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安全と安心の起業

ヒトというのは大変厄介な生き物で、ある事象についての安全が数値で示されると、その数値を超えた状態に関心が移ってしまう。安全を規定していない領域での安心の度合いが知りたくなるわけだ。クルマの場合は許容回転数を越えれば(Over REVという)エンジンブロー(engine blow-out)して一巻の終わりだが、中年起業でそれをやるわけにはいかない。では安全な起業とはどのようなものだろう。

安心と安全はセットで語られることが多いが、実際には、“安”という漢字を使用しているということ以外にこの二つの言葉には何の関係もない。安全は統計的・確率的に算出可能な物理量として表現可能だが、安心は個々の人間の心理的状態に過ぎないので、ある数値で安全が表現できるということと、それが安心かどうかは無関係である。

不特定多数に対して安心を販売しているサービスは、人々の茫漠とした不安につけ込んでいるだけなので、信用に値しない可能性が高い。生命保険が典型だろう。安心は、当該の事象に関する知識や情報量と相関関係がある。

例えば、飛行機に乗るという行為にどの程度の安心を感じるかは安全に関する情報をどの程度持っているかによってかなり異なる。情報量がゼロに近い人(飛行機がなぜ飛べるのかが全くわかっていない人)と、情報量がほぼ完全な人(e.g. パイロット)はフライトに安心を感じるが、中途半端な情報量しかない人たちがもっとも不安を感じるはずで、結果的にはここが一番つけ込む余地があるマーケット(市場)になる。

生命保険も、保険料の一部を会社の経費にできる(損金算入)制度を活用することで、経営者の退職金の積立のために使えば、比較的安全な商品として活用できるが、大半の人はきちんとしたシミュレーションをせずに安心を購入してくれるカモに成り下がっているはずだ。ここでは「万が一(まんがいち)に備えて」という、確率変数のフリをした怪しげな営業トークが必ず登場することになっている。

情報量ゼロ、つまり何も知らないけど勢いで起業するのは「割と安心」ということになる。しかし、それが許されるのは20代だけだろう。中年起業でそれをやるのは家族を見捨てることも同然なので、ほとんど犯罪に近い。安全な状態がある程度確約できた後、すなわちフィージビリティスタディ(feasibility study)が終了した状態でなければ、起業していいかどうか悩む資格は発生しない。

ついでに言えば、安全かどうかも検討せず「こんな俺に会社など作れるのだろうか」という具合に“能力”の問題に自分を持ち込んでしまうのは最悪のソリューションだ。能力などというものの実態は誰にもわからないし、仮にあなたへの第三者評価が高いとしてもそれは経営能力とは無関係だ。

むしろ、自分には経営能力などというものはない、という前提で起業を検討したほうがいい。起業して10年以上が経過する筆者でさえ、あなたに経営能力はありますかと問われれば、「かなり、微妙」と答えるだろう。

恋愛のためには最低二人の人間が必要になるように、通常、実態というものは関係(性)の中にしか見出すことができない。一人では恋愛ができないように、能力も単独のものとしてあなたの中に存在しているわけではない。

内部から湧き出る微量な能力すら全く存在しないとまでは言わないが、むしろ能力の中核は関係性の中にある。馬鹿なあなたを支援してくれる人が何人くらいいるのかが、あなたの能力の実態、すなわち人的関係資本こそが能力である。

自己啓発本が胡散臭いのは、自分の能力を向上させれば経営はうまくいくというありえない因果律を前提にしていることに起因する。経営は偶然の連続に過ぎないので、ここで重要な役割を果たすのは希望あるいは希望的観測と、実現したい価値へのこだわりだろう(クルーザーが買えるくらいに金持ちになりたい、みたいなものは希望とは言わないので誤解しないように)。

起業本や自己啓発本は、おそらく数千から1万を超えるくらいの数が実在するが、多くの場合、起業=儲けること、という文脈で執筆されている。しかし、中年企業はカネをゴールにしてはいけない。そもそも、さほど儲かるものではない。むしろ重要なのは、長く続けることにある。そして、裁量権が100%自分自身にある状態を楽しめるかどうかに尽きる。

中年起業については、どこの誰にも“安心できる起業”を語る資格はないし、そもそも仕事にまつわる安心立命など完成しないのが普通だ。ただし、“安全な起業”についてであればある程度アドバイスができる。条件としては、下記のようなものになるだろう。

1)1千万円程度のドブに捨てても後悔しないキャッシュがある
40代で1000万円程度の貯金がある、または退職金が見込める。

2)3社以上の比較的規模の大きな企業から月額でフィーが支払われる請負契約が確保できる
中小企業はあてにならない=年間契約を簡単に反故にする、ので顧客としてカウントしないほうがいい。

3)事務所の家賃がゼロまたは数万円程度である
自宅を事務所にすれば、自分が作った会社から支払われる形で自分自身に家賃収入が発生することすらある。

4)受注した仕事を手伝ってくれるフリーランスに近い立場の人がいる
ある程度の外注費を前提として、自分が稼働している時間の半分以上を営業に費やすほうが安全である。

5)借り入れしなくても経営できる
借金は、未来のあなたの時間を確実に拘束・規定してしまう。

6)心身ともに健康である
健康は、体の状態を指し示す言葉ではない。これは純然たる資本なのだ。ヒト・モノ・カネという3大資本のうち、ヒトとは能力のことを指しているのではなく健康のことを指している。

7)毎月10万円程度を貯蓄または保険で積み立てることができる
もう一回、自分に退職金を支払うのが起業の目的といってもいい。

以上の状況が揃って初めて、あなたに起業のことで悩む資格が発生する。とりあえずは起業しなくても1000万円くらいは貯めようね。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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