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10万社の新しい中堅企業

コミュニケーション系ITを駆使し、密度・立場・濃度・関心・境界面・全体感・地域性などを最適にデザイン、機動力・意思決定・個性・方向転換・マーケティングのそれぞれに力をつけ、結果として高い市場占有率と収益性を確保する。そのような、従業員数数百人くらいの10万社が存在するはずである。彼らが次世代の日本をリードする優良企業だ。42/54的零細企業は彼らとうまく付き合っていくことが必須になるだろう。

会社は従業員数、資本金、業種などで分類されることが多い。様々な理由から便宜的にそうせざるを得ないのは致し方ないところだし、このような分類がある程度役に立つことも否定できないが、「従業員が何人を超えると大企業」などと覚えておくことや厳密な定義には何の意味もない。むしろ、そこで働く人にとっては自分と自分の周りにいる人間関係や職場環境がどのように構成・構築されている集団か、ということが切実だろう。

社長が変わった瞬間にそれまでの常識が全て覆されるような集団に所属したい人はそう多くないだろうし、メディアがもて囃す「社長のカリスマ性」のような個性に依存する話題は“田中角栄の政治”同様、汎用性と再現性のない議論になってしまう、ということも加味した上で会社集団を再分類してみるときに、下記のような指標を考えてみるのも悪くないと思う。

新会社分類指標(案)

(1)密度:単位面積あたりの社員の数、あるいは同一の職場で働く人の間の平均距離
(2)立場:雇用契約関係、国籍、言語などの多様性や、中途採用に対するホスピタリティ(参加よりは参画を呼びかける文化、など)
(3)濃度:一般に親密度は接触時間で測ることができる
(4)関心:その集団が抱いている関心事の集積度
(5)境界面の活性度:社内外の他集団との接触態度や回数
(6)全体感:自分の所属する企業を単一の組織として認識できる範囲、あるいは一つにまとめるための儀式の存在
(7)年齢:集団の平均年齢
(8)男女比
(9)地域性:気候・風土、あるいは組織の数自体の密集度

資本金や従業員数といった目に見えやすい資本よりも、このような指標が社員にとっては大切である可能性が高いことには同意いただけると思う。そして、これらの指標に時間(的変化)という変数を与えることで、集団としての成長率のようなものが計測可能になるはずである。

お気付きのように、この指標は人的関係資本の作り方からその組織の“強さ”を測ろうとする試みである。平たく言えば一種のコミュニティ論だ。筆者の会社のような数人の零細企業では議論にすらならない指標が多いし、かといって数万人の大企業はそれを一つの組織とみなすこと自体に無理がある。

どの指標を見ても「大きすぎず、かつ小さすぎず」くらいがうまくいきそうな予感がする。そして、一人ひとりの社員にとって理想的な関係資本を集積できれば組織としても最大のパワー、すなわち高い労働生産性と収益性を発揮するという仮説にはさほど無理はないだろう。

そう考えると、1人の人間が顔と名前を一致させることができる平均値が500(人)であるという俗説も重ね合わせた時に、どうやら「中堅企業」なるものが有望なクラスターなのではないか、という仮説が浮上する。従業員数のイメージでいうと、100人前後から1000人前後くらい、つまり数百人の集団を想定してみる。

「中堅企業とは資本金が1億円以上で~」といった定義は、実態が余計わかりにくくなるだけなので無視する。資本金の額が問題になるのは大型設備投資前提の製造業くらいで、大半が(広義の)サービス業になってしまった日本においてはもはやあまり意味がある指標ではない。

日本には400万社程度の企業(個人事業主含む)があって、90%以上が零細企業、1万社くらいが大企業だとすると、おそらくこのような中堅企業は40万社くらいはあるだろう、と適当に推定する。そして、この中堅企業は便宜的に下記の4種類に分けることができる。

(A)大企業の良いところと零細企業の良いところを併せ持っている会社
(B)大企業の良いところと零細企業のダメな性質を引きずっている会社
(C)大企業のダメなところと零細企業の良いところを持っている会社
(D)大企業のダメなところと零細企業のダメなところを兼ね備えてしまった会社

かなり乱暴だが、それぞれが10万社くらいあるということにしておくと、私たちとしては、この(A)に所属するであろう中堅企業10万社を見習ったり、支援したりすれば、国力全体が強くなるのではないかという仮説を作ることができる。ここでは前述の新会社分類指標が最適な形で実現されているはずである。

(A)は、機動力があり、意思決定が早く、(社員の)個性をどんどん活かし、必要に応じて適切な方向転換をスピーディに行い、そこそこのカリスマ性もあり、マーケティングパワーを持っていて、ブランドエクイティもそれなりに保有している会社だということにしておこう。

そして、それにもかかわらず“それ以上大きくなることにあまり意味がない”組織だとすると、非常に市場占有率の高い商品やサービスを展開している企業らしいということが推定できる。市場占有率の高さはそのまま価格決定権の強さになるはずなので収益性は高い。収益性が高ければそれ以上組織を大きくする理由がないし、大きくすることで崩壊してしまうであろうある種の価値の維持に対して敏感な企業なのだろう、ということが想像できる。

これを実現できた(A)の企業群と、(B)、(C)、(D)の企業群の決定的な違いはここ20年くらいで生じた、ということにする。有り体に言えば、時代を味方につけた企業が(A)に所属することができたのだ、と考える。

企業経営環境に大きなインパクトを与えるものでここ20年くらいで大きく変わったものは何だろうと考えてみると(このあたりからどんどん我田引水になってくるのだが)、おそらく情報通信環境である。90年代のバブル崩壊後の低成長・人口減少時代において急成長しているのは情報通信環境だけだ。

市場規模で言えば13兆円程度だろうか。これを便宜的に「IT」と呼ぶ。ITの企業経営における使い方は大きく分けて2種類である。コストダウンまたは売上増だ。(B)、(C)、(D)の企業群はITをコストダウンにしか使えなかったのだが、(A)はITを使うことで売上増や高い収益性を実現することに成功した企業群だ、という仮説が成立する。

また、ITは勘定系とコミュニケーション系に大別することもできる。勘定系はコストダウンとの相性はいいが売上との因果関係はよくわからない。従って、ITが売上に貢献しているとすれば、それはコミュニケーション系での使い方に成功していることを意味すると考えてよい。

(A)の会社は、ITのユーザー企業に過ぎないのだが、実際にITを販売する企業(NEC、富士通、日立、IBMといった会社)を上回るITリテラシーや開発能力を保持している可能性が高い。運転が上手な人はクルマを作る能力が高いメーカーの内部ではなく、外部に第三者のドライバーとして存在するのと同じである。

きちんとした調査を行わず、適当な仮説の上に仮説を重ねた推論ではあるが、以上の話をまとめると「コミュニケーション系のITを駆使することで、密度・立場・濃度・関心・境界面・全体感・地域性などを最適にデザインし、機動力・意思決定・個性・方向転換・マーケティングのそれぞれに力をつけ、結果として高い市場占有率と収益性を確保する従業員数数百人くらいの10万社が存在する」ということになる。

コミュニケーション系ITとは一言でいえばインターネットのことだ。実際にはメールの使い方から始まるわけだが(No.92 ダメなコミュニケーションとは?)、最終的に彼らがITを利用することで成し得た価値創造が、戦後の混乱期・高度成長期とは全く異なる、新しい日本的経営を構築するだろう。時期としては団塊の世代が完全にビジネスの舞台からフェードアウトする頃、すなわち今の大企業の社長が完全に引退する頃になるはずだから、さほど先の話ではない。

そしてそのような企業は、

(a)いわゆる“イノベーション”にあまり興味がなく
(b)むしろ“改良や改善”に強みを持っていて
(c)道具に関する深い知見と実装力があり
(d)保守、運用管理能力が卓越している

といった共通点があるのではないかと推測する。これは実在するいくつかの会社の特徴から導いた推論ではない。すべてが「純粋な邪推」である。行政や政府が言っていることが判りやすさを優先したデタラメだと考えるとこういう推論になるのである。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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