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ストレスの「色」が変わる世界を体験してみたいか

給与所得者と経営者は「ストレスの色」がまったく違う。どちらが自分に「合った」ストレスかを考えることは「何がやりたいか」という表立った前向きな話を裏側から検討する行為になるだろう。

本人にとってそれがどんなに重大な決断だったとしても、「転職」は単なる人事異動のバリエーションに過ぎない。配置転換先や新しい部署がたまたま「別の会社」になっただけであって、働き方の構造そのものに大きな変化があるわけではないからだ。

転職先に落ち着いてしばらくすれば「以前在籍していた会社に対する不平不満と同じ不満」を口にすることになるだろう。それが結局は、自分自身に対する不満であることに気がつくのにさほど時間はかからない。ここに通底しているのは、ある種の「依存思考」である(それ自体が悪いことだとは思わない)。

一方、長年慣れ親しんだ会社を辞めて起業した場合、今までとは「色」の違うストレスを感じるだろう。これは働き方の構造が変わったことを示す。サラリーマン時代のストレスの大半は「自分の意思ではどうにもならないことに対するストレス」だが、起業するとこれが「全部自分の責任になるストレス」に変化する。

ストレスの「総量」は同じなのだが「色(種類)」が違うのだ(今まで肝臓で受け止めていた負担を、今度は心臓で受け止めることになった、みたいな話だろうか)。ストレスは生きて行く上で必要な感受性のひとつだが、同時にそれに対する「耐性」も身につける必要がある。

「どう働くべきか?」という問いは「どちらのストレスを選択しますか?」というシンプルな話に帰結する(これは単なる「好み」の問題であって、善し悪しの話ではない)。「今日の昼飯はラーメンと焼魚定食のどっちがいいか」というように「何がしたいか、何が好きか」を次々と選び続ける私たちの人生は「どちらのストレスを選択し続けるか」という決断と表裏一体なのだ(ラーメンを選択することは、その同じ時間帯にめちゃめちゃウマい焼魚定食を食べるかもしれなかった人生を永久に放棄することに対するストレスとの戦いだ)。いずれにしても、働き方の形がどうであれ、結局はストレスに弱いと何をやってもダメなのだ。

また「私に起業できるほどの能力があるとは思えない」という発言も実に良く聞くセリフのひとつだが、この「能力」という言葉も注意して使ったほうがいい。「能力」というとどうしても「自分自身に内在する、ある種の際立った才能」だと思ってしまうが(もしもそれが起業の必要条件なら、日本に数百万人もの社長が存在するわけがない)、誤解を恐れずに言えば、能力とは「社会関係資本」のことなのだ。

例えば、自他ともに認めるバカ息子でも、親が資産家のため働く必要がないとしたら、それは「親子関係という資本」が捻り出してくれた自分自身の才能と見なすことができる。親が用意してくれた能力も自分の能力だ。

筆者が起業前にあちこちの知り合いに「俺に仕事を出すつもりがあるか」となかば脅迫(?)しながら聞いて回っていたのは、この「関係資本の強さを確認する行為」だったのだ。「関係こそが主役だ」という考え方は私たち日本人にはピンとくるはずだ。

「自分がいた『会社』というものに不平不満を抱いて起業した人も、結局『会社』を作っているではないか」という反論があるかもしれない。しかし重要な議論のポイントは、会社という形態そのものには存在しない(株式会社という形式自体はとても良くできた制度設計のひとつだということは起業するとより深く理解できる)。問題は「(オーナー社長のような)裁量権があるか」ということなのだ。

本来、私たちは生まれながらにして自分自身のオーナーであり社長だったはずだ。自分自身というオーナーが自分に対して「いましばらく給与所得者を続けろ」とか「さっさと会社を作れ」と指令しているに過ぎない。現在の自分がどんな自分であろうと、それは自分が自分に対して発令した人事の結果である。その結果に対する不満を他人や会社にぶつけるのは筋違いだろう。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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