筆者が小学生の頃、感動して繰り返し読んだのが鉄腕アトムの中で最も人気があった第55話『地上最大のロボット(原題は「史上最大のロボット」)』だ。プルートウ(Pluto)というロボットが、自身が最強であることを証明するため、世界各国に散らばる7人(※1)の強豪ロボットを次々となぎ倒していくのだが、最後はアトムとの決闘時に発生した阿蘇山の噴火を2人で協力して食い止めたことをきっかけに優しさを取り戻すものの、それが理由で自分自身も破滅していくというストーリーだ。
このシナリオ自体が感動的なのだが、子供心を刺激するのはその優れたストーリーよりも7人の強豪のバラエティさにある。出身国・姿や形・性能や特徴などが実に個性的で、どれもが魅力的に描かれていてワクワクする。子供なので『7人の侍(昭和29年)』などという映画の存在は当然知る由もなく、作者がそちらからプロットを拝借したのだろうといった予備知識も(当然)ない。
ゲジヒト(Gesicht)やヘラクレス(Hercules)あたりもかなり魅力的だが、7人の強豪の中で子供達に最も人気が高かったと思われるのが、オーストラリアが誇る光子ロボットのエプシロン(Epsilon)だ。州立保育園を経営するエプシロンは、太陽光をエネルギー源にしているため理論的には世界最強なのだが、同時に最も平和を愛する優しいロボットとして保育園の子供たちに慕われている。プルートウに「こいつ、俺より強いかも」と警戒させた唯一のロボットでもある。
とある理由で故障して海底に迷い込んでしまったアトムを助けるべく、プルートウとエプシロンは海に向かう。その時に、心優しいエプシロンは海底のぬかるみに足を取られ沈みそうになってしまったプルートウを助けてしまう。情けが仇となって、二度目の戦いのときは悪天候(太陽光がないとエプシロンはそのパワーを発揮できない)を意図的に選んだプルートウの策略にまんまとはまって破壊される。
しかし、プルートウに破壊されても、エプシロンの「腕」だけはその壮絶な戦いの場に紛れ込んでしまった1人の園児をきちんと抱きかかえ、しっかりと守っていたというオチまでついている悲劇のヒーローなのである。ダメだ。涙腺が緩む。
「いいなあ、かくありたいものだなあ」と、いい年をした零細企業のオヤジもグッとくるのである。世界最強であることをおくびにも出さず、またその能力をいたずらに発揮することもなく、日々淡々と自分の近傍にいる弱者のためだけにひっそりと、そして一生懸命働く。何と美しいのだろう。
「普段は、知性と教養を顕在化させることもない優しいだけの人なのだけど、重い荷物があればひょいと持ち上げてくれる」というスタイルは誰もが憧れるペルソナではなかろうか。
これに比べると「獲得した能力は最大限発揮せよ!」「社内公用語は英語で!」「グローバルに進出して世界制覇!」「素晴らしいプレゼン能力!」「業界No1!」「ニッチマーケットで生き残り戦略!」「日々、改善だ!」といった行為のなんと貧乏くさいことか。こちらは悲しくて涙が出る。
さて、浦沢直樹版の「PLUTO」も拝読したが、やはり手塚治虫の原作が持つインパクトにはかなわない。これは浦沢版が劣るとかいうことではなく、First Cut is the Deepest(最初の失恋が一番印象的で思い出深い)という原則、すなわち「刷り込み(imprinting)」という学習現象が働くことによる。
例えば日清のカップヌードル。一番最初に出したバージョンが、今も売り上げの大半を占めるはずだ。その後に続くカレーだのシーフードだのはともかく、さらにその後に登場した商品は、おそらく売り上げへの貢献度は極めて小さいはずだ。良くも悪くも、最初の味が「正しい味」として刷り込まれてしまうのである。
最初にマクドナルドのハンバーガーを食べた子供は、「ハンバーガーとはこういう味のものである」とインプリントされる。本当に美味しいハンバーガーは、少し大人になった頃に「そうか、あれはハンバーガーではなくてマックだったのだ」として認識されることになるだろう。
音楽も然り、である。例えばあるミュージシャンの同じ楽曲のスタジオ版とライブ版を聴き比べた時に、良いと思うのは「最初に聞いたバージョン」であることが圧倒的に多いはず。普通はスタジオ版を聴いた後に、ライブ音源を楽しむことが多いはずだが、たまたまライブ音源(あるいは他のミュージシャンによるカバーなど)を最初に聞いてしまい、後からオリジナル音源を確かめる、などという逆転現象が起きると、大抵「ライブの方が格段にいい」と思うはずだ。
さらに、同じ音源でもリミックスされると、音質が向上した別の音楽になってしまうことがあるので、この場合も「最初の方が良かった」ということになる。ついでに言えば「今、一番好きな歌は?」と質問されれば、大抵の人は直近に聴いていた音楽になるはずである(短期記憶上の鮮度が高い、というだけの話なのだが)。
また筆者は、幼少期から左利き(lefty /southpaw)だが、高校生の時に生まれて初めて手にしたゴルフクラブは右利き用のものだった。それ以降、左利き専用のゴルフクラブを用意されても違和感しか残らない(本論とは無関係だが筆者はゴルフを本格的にプレイしたことはない)。
生まれて初めてその道具を手にする瞬間が、その後の長い人生の有り様に大きな影響を与えることがある。キーボードのQWERTY配列が論理的には最悪なものであったとしても、最初にこれを利用してしまうと正しいものになってしまう。子供が親を選べないようなものなのかもしれない。
刷り込みは、様々なビジネスの局面で顔を出す。初めて会った取引先の第一印象のインパクトが後々まで尾をひく、ということを経験しているビジネスマンは多いだろう。ただし、筆者の30年程度の経験で言わせていただければ、第一印象のインパクトはビジネスの成否とはあまり関係がなく、むしろ「この人とこんなに仲良くなるとは思わなかったなあ」の方が圧倒的に多い。最初に好印象を持った相手だから長い付き合いになる、というわけでもない。
ともあれこの稿は、特に何のビジネス上のノウハウらしきものがない。単に「俺はエプシロンが好きだ」というだけの無駄なエッセイなのであった(失礼しました)。
※1 ご承知のようにロボットの本来の数え方は「台」である
- 書名
- 会社をつくれば自由になれる
- 出版社
- インプレス/ミシマ社
- 著者名
- 竹田茂
- 単行本
- 232ページ
- 価格
- 1,600円(+税)
- ISBN
- 4295003026
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