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場所自体が持つ力を活かす「ローカルナレッジ」

「人生のリセットなんて簡単だ。古い人間関係を全て断ち切って、引っ越しして、朝早く起きるようにすれば良い」という俗説があるが、いうまでもなく、この三つはそう簡単にできることではない。特に引越しや移住などは、後から振り返った時に人生における大きな分岐点になることが多い。それは、その土地が持つ固有のパワーから離脱するからだろう。後ろ髪を引かれる想いがどうしても残る。しかしその憂いは、新天地が保有しているであろう「ローカルナレッジ」に出会った時に全て払拭されるはずだ。

「ローカルナレッジ」(注1)という概念を提唱したのは、米国の文化人類学者クリフォード・ギアーツ(Clifford Geertz)という人だそうで、「1981年のイエール大学ロースクールでの記念講義」 が初出らしい。ただ、彼の言うローカルナレッジは、私たちがその語感から直感的に感じる価値、すなわち、年長者・長老などを通じて伝わるその土地固有の知恵あるいはその活用、という方向には行かない(ようだ)。

ギアーツは文化人類学者で、象徴解釈学的・意味論的人類学を築いた学者なのだそうだ。卒倒しそうな肩書きだが、気を取り直して『解釈人類学論集』なるものをざっと読んでみた。

案の定、何を言ってるのかさっぱりわからなかったので途中で読むのを止めた。筆者の場合、最初の50ページほどを1時間くらいかけて丹念に読んでみて面白くない場合は、自分のバカを棚上げして、その書籍は読むに値しない、自分には無関係な本だ、と考えることにしている。面白くない理由は自分の理解力が不足しているからではなく、当該書籍の著者(または翻訳者)の説明力が足りないからだと考えるのである。

それはともかく、ローカルナレッジという言葉は実に魅力的な言葉だ。知恵は場所に遍在するということであり、またその場所自体が実は知恵や利用可能な資本に換算できる潜在力(potential)を持っているということでもある。もちろん、この事実は今更筆者が力説するまでもないことだ

様々な自然災害を経験した日本における最近の、例えば地盤に関する調査などでは、科学的・工学的に正しい調査方法を用いるだけではなく、その土地に古くから住んでいる人へのヒアリングなどが必須になりつつあるらしい。最先端の現場にいる科学者・エンジニアほど歴史に学ぶ必要がある、ということだろう。

また、地元の人にとっては、それはごく当たり前に存在するものであり、生活して行く上での前提にしているものなので、その潜在力に気がついていないことも多い。実はすごいことをやっている、というのは、外部からの観測者によって事後的に知らされることも多い。

土地が持つポテンシャルは、しばしば“地名”として表現される。「地名とは天然と人のやり取りを2、3文字程度の漢字に圧縮して表現したもの(柳田國男)」に指摘されるように、千年以上の歴史の必然性が地名として凝縮して表現されている。平成の市町村合併で、日本の古き良き地名が行政効率の向上を旗印に無残に葬られたのは後世に語り継がれる愚策として記録されるはずだが、活用可能な名称は地区名あるいは小学校名としてかろうじて残ってることも多い。

ところが、この小学校がどんどん廃校になっている。従って、土地に本当に力があるのなら、廃校になった小学校(及びその名称)をどのように活用するかが、その土地の将来の命運を握る、と考えてみるのもある種の方法論になる可能性がある。

地名の次には、当該地域で使われている“言葉”に着目したい。いわゆる方言である。ただし、この方言という言葉は、日本語の中でも劣悪な響きを持った差別語だ。対義語として「標準語」なるものが偉そうに構えているのが気に食わない。世界に目を転じれば、一つの国で複数の標準語が存在する国などいくらでもある。日本国内でぼやっとしていると標準語 vs 方言、というシンプルな構造で捉えがちになるが、標準語なるものも数多くある地域の言葉の一つに過ぎない。方言などという差別語を使わず「地域の言葉」という言葉を使うべきだ。

また、言語にはノンバーバル(非言語)なものも含まれる。例えば、敬礼はノンバーバル・コミュニケーションの一つと考えられるが、太平洋戦争時の陸軍と海軍は敬礼の方法が異なる。陸軍は敬礼の時に二の腕と体に90度の角度ができる。要するに思いっきり腕を横に伸ばした敬礼になる。ところが海軍は、この角度が非常に狭い。手がほとんど体に密着した状態になり、角度らしきものが発生しない。海軍は、狭い甲板上で大勢が一斉に敬礼しなければならないのでこういう敬礼になるのだ。使える土地の広さが違えば礼儀の表現も変わって来る、という一つのサンプルだ。

言語/非言語は、その土地、あるいは仕事上でそれを利用しなければならない必然性があったはずだ。言語がコミュニケーションの道具だとすれば、その道具は地元の風土に最適化されているはずである。筆者の田舎もそうだが、海岸近くに住む人は大きな声で短く発話することが多い(怒っていると思われるようだ)。

次に“方角”も(だんだんスピリチュアルになってくるのだが)活用すべきその土地の活用方法である。例えば、鬼門というものがある。陰陽道では鬼が出入りする方角が北東と定められ、忌み嫌われることが多い。台所やお風呂などの水回りは鬼門を避けて設置するのが普通だ。これは「家相学」としてまとめられていて、一部に非科学的なところもあるが、薬のプラシーボ効果と一緒で、本人がそれで安心してパワーが出るのであれば、自宅自体がパワースポットになり得るのだから、使わない手はない。

ここまでくると、部屋の中に置いてあるもの自身が「俺をここに置いておいてくれ」とつぶやいているような感覚に陥ることがある。その筆頭に挙げられるのが観葉植物だが、生命があるわけではない無機物でさえ、場所に関して自己主張することがあるように思う。モノがそう主張するなら、それが場所の使い方として効率的でないとしても、そのモノから発せられたメッセージはそれなりに丁寧に扱うべきである。という具合に、ローカルナレッジのことをいろいろ調べてみると、棲むという行為、具体的には住宅がナレッジの起点になるのではないか、と思われることが多い。

スポーツの知見がビジネスのチームマネジメントに大いに役立つことがわかり始めたことと同様に、あるいはそれ以上に、ローカルナレッジは様々な“転用”が、特に「働き方改革」という視点に対して参考になりそうだ、と考えている。

無論、その土地固有のナレッジを活用したい場合はそこに移住するしかないが、むしろ様々な別の土地で活かすことが可能な知見のほうが圧倒的に多いだろう。若干面倒なのは、転用可能なものと不可能なものの境界が曖昧なことだ。例えば別府温泉でうまくいった事例は(同じ温泉なのだから)草津温泉でも使えそう、と考えてしまいがちだが、ローカルナレッジはそこまで単純なものではなさそうである。

注1)ギアーツの翻訳本はknowledgeを「ノレッジ」と表記しているが、外来語の日本語としては「ナレッジ」が一般的と思われるので、筆者及び筆者が関連するメディアでは「ローカルナレッジ」を正しい表記ということにする。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026