquitous)する価値であること(注1)、しかし同時に、日常の中に隠れやすく、自分ではそれを贅沢だと認識しにくいという性質がある。このことに皆が気がつき始めたのではないだろうか。

ある地域が所有している芳醇な贅沢さを発見するのが(いわゆる)よそ者や移住してきた若者であることが多いのは、多分そういうことなのだろう。特に、食品(食事)、働き方、そして住む(棲む)ことに関する話題には、この「古くて新しい贅沢」が潜んでいることが多い。

例えば、住宅を作る時に「庭越しに我が家が見えるようにせよ(=自宅の中から自宅の外側が観察できるようにせよ)」という“贅沢のための”法則がある。居間でくつろいでいる状態で窓越しに自宅の外壁が眺められる設計(単純な矩形を避けて“く”の字に家を設計するだけで簡単に実現できる)にすると、気持ちが安らぐのだという(注2)。外部から自宅を観測し続けることができるので、末長く大切に使おうとする気持ちが芽生えるのかもしれない。しかし、街を見渡してみるとこのような設計が施されている家は意外と少ないことに気が付く。

施工コストに大差がなくとも、あるいは追加投資をせずとも、ちょっとした工夫だけで、それなりに贅沢な暮らしができるのだとすれば、贅沢は知恵や工夫と直結しやすい可能性があることがわかる。そして(古民家がまさにそうであるように)、それは死蔵されていることが多いので、再度掘り起こす必要もある。今の時代だから創出できる新しい贅沢を否定するものではないが、死蔵されているものを掘り起こすだけでも、私たちは様々な贅沢を手にすることができるはずである。

家は換金性の高い地位財なので、モノとしての贅沢に含まれることになるが、非地位財(健康、愛情、自由、信用など)でも贅沢はあちこちで発見できる。病弱な体質の人からすれば、健康体そのもののような人はかなり羨ましいはずで、そのような体質に恵まれていること自体が贅沢だ、と考えるだろうし、腹を割って話せる友人が大勢いるような人望の厚い人は、贅沢な人間関係に恵まれている、と言い換えることができる。

さらに付け加えれば、惰眠を貪ることができる贅沢もあるだろうし、気分が乗らなければ「今日は(仕事は)休みだ」として閉店してしまうのも、サラリーマンからは贅沢に見える。思い立った翌日に一人旅に出かけるなんてのもかなり贅沢だし、子供の教育で頭を抱えている母親の姿でさえ、子宝に恵まれない夫婦には贅沢な悩みに映るだろう。

日本の各地や様々な人の中に遍在しているはずの贅沢(Ubiquitous Luxury)の作り方に関するナレッジ(Local Knowledge)を発見し、継承すること。そして、その知恵を他の地域に転用していくことが、この国全体を堅牢なものにしていく可能性がある。

贅沢は、その概念の抽象化の階段をもう一段上がると幸福論になってしまう。それはそれで検討すべき議論ではあるが、その一歩手前のギリギリのところ、すなわちこれからの贅沢の追求方法(メソドロジー)にとどめることで、より現実でわかりやすいノウハウが流通する可能性がある。

ただし、贅沢に関するナレッジを転用する時に難しいのは、そのとりとめのない多様性にある。どうしても演繹ではなく帰納法的にならざるを得ない。つまりケースをなるべく多く集める必要がある。

また、ナレッジ(Local Knowledge)を別の地域に転用したときには、風土や地政学的な理由などから変容してしまうこともある。どこまでが転用でどこからが応用なのか、という境界も曖昧だ。真似て、やってみて、試行錯誤しながら、自分なりのあるいはその地域ならではのオリジナルナレッジを創出することになるのだろう。

これからの贅沢がもっているであろう性質を羅列してみると

・優劣が比較しにくく、それぞれが尊重されるべき価値である。
・結果論としての多様性ではなく、積極的な価値の分散を目指す“行動”が必要とされている。
・多品種少量生産と相性が良いので、高価格になりやすい(むしろ高価格を目指す)。
・その価値は、繰り返し長時間利用することが可能なことが多いので、結果的には安上がりになる。ただし、安上がりであることを目的にはしない。
・ネイティブな価値を比較的素直に仕入れることが多く、サービスを受けるまでの(加工などの)ホップ数が少ないほど贅沢であることが多い。
・あえてジャンル分けするとすれば、下記の7つのいずれかの分野に散逸しているはずである。

  1)住む(棲む)ことと移動することに関する贅沢
  2)学習と表現についての自由
  3)働き方における裁量権
  4)健康・食事・食品・食糧の贅沢
  5)関係資本の贅沢
  6)精神性(宗教社会学の領域)と風土自体が持つ贅沢
  7)時間

ところで、この「遍在する贅沢」の反面教師になるのが、ある種の“貧乏くささ”だ。実は、42/54サイトのオープン以来、田邊・北野・竹田の3人で問題にしてきたのはこの貧乏くささ、である。貧乏は無論のこと憎むべき状態だが、貧乏くささは金の有無とは無関係に散見される排除されるべき行動だ。下記にその具体的な例を列挙してみてわかったのだが、どうやらこの貧乏くささの正体はある種の“貧しい精神性”のことを指すようだ。

・投資したものに対して短期間で「回収」しようと焦る。最近ではICO(Initial Coin Offering)が最も貧乏くさい。
・「人間関係を維持するために必要なコスト」さえも削ろうとする態度。
・無料で提供されているものを(使う予定もないのに)なるべく大量に「せしめよう」とする。
・ポイント、クーポン、マイレージなどを「貯めること自体が目的化」する。
・理由の如何にかかわらず「値引きを要求」する。あるいは値引率に異常に執着する。
・活用もしないのに「所有」することにこだわる。
・饒舌で自己顕示欲が強い。聞かれてもいないのに「あれをやったのは私だ」と言い張る。
・言うことは立派だが「自分では動かない」のも十分貧乏くさい。
・Facebookなどでのコメントにおけるメタメッセージが「私は賢い(知っている)」になってしまっていることに気がつかない。
・「ネガティブな噂話」をハブにした人間関係に居心地の良さを感じる。
・将来に対して「根拠なく悲観的」である。
・「自分のアタマで考える」習慣がない。
・受け入れなくて済むはずの不便を「甘んじて受け入れ」ていて、かつその状態が心地よかったりする。
・流行や最先端技術に敏感で、そこに「自我が欠落」している。
・基本的に「自意識過剰」である。
・「少し早すぎたな(=時代が自分に追いついていない)」というセリフが多い。
・何かを選ぶときに自分の好き嫌いよりも、リセールバリューをはじめとして「他人からどう見えるか」を優先する。

これらは特定の人を想起して思いついたわけではない。私たち3人自身が(項目によっては)当てはまるものもある。

注1)
90年代前半に、当時パロアルト研究所(PARC)に在籍していたマーク・ワイザー(Mark Weiser)が提唱したユビキタス・コンピューティング(ubiquitous computing)は、多くの日本人にとって、初めて「ユビキタス」という言葉に触れるきっかけになった。ただし、当時の米国において遍在(Ubiquitous)するものは、通常、神(Jesus Christ)を指すことが多く、神はコンピュータの形をまとって、常にあなたのそばにいる、という意味として受け取られることになる。これは八百万の神があちこちに遍在するのが当たり前の日本人には、ピンと来ない概念だったこともあり、その後、この言葉はあまり使われなくなった。遍在しているものは、それぞれが別の“モノ”であり、かつそれをお互いが尊重する(あるいはしているように見える)状態にこそ、日本らしさがあると思われる。ポリシーが判然としない融通無碍ないい加減さこそ、日本人の真骨頂なのではないだろうか。

注2)
参考文献は『私の住居・論』(林昌二、丸善1981)。建築家である著者自身が、施主として自宅をどう設計したかを写真や図解付きで解説している。どこに建てるかから、椅子の選び方までの一つひとつが建築の本質に迫っている好著だ。庶民からすれば、結構(材料費などに)カネをかけていることは明らかなので、「ま、こんなに金があるならそんなこともできるだろうよ」とやっかみを感じてしまう部分が散見されるのが弱点だが、基本的には私たちにも応用可能な知見が数多く散りばめられている。いわゆる「ネタバレ」本なので、本人はこの書籍を作ることを固辞したようだが、編集者に押し切られて作らされたという気配が濃厚だ。この書籍の編集者は実にいい仕事をした。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026