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ダメなコミュニケーションとは?

ダメなコミュニケーションに陥らないために共通なことは、このメッセージや情報が相手にとってどのような意味を持つか、受け取った相手は何を感じるか、ということをその情報を流す前に考える、もし同じようにこれを自分が受け取ったらどう感じるかを考える、ということに尽きます。

メールにせよメッセンジャーにせよ、あるいは対面でさえ、世の中のコミュニケーションというものはダメな例に溢れています。良い例は良いとは気付かない、悪い例ははっきりそれと分かる、というのがポイントです。つまり、何ら違和感なく自然にサクサク流れているコミュニケ―ションではないものは、すべてダメなコミュニケーション(人によって尺度は違うでしょうが)といえます。

例えば、携帯に着信と伝言メモがあって内容を確認したら、「では、メールします」というときの脱力感。最初からメールで連絡してきてください、ですね。トラッドな業種に顕著ですが、基本は電話、仕方なくメール、という感覚がいまだに多いですね。メールのほうが要点が明確なコミュニケーションだと思うのですが、その手の作文が苦手なのでしょうか?

営業系の電話には、自分の会社の営業時間内ってことは相手も営業時間内だ、という配慮がなさ過ぎますね。基本メール、相応の理由があって電話、伝言メモ等を残す場合は「また連絡します」ではなくて「●●の件で連絡が欲しい」くらいの感じでお願いしたいものです(ま、私の場合はそうしてほしい、ですが)。

最近は、メッセンジャーも良く使われていますが、これはメール以上に相手の目の前に割り込んでくるUI(ユーザー・インタフェース)です(メールは後で読めばよい)。1対1ならやりとりにリアルタイム感があるのでまだしも、グループでメッセンジャーを使うときにはメールとは異なる配慮が必要です。

具体的には、トラフィックを増やす方向のアクションは必要最小限にする、ではないかと思います。例えば、無駄な「いいね!」やスタンプを送らない、細切れのメッセージを送らないなど。そのメッセージが届く相手の状況を考えてコミュニケーションする、ということですね。宴会の日程調整などで「●●です。参加します」などというのは必要なコミュニケーションですが、誰かが参加表明するたびに「いいね!」を連発するなどは無駄なトラフィックではないかと思います。馬鹿丁寧に欠席の理由を知らせる必要もありません。黙っていればよいのです。

文書のやり取りなどでは、前との差分が明確でないのもNGですね。「こちら修正版を添付します」ではなくて、どこをどう修正したのかをはっきりさせておかないと、また同じことが将来発生します。それと延々と「返信」しているうちにサブジェクトが(メーラーにもよりますが)Re:Re:Re:Re:Re:Re: となってしまったり、元の内容からどんどん話が変わっていって、どこで何が決まったのか話が変わったのかなどが探せない、なんてこともよく見かけます。面倒でも、やり取りする内容にふさわしいサブジェクトをつけ直す、などの配慮が不可欠です。

ここまでは、メールやメッセンジャーでのコミュニケーションの話でしたが、SNSでのコミュニケーションもたくさんのダメな例に溢れています。

内田樹氏のブログに下記のようなものがありますが、

コミュニケーション感度の向上を妨げる要因は、つねづね申し上げているように「こだわり・プライド・被害妄想」(@春日武彦)であるので、「こだわらない・よく笑う・いじけない」という構えを私は高く評価する。(「内田 樹の研究室」)

この 「こだわり・プライド・被害妄想」で乱入してくる人ってのはけっこうたくさんいます。「それは違う、そんなことも知らないのか!?」というような類の乱入ですね。本人の経験範囲内での思い込みだったりすることも多々なのですが、黙っていれば馬脚を露すこともないのに、黙っていられないんでしょう。この多少気に入らないことであってもスルーする、ということがSNSでは特に重要なことだと思います。こだわりは頑迷でもあり、プライドは裏付けのないものがほとんどです。被害妄想に至っては、まさに妄想です。

貧乏くさいコミュニケーションもよく見かけます。例えば、SNSで誰かが美味そうな居酒屋料理とかラーメンなんかの写真をアップしていたとしましょう。すぐに「そこはどこですか?」とか「連れて行ってください!」などというコメントをするのは本当に貧乏くさい行為です。もっとも「美味しそうですね」なんてのも気が利いてなさすぎると思いますが。

「そこはイマイチです。こちらの方が上、私はこちらを愛用しています」なんてのは下衆も下衆。食べるものや店に限りませんが、自分が何かを知っていること示したくて仕方がないがゆえに、スルーする能力がないことを自らはっきりと示しています。

店は無数にあります。その中で自分に合った店(味、価格、雰囲気、行ける範囲等のすべてを考慮した相性)は、そうそうあるものではありません。料理の写真1枚を見ただけで写真の主が積み上げてきた価値観に便乗してしまうことに躊躇がない、というのが貧乏くさいのです。自分が満足できる店は、自分のお金と体力を使って探すのが基本です。そのプロセスを省略して他人の努力の結果だけを便利に頂戴する、というのが貧乏くさいのです。

ま、素朴な仲良しの会話と思えば良いのでしょうが(だからいちいち文句つけたりしませんが)、店名を出していないことの意味などをちょっと考えるべきだと思うのですね。「連れて行ってください」に至っては、そもそも写真の主はその店に行ったばかりなので、しばらく行かないでしょう。そういうことへの配慮がないのも、貧乏くささを構成する要素の一つです。店名を出しているのであれば、検索して自分で行けばよいのです。

写真を投稿したら「それ何ですか?」「それ美味いですか?」なんてのも困ります。何かわからなかったら検索して調べればよいし、「オレには美味い。味覚は人それぞれなので自分で確かめよ」に尽きるのです。そもそも、店や食べ物を特定した上での不味いものやダメなことは、営業妨害的な性格もあるのでわざわざ投稿したりしないものです。

「豚骨ラーメン、美味いねぇ、、、」に対して「さっぽろ味噌ラーメンも美味いですよ」などというのも良く見かけますが、そんなことは百も承知なのです。「松坂牛、いいねぇ」に対して「肉は米沢に限ります!」みたいなのも同様。それはそれ、これはこれなんだから限らんでよろし、なのです。「ジンギスカンは美味いねぇ」に対して「羊の肉は苦手です」なんてのも、そんなことは訊いてないのです。黙っていればよいのに、と思います。食べるものの例を延々と並べていますが、これらのダメなコミュニケーションは食べるものに限りません。あらゆるジャンルに当てはまります。

ちょっと別の観点からのダメな例としては、相手を見下した態度で接してくる、というのがありますね。当然、もろもろクリアしたであろう投稿なのに、そのクリアしている前提条件を訳知り顔に説教モードでコメントしてくるというケースです。これも、知っていることを誇示したい、知っている自分をリスペクトしろ、という気持ちの表出だと思います。自分の限られた経験から経験範囲のないところにまで演繹してしまい、ピント外れになってしまっている場合もあります。

「風邪ひいた」というような体調系の投稿に「お大事に」ってのも調子の悪い(体調ではなくて反応が)要らないコミュニケーションだと思います。お大事にが十数コメント並んでも何の情報でもありません。そもそも、零細企業の社長たるもの風邪などひくわけがないのです(表向きは)。社長の体調はトップシークレットであって、いつも見かけ上は元気に振舞うことが求められるのです。くれぐれも、検査結果の望ましくない数値を自ら晒したりすることのないようにお願いいたします(入れる保険に入れなくなったりするかもしれません)。

メールにしてもSNSにしても、自分中心の思考だけで無駄なテキストを垂れ流しているのが良くないのです。それを受け取った相手はどう考えるか、これは無駄なトラフィックではないだろうか、という点を少し考えるだけで良いはずです。

SNSの場合、多少のトレーニングが必要、という側面があるかもしれませんが、対面あるいはそれに近い状況でのダメなコミュニケーションもあるものです。

世の中には失礼な人がいるもので、初対面であるにもかかわらず、

「私は、●●村に住んでいるのだが、とてもいいところだからあなたも住んだらどうか? インターネットやパソコンが分かる人が近くにいるとありがたいし」

などと平気で言う人がいるのだから困ったものです。失礼というか、能天気というか、自分のことしか考えていないというかなんというか、、、。人それぞれに都合だの事情だのがあって、自分のことは自分で決めて生きている、ということは考えないのでしょうか?

この手の人は、妙に前向きなところがあって、「私はこれをやっている」「こういうことに取り組んでいる」と言いたくて、そしてそれを褒めてほしくて、すごいですねとか言ってほしくてしょうがない、という傾向があります。そして二言目には「あなたもやったらどうですか?」と来る。「体一つしかありませんからねぇ」(そんな暇じゃないのですの意)というと不満そうな顔をしています。自分にとって価値があることでも「他の人にはあまり価値がないかもしれない」というイマジネーションが足りません。

昔の知り合いで、たまにメールが来る人がいますが、いつも特に用件があるわけではなくて、単に自分のことだけ書いてあったり、近所の山の写真を送ってきたり、という状況です。サブジェクトは常に「●●です」(●●は苗字)だけで、それを何十人にも同報しています。

これも、自分にとっては意味のあるものであっても、いきなり説明もなしに送りつけられたらどう感じるか、という点についてのイマジネーションが欠けている例だと思います。SNSでの投稿であれば何の問題もないアプローチだと思いますが、同報メールでいきなり脈絡なく、というのはちょっとどうかと思います。

ダメなコミュニケーションの例を並べてみましたが、これらの状況に陥らないために共通なことは、このメッセージや情報が相手にとってどのような意味を持つか、受け取った相手は何を感じるか、ということをその情報を流す前に考える、もし同じようにこれを自分が受け取ったらどう感じるかを考える、ということに尽きると思います。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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