45

「現場感覚」は製造業の専権事項ではない

起業前に準備することはたったひとつ。「お客を探してくること」である。そのために必要なのは「歩き回る」ことだ。歩き回ることが売上につながる、というのは体育会系的な「現場感覚」である。

「現場感覚」は製造業の専権事項ではない。例えば、「1000万円の融資を受けるとどうなるか」をアタマで理解して返済計画をシミュレーションしてみるのと、実際に1000万円の融資を受けて口座からの引き落としを体感するのでは「わかる」の意味合いが決定的に違う(一般の住宅ローンなどに比べて返済期間が短いので、毎月「結構な」金額を返済することになる)。

この「実際に融資を受けて返済が始まったときに感じる感覚」が経営者にとってはひとつの現場感覚だと言ってもいいだろう(冷や汗が出たりするのだ)。「わかる」ということは論理的に理解することではなく「身体感覚で(融資を)実感する」ということに他ならない。むしろ体育会系的な「体性感覚」に近いかもしれない。

従って、経営学を専門とするアカデミック系の論理的展開に対する「何をエラそうに。オマエに何がわかる」という反発には、経営者であれば誰もが共感できるはずだ。「やってみなければわからない」とは「やってみないと身体が覚えてくれない」ということを意味する。

起業前の事業計画シミュレーションにはそれなりに意味がある。事業計画書における損益計算書(PL)には3種類のパターン(「好調なら」「普通であれば」「不調の場合」)を書き込むように指導されることが多いはずだが、銀行の融資担当であれ投資家であれ、あるいは書き方を指導した当人でさえ「これはまったく信用できない数字の羅列である」ということを知っている。

特に「好調なら」は(夢を描くなとは言わないが)脳内お花畑状態の壮大なデタラメであることが多いので、そのPLには目を通そうとしない投資家も多い。1ページに過ぎないエグゼクティブサマリーを読むだけでその商売のスジの善し悪しはだいたいわかってしまうものなのだ。

そういう前提を踏まえた上で、中年起業の場合は「不調の場合(=最悪のケース)」だけを念頭に計画書を作るのが正しい。最初からかなりシビアな事業計画を作れ、ということだ。悲観的な数字でもなんとかやっていけそうだ、と確信できるなら起業に値するが、どう考えても数年以内に倒産しそうな数字しか描き出せないのなら、あなたには経営者になる資格はない。

「創業サポート」を名乗る事業の大半は「善意に満ちあふれた詐欺」くらいに考えておこう。特に公共機関が主催している「この手のプロジェクト」(毎日新聞の記事へ)などはまったく信用できない。そもそも「ベンチャー」という言葉の意味を誤解していると思われるフシがある。「シルバーにベンチャーさせる」ということが「断崖絶壁から飛び込んでみませんか。なんなら私が背中押しましょう」が意味することを当の本人がわかっていない(「死ね」と言ってるようなものなんだが)。

いわく「シルバーベンチャーに挑んだ先輩起業家による体験談を聴く場を設けるほか、アイデアを出し合い講評し合うワークショップを開催。さらに、起業に必要な知識やノウハウなどを体系的に学べる『シルバー創業スクール』(仮称)を開講。最終段階として、実際に起業に踏み出す高齢者のために廉価なレンタルオフィスを整備して、資金調達や商品・顧客管理など経営のアドバイスを受けられる仕組みをつくる」のだそうである。

素人でも「こんなんでうまくいくようなら苦労しないわなあ」と思えるデジャブ感満載の企画なのだが、霞ケ関を中心とした官僚仕事には明確な顧客(クライアント)が存在しないうえに「反省しなければならない仕組み(企画倒れに対する減俸、降格、左遷、解雇など)が存在しない」という制度上の致命的な欠陥があるので、同じような企画が繰り返しゾンビ(zombie:生ける死体)のように出現するのである(税金返せ)。

起業前にやるべき作業はたったひとつ。「お客を探してくる」ということに尽きる。事業計画書を作ることやスクーリングなどどうでもいい。そして、高い精度でクロージング(closing:成約)できるであろう案件だけで売上げ計画を作っていただきたい。中年が起業してもいいのは、会社を登記した翌月に売上が計上できる場合だけだ。お客が見つからない場合は起業は諦め、今の勤務先での延命策をいろいろ考えるか、比較的条件のよい転職先を探すべきだろう。

起業したあとに「なんか仕事ないっすかね」と聞き回るのは手遅れかつ無様である。頂けるのは「頑張ってね」という励ましの言葉だけだと肝に銘じておこう。言うまでもないが「お客を探しに行く」ということは「何をウリにして起業するつもりか」がある程度決定していることが前提になっていることに留意していただきたい。

「お客を探す」ために必要なのは営業力である。「営業力は、交渉力、論理的説明能力、折衝時の好印象の作り方、パワープレイのテクニックを駆使して云々」みたいなことをまことしやかに説教してくれるコンサルタントも多いが、営業力というのはごくシンプルに表現できる。それは「単位期間あたりの移動距離」だ。

経験的にこの数字は、売上げと有意な相関関係があると確信する(交通手段とは無関係に適用可能な法則なので飛行機で飛び回っているほうが売上げは大きくなる)。「事業計画書の書き方」などを学んでるヒマがあったら、さっさと出かけたほうが売上げになるし健康にもいい。売上げを稼ぐとは距離を稼ぐことと等価であり、これもまたきわめて体育会的体性感覚なのだ。

つまり、会社を辞める前に行けるだけのところに行っておく、回れるだけのところを回っておくのだ。もちろん会社の出張費であれば、会社の仕事がまずあることが条件ではあろうが、そのくらいの強かさがあって丁度良い。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
Amazonで購入するKindle版を購入する