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テレワークは親の背中を見せるための制度である

テレワークの最大の弱点は、場を共有することでしか実現できない価値が創出できないことにあるが、定期的な打ち合わせと非定期の緩いミーティングを適度なリズムで組み合わせることで回避できる。一方、テレワークのメリットは労働者としての主権を自分自身に取り戻せることにあるが、それ以上に重要なのは「自分が働いている様子を家族に見せることができる」という点にある。

一般社団法人日本テレワーク協会は、テレワークを「tele = 離れた所」と「work = 働く」をあわせた造語であるとした上で「情報通信技術(ICT = Information and Communication Technology)を活用した、場所や時間にとらわれない柔軟な働き方のこと」と定義し、自宅利用型テレワーク(在宅勤務)、モバイルワーク、施設利用型テレワーク(サテライトオフィス勤務など)の三つの形態に分けられる、と説明している。

一方、テレワーク関連で取り上げられているニュースを検索すると、おおよそ下記のような言説が基調になっている。

1)東京五輪の混雑緩和のため総務省がテレワークを推奨している
2)テレワークで通勤時間を短縮できる
3)テレワークの導入で育児にも積極的に参加できる
4)派遣社員や契約社員には難しいのではないか
5)テレワークで生産性が向上する(あるいはしない)

このようにテレワークには賛否両論、侃侃諤諤の議論が噴出しているようだが、推進されるべき運動としての合意形成には成功しているように見える。ただし、テレワーク(tele-work)が本社(headquarters)からの距離を問題にしている言葉であることに注意しておきたい。つまり、あくまで本社が主役の言葉であって、労働者であるあなたはそこから離れたところに散逸しているたくさんの部品の一つに過ぎない、と認識されているはずだ。

しかし、いうまでもなく、私たちの生活や仕事の主体はあくまで自分自身および家族である。労働者としての主体は、会社ではなく本人そのものの中にある。本人が主体的に勤務先や仕事の受注先を選んでいるはずである。

そのような視点、つまり労働者視点からテレワークを見つめ直すとどうなるか。「本社は一つでなくてもいいよな」という話になるはずなのだ。つまり、テレワークを推進しようとする政府や企業の思惑や意図(企業にとっての労働生産性向上など、私たち個人にはどうでもいい話だ)からは大きくずれてしまうのだが、テレワークは独立・起業のきっかけになる可能性が高い。

その意味において、ロクでもない政府がやる仕事にしてはめずらしく賞賛に価する施策だ。また2年ほど前に書いた記事「副業禁止規定の廃止は『起業支援』に他ならない」で指摘した「副業禁止規定の廃止」とも呼応しやすい制度なので「本社は一つとは限らない」がより現実的な話になるはずである。

そもそも職住分離は、古くは産業革命あたりから工場にとって都合の良い便法として始まった労働形態だが、日本でもそれが当たり前のように受け入れられるようになったのは、小林一三(阪急電鉄創始者)の田園都市構想をその嚆矢とみなして良いだろう。大都市における労働者に対するソリューションであると同時に、電鉄の都合(=無駄に電車を使わせる)最優先の企画という側面も否定できない。

このように、私たちの生活で「勤務先まで(毎日)でかける」のが普通になったのは比較的最近の話なのだが、それをいったん本来の労働形態、つまり自宅もしくは自宅から歩いて行けるところで働くスタイルに戻そうとする動きがテレワーク、といえるだろう。

地域創生と強い因果関係が構築できそうな気配も漂う。その意味において、独立起業を推進しようとするメディアである42/54としては最終的に“いくつかの本社”を獲得することになるであろうテレワークという活動には諸手を挙げて賛同したい。

しかし、独立・起業以上に重要なテレワークの本質的な価値は「(働いている)親の背中を子供に見せること」にある。

「起業する人の親は自営業であることが多い」は、そもそもこの42/54プロジェクトを立ち上げたときの「仮説」のひとつではあるが、それ以上に(子供に対する)教育的効果が相当見込まれることが重要なのだ。その教育的効果とは一言でいえば“人やモノに対する礼儀を(アタマではなく)身体にインストールすること”に尽きる。

子供の世界は(情報量という観点からは)極めて狭い(注1)。狭い分だけ身近にあるものは実によく観察している。親であるあなたが「靴はちゃんと揃えておけ」と言葉で命令しても、そんなものに聞く耳を持ったりはしない。ただ、あなた自身が本当にそれを実行しているかどうかだけは実によく“見ている”。

礼儀は言葉では伝わらない身体知だ。子供は親と同じような体の使い方をする。あなたの身体や行動が礼儀正しくない状態で、言葉だけ立派でも無駄である。「自宅に蔵書が多い子供は頭の良い子になる」かどうかはよくわからないが、この蔵書の本質的な意味が「自宅が職場のように使われていた」ということだとすれば、子供は親が働く様子を見ていたことにはなる。それがある程度の教育的効果があった、ということはいえるのではないか。そして職住分離の最大の弱点はこれができないという点にある(注2)。

テレワーク制度を導入するにあたってほとんど議論されていないはずだが、これからは「自宅における職場の作り方」が注目に値する議論として浮上してくるだろう。働いている様子を子供に見せつつも、労働者としての創発的空間は構築可能か、に関心事が移るはずだ。

象徴的には「土間、縁側、離れ」をどう配置するかがキモになると考える。この三つに共通しているのは融通無碍な使い方ができる自由なスペースだということと、境界領域が曖昧で冗長性の高い空間である、という点にある。オフィスにおいては(会議室のような)予約を必要としない打ち合わせスペースが比較的これに近い。

(個人的な経験則でしかないが)予期せぬ時間帯に予期せぬ人と出会った瞬間からその場で始まる議論は、非常にクリエイティブになることが多い。雑誌などで綺麗な写真付きで紹介される“クリエイティブ空間”は設計そのものがクリエイティブで見た目がカッコいいだけに過ぎない。そのような視覚的価値自体からクリエイティビティが創出されることはない。予約や受付が存在するだけでアウトである。

気軽に立ち寄れる、予約を必要としない、そこで話を始めてもいいし、遊んでも構わないし酒が入っても良い、という雰囲気をアフォード(afford)することが重要なのだ。多少大げさだが、「土間、縁側、離れ」の設置は“場”を構築する時の日本ならではの競争力を生み出すポテンシャルを秘めている。

いずれも単独のマンションでは実現できない造作なので、これを仮想的に実現するための家庭内・マンション組合内・地域内(公民館や図書館なども巻き込むと面白い)での制度設計やガイドラインの設置、そしてそれにネット上のコミュニティ・ツールをどう組み合わせるか、などが今後の面白いテーマになるだろう。何れにしてもカネをかけない、という前提で考え続けることが重要だ。

筆者の実家は製材業である。母親も遊び半分で小さな万屋(よろずや:今のコンビニのようななんでも売ってる妙な店)を営んでいた。親がまさに職住接近(というか同一)の仕事をしていたことから、その“価値”に無頓着だったことは否めない。これが普通だ、と思っていたのだ。自宅や工場の造作自体は当時から古臭いものだったが、縁側と土間と離れに溢れていたことだけは確かである。(仕事上筆者とお付き合いのある方がよくご存知のように)現在の筆者がどの程度“立派な大人”になったかは甚だ怪しいのだが、与えられた環境自体は随分贅沢だった。

特に製材業の場合、朝から晩までの製材関連業務の合間を縫うように頻繁に様々なタイプの取引先(材木問屋、大工、左官、建築設計士、造園業者、税理士、銀行マン、その他)が出入りし、短い打ち合わせを敷地内の様々な場所で繰り返す。たまたま子供(幼少期の筆者)が在宅だったりすると、必ずそのお客さんに強制的に挨拶させられた。筆者にはとても苦痛だったのだが、実はこれが、後日とんでもない財産になる。いろいろな大人がたくさんのことを“教えてくれる”ようになるのである。

例えば、学校からの帰宅途中にある建築現場の様子をぼーっと眺めていたりすると、大工の棟梁がスッと側によってきて「茂ちゃん、腕のいい大工ってどんな人か教えてあげようか。夕方の5時くらいにわかるから見ててごらん」などと(他の大工さんには聞こえないように)耳元で囁いてくれたりする。そうやって、後片付けが綺麗な大工ほど腕が立つことを教えてくれたり、というような“教育的機会”が非常に増えるのだ。父親が筆者をきちんと紹介してくれていた(=挨拶させられた)から可愛がってもらえたわけである。

筆者の父親には、材木の配達が終了して空荷になったトラックに様々な人を半ば強制的にピックアップして1カ月くらい住み込みで働かせる“趣味”があった(筋金入りのブラック企業である)。そのおかげで、薄汚れた浮浪者、自転車で日本一周している真っ黒に日焼けした大学生、近くの港に来航したばかりの真っ白な米国人、など様々な人たちに筆者の遊びに付き合ってもらうことができた。それぞれに面白いエピソードがあるのだが、これはまた別の機会に(というよりも公言できないことが多いので、直接お会いする機会のある方に気分が乗った時にお話しすることにしておく)。

注1)
なぜ過去を「懐かしい」と感じるかには諸説あるし、個人差・世代差もあるが、一般にこの懐かしさは、“あまり好ましくない情報量”の多寡で説明できる。「自分の身辺や全国、そして世界で発生しているはずの数多くの暗いニュースや諸問題・課題」に関する情報量が子どもの頃は圧倒的に少ないので、この状態を現在から振り返ると好印象につながり「昔は良かった」と感じてしまうのだ。「良い思い出」もそれなりの懐かしさを演出するが、それ以上に「悪いニュースに対する認識不足」が懐かしさに大きな影響を与えているはずである。

注2)
実は、企業が社員向けに発行する広報誌(PR誌として外部に配布するタイプのものは除く)が「親の背中を見せる」役割を担っていた。前職で筆者が同社のインターネット事業を統括し始めた頃、当時代表取締役だった鈴木隆氏(彼こそが同社のインターネット事業の、そして日経グループのインターネット事業の本当の立役者だと今でも筆者は考えている)が「広報誌ってのは誰のために発行しているか知ってるか。家族のためだ。たまには竹田でさえ表彰されることがあるだろう? それを写真付きできちんと掲載してみろ。家族はとても安心するはずだ。広報誌ってのは『お前のとうちゃんは頑張ってるよ』と家族に伝えるためにあるんだ。それ以外の用途など瑣末なものだ」と語ってくれたことがある。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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