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“プロデューサ買い”が普通になる時代の到来

定年起業家はプロデューサでなければならない。プロデューサとは「特定の技能を身につけた営業マン」だと考えればいい。重要なのは、その技能と営業のポーション(portion)を自在に、場合によっては1日の中で、あるいは1時間のミーティングの中でも変化させていく力があるかどうかだ。その典型的なサンプルを「一人出版社の社長」に見ることができる。そしてインターネット(=ロングテールを発見しやすいネットワーク構造)はそれを支援してくれるだろう。インターネットがなかった時代の定年起業とはここが決定的に違う。

「どんな音楽が好き?」と聞かれれば、普通はジャズ、ロック、クラシックといったジャンルとその分野のミュージシャンの名前が出てくるだろうし、CD等の購入やダウンロードのきっかけになるのは好きなミュージシャンの新譜になることが多いはずだが、“プロデューサ買い”という比較的ハズレの少ない購入を繰り返している人も多いであろう。

プロデューサは、違うミュージシャンを相手にしても似たような音作りにこだわっていることが多いので、私たちにとって未知のミュージシャンでも、プロデューサが同じなら比較的安心して購入できる。無論、音楽そのものは、作詞家、作曲家、演奏家などの個性を総合したものではあるが、最終的な仕上がりはプロデューサが全て決定する。いわば400mリレーの最終走者のようなものだと考えればいい(例外もそれなりにあるが、一般にミュージシャン自身によるセルフプロデュースの楽曲は、そうでないものに比較して品質的に劣ることが多いように思う)。

書籍の場合、このプロデューサに該当するのが編集者だ。何をどのように書いて欲しいか、というところまで踏み込む編集者は“著者以上に著者”だとさえ言えるだろう(それが編集者の作品であることに敬意を表している著者ほど、本人が原著作権を保持しているにもかかわらず、転載や引用などについては「編集者に聞いてくれ」という言い方をするはずである)。

音楽のプロデューサ以上に、編集者は実質的な権限を持っている。プロデューサを簡単に定義すれば“回収責任者(一定の期間内に、投資した以上にきちんと儲けることを任された人)”ということになるので、著者以上に必死にならざるを得ない。著者がアーティストであればあるほどプロデューサはビジネスマンとして振る舞う必要がある。

余談だが、世の中に溢れる「プロデューサ養成講座」なるものは全て(それこそ)フェイクだと思っていい。現場における比較的長時間の経験知以外は教材になり得ないからだ。筆者はプロデューサ養成講座を主宰している会社を基本的に信用していない。

面白いのは、出版業界にはこのプロデューサとしての編集者をクレジットする習慣がないということだ。書誌情報(bibliography)とは、書籍を探すために必要な付帯情報(meta data )のことで、著者名、書名、発行所(および発行人)、発行年、ISBN(図書コード)などで構成され、書籍の奥付に記されている。しかし、編集者が誰なのかは巻末や巻頭で著者による謝辞でもない限りわからないことが多い。音楽で言うところのプロデューサ買いができないのだ(プロデューサ集団という組織もないわけではないが、基本的にプロデューサはビン芸人である)。

ここでプロデューサに相当する書誌は発行所、つまり出版社であると考えられるのだが、出版業界がまだ小さな頃であれば、「◯◯出版(社)なら品質が高い」ということで通用したのかもしれないが、必要以上に膨れ上がってしまった出版業界は、ひとつの出版社でも様々な書籍あるいは雑誌が発行されるようになってしまったので、もはや読者の間に出版社名で書籍を購入する人など皆無だろう。

出版社名が品質を保証していたのは遠い過去の話になってしまったのに、それに気がついていない当事者は業界内に相当数いる。著者は多少なりともどこの版元から出るのかを気にして執筆してくれることも多いが、読者はこれには無頓着だ。

これに対して先祖帰りしようとしている動きが「一人出版社」ではないかと思う。例えば、「ツバメ出版流通株式会社」という小さな取次はリンク先にあるような出版社の書籍を扱っている。ここに並んだ出版社は、おそらく一人または多くとも数人で経営している出版社だと思われる。ここでは、社長イコール編集長であるケースが多いはずなので、前述のプロデューサ買いができることになる。「ここの社長は、こういう本を作るはず」がイメージできるということだ。

出版社自体は、そもそもがいつ潰れてもおかしくない零細企業として始まることが多いし、一人出版社など、今までも数千社の規模で存在していただろう。では、今までと何が違うのか、と考えてみると、やはりインターネットというコミュニケーション空間の存在が大きいということと、規模を拡大することに価値を見出せない若い人が増えている、という2点が重要なポイントだ。

具体的には、編集長兼プロデューサである社長の価値観に共感する人が集めやすくなっている、と同時に、その価値観を必要以上に広げずともそこそこ食える、という状態になったのだと思う。これは、書籍の単価を上げやすくなったことを意味する。「5,000円の書籍が3,000部も売れれば(読者も含め)みんな幸せ」という状態が健全だろう(学生は別とすれば、社会人であれば書籍代が高額なほど必死で使い倒そうとするはずであり、結果的に得をすることになるはず)。

世間では、どうしてもショートヘッド(TVや新聞などのマスコミも巻き込みながらベストセラーに成長するもの)に注目が集まりがちだが、インターネット空間が織りなすコード(code:規範のようなもの)はロングテールへのアクセスを容易にしたことにその本質がある。小さいが堅牢なコミュニティが作りやすいのだ。無数に存在する様々な知性が小さなクラスター(塊)を形成しているイメージは出版の本質、すなわち多品種少量生産と相性がいい。テレビを見ながら皆が同じ話題を問題にしている状態は、どう考えても気持ち悪い(注1)。

「SFC研究所と株式会社KADOKAWA、株式会社講談社、株式会社集英社、株式会社小学館、株式会社出版デジタル機構は、未来の出版に関する研究をおこなうAdvanced Publishing Laboratory(APL)を共同設置」(プレスリリース)というような話には何の未来も感じないが、むしろ小さなマテリアル(紙物性であること自体が価値である)を“閉じた、しかし濃密なコミュニケーション空間で”流通させる、そしてそのような濃密で堅牢な空間が無数に存在する状態のほうが、よほど未来を予感させる。

さほど売れなくても単価を上げることができるなら、東京にしがみついていた優秀な編集者も日本の各地域に分散して活躍できるだろう。そうなると、意外なことに地域の再生は、当該地域に住む編集者の仕事だったりするのではないか、当該地域でしか販売していないような書籍あるいは雑誌が最終的に地域を変えていくのではないか、と期待できる。町内会のチラシが、優れたデザインが施された雑誌になる世界をイメージしてみてほしい。

働き方には、メンバーシップ型(同一企業・年功型賃金・OJT)とジョブ型(専門性・能力給・専門教育)があるという(注2)が、このような二項対立的な議論は個人としての労働者である私たちには何ら意味を持たない。強いて弁証法的に言うならば、それを統合した「プロデューサ型」こそが私たちに求められている働き方だろう。

プロデューサ型の定義は実に簡単で「特定の技能を持った営業」である。ただし、20年以上の業務経験が必要だ。情勢に応じて営業色を強めたり、あるいは技能をフルに発揮することに没頭していたりする。四輪駆動車が状況に応じて前輪・後輪のトルク配分を変化させるのと同様に、一人の人間の中でメンバーシップ度合いとジョブ型の割合を臨機応変に変化させていく力こそが重要になる。メンバーシップ型かジョブ型か、という議論に意味がない、というのはそういうことだ。

(かなり古い話で恐縮だが)往年のプロ野球の名選手である王貞治が打席に立つと、守備陣が「王シフト」(通常の守備位置から左利きのロングヒッター用に最適なポジションにシフトして守備を行う)を採用していた時期があった。この場合、王シフトが正しかったのかどうかということが重要なのではなく“シフトできる準備と体制がある”という点に価値がある。大企業においても、事業部制は正しい選択だったのだろうかという話題が盛んに議論されていた時代があったが、この議題設定自体が間違いなのだ。情勢に応じて臨機応変に、そして融通無碍に組織を変えられるかどうかが重要なのであって、事業部制が正しいかどうかは状況に依存するだけの話であろう。

定年起業というちっぽけな存在においても同様だ。まずは自分自身がプロデューサとして振る舞いつつ、技能と営業のポーション(portion)を自在に、場合によっては1日の中で、あるいは1時間のミーティングの中でも変化させていく力が残されているのであれば、あなたは起業する資格がある。そしてその典型的なサンプルを「一人出版社の社長」に見ることができる、という話であり、インターネット(=ロングテールを発見しやすいネットワーク構造)はそれを支援してくれますよ、ということだ。

注1)
筆者は“最近売り出し中の芸能人”の話題には全く追随できない。「俺もようやく大人になったな」と一人ほくそ笑んでいたりする。流行に対して背を向けておけば、乗り遅れる心配をしなくて済む。自分にとって最も重要なトレンドを現在の自分が好きなことにしておけば、自分は常に自分の中で最先端にいることになる。それで十分であろう。

注2)
『日本経済論講義』小峰隆夫 (2017)日経BP社(ただし、メンバーシップ型/ジョブ型という区分けは労働政策研究・研修機構の濱口圭一郎氏が使い始めたものだ、と本書の中では言及されている)