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「ソクラテス(Socrates)」とは何か?

皆さんが今度電車に乗った時に是非観察して欲しいのは、スマホを操作している人の視線と、今や極めて少数派になってしまった読書している人の視線の“品質”の違いだ。少し神がかり的であることを承知の上で言えば、どんな類の書籍であろうと読書している人の視線は圧倒的に美しい。このような美しい機会を増加させたい、というのが2018年3月にスタートした「ソクラテス(Socrates)」の願いである。

多くの場合ミュージシャンには“代表作”がある。PというミュージシャンといえばやはりD(というアルバム)でしょう、というやつだ。しかし「Dが代表作だというのはわかる。実際よく聴いた。だけど、私が好きな作品はDではなくてAなんだよね」というのはよくある話だ。

聴き手には、それぞれ固有の時間が流れている。そのアルバム(例えばA)と出会った時に何をしていたか、何歳だったか、どんな事があったか、その場所はどこか、それまでに何を聴いてきたのか、これら全てが人それぞれだ。そして私たちは、ほぼ無意識にその個人固有の時間とその音楽(を聴いた時期の自分自身の感性など)とを合算して評価する。

特に、音や声の記憶は時空間(緯度経度情報と時間)と強く結び付きやすいという(脳の)性質があり、これが一般的な評価とあなた自身の評価に多少のズレが生じる理由になる。音楽は個人固有のストーリーに寄り添うBGMとして繰り返し再生され、それがその人にとっての“高品質”になる。

これは、音楽に限らない。特に書籍の場合、当該書籍の執筆者が抱えていた時代背景等も加味されるので、より一層感受性の固有化が明確になる。

「絶対品質」自体の議論は案外簡単だ。時間が経過してもその価値が劣化しにくく、長期間の使用に耐えうる堅牢性が高品質の正体だ。これは視覚的・触覚的価値、道具、設備、考え方、制度、法律などにも当てはまる。例えば、選挙にも品質がある(注1)。

しかし、私たち個人にとっては(音楽がまさにそうであるように)汎用性の高い絶対品質などどうでもいい。“自分にとっての”品質にこそ意味がある。蓼食う虫も好き好き、というわけだ。

最近流行の言葉で言うと「マスカスタマイゼーション(mass customization)」がこれに対応しようとする動きだ。ただしこの言葉、もう何十年も前から出現しては消滅を繰り返している。オーダーメイドのパラフレーズに過ぎないことがバレているからだろう。

資本主義(における市場拡大主義)は、オーダーメイドと相性が悪い。自分の“本当の好き”をぐっと飲み込んで、大量生産されたものの中からなるべくその“好き”に近いモノを消極的に選択、つまり妥協の産物で満足してもらうことを前提にしないと、市場拡大は困難だ(ついでに言えば価格も下がらない)。事の是非はともかく、個別品質ニーズに忠実に対応していては商売にならないのが普通だ。

一方で、このマスカスタマイゼーション、もっと正確には「多品種少量生産」を誰に指示されるでもなく古くから実践しているのが出版業界だ。この業界が清く正しく倫理的だからではない。書籍の原型になっている「Codex(写本)」という形式が、テレビやネットメディアに比べると、生産量の増加に対する限界費用の低減率が小さいからだ(注2)。

無論、数百万部を超えるものを作ることも可能ではあるが、紙を使ったメディアで“本当に”高い利益率を目指したいなら、印刷部数を数万部にとどめ、高額な広告掲載料が獲得できる雑誌を作るのが良い。筆者がかつて在籍していた会社は、まさにこの方法で一世を風靡していた時期がある。

書籍は、さほど多くは売れないことを前提にしているから書籍の形をしているのだ。たまに数十万部、あるいは数百万部のベストセラーが出ることがあるが、あれは事故(事件?)みたいなもの、つまり予想不能の“異常な”現象だと考えたほうが良い。個別の事情に最適化するのが書籍の宿命なのだからさほど売れない状態にこそ書籍らしさがある。

その意味では、書籍はあまりにも安すぎる。自分にとっての名著に巡り会えた時には、その破格の安さに恐縮するはずだ。ちょっと張り込んだつもりの1500円のランチが人生を変えてしまうことは(たぶん)ないが、同じ価格の書籍にそのポテンシャルが潜んでいることはご理解いただけるであろう。すべての書籍は最低でも2倍の価格にすべきで、それでもまだ安すぎる。

(好きでやっていることとはいえ)書くという作業はやはりそれなりに大変だ、ということも加味していただきたい。たとえ3枚(1200字)の短いコラム1本でも、その気になればいくらでも書き換え続けることができる(短い文字数制限がある原稿ほど書くために必要な時間は長くなる。むしろ、だらだら長文を執筆するのは比較的容易だ)。

何度書き直しても品質の頂点が見えないので、基本的に全てのコンテンツは未完成のままデビューしていると考えてよい。締め切りギリギリででき上がったもので、やむを得ず見切り発車しているのだ。単行本から文庫本になるときなど、良心的な作家は“全部書き換えたい”と思うはずだ(注3)。

このように、労働者の中でもとびきり“労働生産性”が低く、間尺に合わない作業を延々と繰り返しているのが、執筆を生業とする人たちだ。では、彼らの“想い”をどう伝えるべきなのだろうか。

すべての商品にはプロデューサが存在するが、書籍の場合は当該書籍の編集者がこれに該当する。書籍は、執筆者と編集者の共同作業の結果でもある。

一部の総合書大手(多くの種類の出版物を販売する比較的規模の大きな出版社)でたくさんの従業員を抱えているところは、一冊の書籍に対して企画から販売までそれなりに丁寧な仕事ができるはずだが、中堅・中小の出版社(出版業界は大半がこれだと考えてよい)にはアフターケアまで含めて、じっくりと一冊の書籍に向き合う時間はない。編集者は、読者以上に読者であり執筆者以上に執筆者のはずだが、次から次と湧いてくる新刊の業務に追われてしまう悲しい宿命にある。

結果として、一冊の書籍に込められた著者のメッセージは、怒涛のように押し寄せる1日300冊近くの新刊の波の中に埋もれる。これは、読者・編集者・著者の誰にとっても幸せな状況ではない。

以上のような状況を打破すべく企画したのが2018年3月にスタートした「ソクラテス(Socrates)」だ。

皆さんが今度電車に乗った時に是非観察して欲しいのは、スマホを操作している人の視線と、今や極めて少数派になってしまった読書している人の視線の“品質”の違いだ。少し神がかり的であることを承知の上で言えば、どんな類の書籍であろうと読書している人の視線は圧倒的に美しい。

読書の場合、彼/彼女と書籍の間に何らかの理想空間のようなものが出現し、そこに没入している様子を観察することができる。例えば、小説の目的が現実には存在し得ない理想空間、つまり真実の空間の追求と表現にあるのだとすれば、それを読んでいる時の彼らの視線が美しいのは当然だろう。

ソクラテスには、このような機会、すなわち活字を再浮上させる機会を増加させたい、という願いも込めている。

ソクラテス(Socrates)とは何か」で平凡社の西田氏が述べている「出版社の役割は、煎じ詰めれば、著者の方々の主張をパッケージし、それを欲している読者の元に効率的にお届けするということに尽きます」は、ごく当たり前のことのように思われるかもしれないが、実は意外とそれができていなかった、ということでもある。

そこで、一冊の書籍に込められた著者自身のメッセージ(の一部)を一旦(抜書きという形で)分離し、ネット上に飛翔させることで、再度パッケージ(=書籍)の購入に集約させよう、というのがソクラテスの最大の、そして唯一の目的である。編集者が考える、当該書籍の“音楽でいうところのサビの部分”を抽出し、積極的に拡散させるイメージであり、書店で立ち読みしているあなたのそばにスッとその書籍を作った編集者が現れて「この部分をちょっと読んでみてください。面白いでしょ?」と耳打ちしてくれるイメージでもある。

一般に、良質な企画には三つの共通する特徴がある。

1)簡単に説明できる、誰にでもわかりやすいものであること
2)明確な差別化要因を備えていること
3)その企画から様々な派生系(の企画)がイメージしやすいこと

これは書籍やメディアに限らず、食品だろうが機械だろうが、あるいはこれからあなたが作るかもしれない会社(の事業)だろうが、全てに共通する。手前味噌だが、ソクラテスはこの必要条件をとりあえず満たしているはず、と自負している。

なおソクラテスは、いうまでもなく誰もが知っている古代ギリシアの哲学者、知恵の源流といってよいと思うが、(これも周知のように)一冊も著作を残していない。従って、全ての著者が行なっている活動は“ソクラテスの代筆”であると言えないこともない。そこでこのサービスを「ソクラテス」と命名した(注4)。

また、ソクラテスのすべての記事には、当該書籍の背表紙の写真がある。これは、友人の鎌田純子さんと別件で打ち合わせをしていた時に彼女が何気なく呟いた「書籍のゴールって壁になることなのよ。本にもしも人格(本格?)があるなら、ずっと壁になっている状態が嬉しいでしょうね」という発言が大きなヒントになっている。

大切な書籍は、いつまでも(壁に張り付いた)本棚で保存されるので、その書籍の所有者は書籍の背表紙を眺め続けることになり、それこそがその書籍にとっての本望だろう、ということだ。ソクラテスの背表紙写真には“壁になる”に値する書籍を紹介していきたい、という想いが込められているのである。

注1)
ただし、選挙や法律のような制度設計の品質評価は、人の寿命を軽く超えてしまう場合がままあるということに留意したい。例えば、男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年だが、その効能が明確に見えるようになってきたのは比較的最近だろう。“常識”として熟成するまで、実に30年もの時間を費やしていることになる。にもかかわらず高齢者の中には、いまだに亭主関白を貫いている厄介でしぶとい爺さんも多い。制度の変更には強いイナーシャ(inertia:慣性)が働く。特に選挙制度は、1)投票率は高いほうが本当にいいのか、2)議会制民主主義は正しいか、3)そもそも日本は議会制民主主義の国なのか、4)議員の任期は何年が良いのか、5)1票を分割可能にするとどうなるか、6)1票の格差は本当に違法か等々、考えるべき変数が多すぎるので、品質の議論に辿り着くのは至難の技だろう。

注2)
このコデックスと対をなす形式が「巻物(scroll)」になる。私たちに馴染みの深いトイレットペーパーこそがスクロールの典型だ。ウェブサイトがページネーション(ある程度閲覧した後、別のページに遷移する)から決別し、スクロールに戻ろうとしているのは、スマホがメインのプラットフォームになったからである。ソクラテスは、スクロールのデザインを採用した(ただしまだまだ改良すべき点がたくさんある)。

注3)
ウェブコンテンツは後からいくらでも書き直すことができるが、書籍は一旦インクを紙に定着させてしまうと、書き換えコスト(刷り直し)が膨大な費用になってしまう。従って、多くの関係者(執筆、編集、制作、印刷、製本、販売など)の覚悟の総量がウェブコンテンツとは比べものにならない。ただし、これを以って「書籍はウェブよりも優れている」と言いたい訳ではない。単なる役割の違いに過ぎない。

注4)
ソクラテスという名称を考えてくれたのは、企画の初期段階に加わっていたある編集者なのだが、本業(出版)が多忙になりすぎて、頻繁に実施される打ち合わせについてこれなくなり、やむなく離脱した。仕事が一段落すればまた戻ってきてくれるだろう。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026