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「健康に不安があるのが普通」の中高年は個人事業主になってはいけない

「個人事業主」には分かりやすい才能があるが、「会社経営者」は自慢できる能力に欠けるボンクラと言ったほうが実態に近い。世の中の大抵の社長は、謙遜でもなんでもなく自分の無能を自覚しているはずである。外注に頼らざるを得ない馬鹿者ほど社長に向いている。見かけの売り上げはそれなりに大きくなるが、比例して外注費も膨らむのでさほど儲かるわけでもない。しかしそれでも、定年前後の起業には会社設立以外の選択肢はない。

「個人事業主」は、自分は個人事業主であると宣言して、開業届を税務署に提出するだけで開業できる。ネット上には、フリーランスと個人事業主あるいはインディペンデント・コントラクター(IC )の違いをこと細かに解説しているご丁寧な人も散見されるが、まあ同じである。株式会社の設立自体さほど面倒なものではないのだが、個人事業主になるのはそれ以上にお手軽なのは確かなので、勤務先を退職したあとは、まずは個人事業主として生計を立てようとする人も多い。

税理士は、個人事業主からスタートして年収(≒売上)が1000万円を超えるようになったら、そのときに法人化を考えましょうとアドバイスするだろう。ただし、このアドバイスに則って法人化した人は非常に少ない。少なくとも筆者の周りには一人もいない(筆者がそのようなフリーランスを外注先として積極的に選択している、というバイアスがあることには留意されたし)。

これは話が逆なのだ。1000万円以上稼ぎたいと思うなら、自分の能力はいったん棚上げして、ともあれ法人化してしまうのが順序としては正しい。個人事業主の延長に法人化が控えているわけではなく、また個人事業主の応用編が会社設立、というわけでもない。働き方のポリシーが違うだけのことだ。

働き方のポリシーの違いは、“外注費”というたった一つの勘定科目に着目するだけではっきりする。個人事業主は、自らの才能・技能だけを原資とする働き方なので、アーティストに近い働き方になる。せいぜい1人の非常勤アシスタントがいるかどうか、程度のはずなので、売上高利益率は格段に高い。一方、会社を設立するという行為は、“自分の労働力だけではメシが食えそうもない人”が外部に存在する労働力を最初からアテにしている経営形態だと言える。

カッコ良く言えば、「個人事業主はスペシャリスト」であり「会社経営者はゼネラリスト」ということなのかもしれないが、個人事業主には人に説明しやすく解りやすい才能があるが、会社経営者は自慢できる特殊な能力に欠けるボンクラと言ったほうが実態に近い。

世の中の大抵の社長は、謙遜でもなんでもなく自分の無能を自覚しているはずである。外注に頼らざるを得ない馬鹿者ほど社長に向いている、というわけで、筆者も含め世の中の大半はこっちなのである。見かけの売り上げはそれなりに大きくなるが、当然、比例して外注費が膨らむので、さほど儲かるわけでもない。

また、個人事業主であることを積極的に選択する人は、親と同居していて家賃が発生しない、伴侶ががっつり稼いでいる、などファンダメンタル(経済的な基礎的条件)に恵まれていることが多い。さほど稼ぐ必要がないので、制約が少なく自由に動き回れる立場を選択したくなるのも道理であろう。ただしこれは「あなたがもしも若いのなら」という条件付きだ。

中年起業、特に定年後の起業には個人事業主という選択肢はあり得ない。

主たる理由は、健康上の不安だ。経験知や人的関係資本が豊かであっても健康だけは着実に劣化する。我々にできることは劣化のスピードをなるべく遅らせることだけだ。特に、ある程度カラダを動かすことが前提になっている仕事ほど毎年のように肉体の劣化を痛感するはずなので、最終的には「外出もせず口先だけ(ネットにいるだけ、と言い換えても良い)で仕事が回せるようになっている自分」を起業時からイメージしておいたほうが良い。

起業直後はそれなりに張り切っているはずだから、自分が動けなくなる時期や状況をイメージせよ、というのは案外難しいのだが、実際にはそれが受け入れざるを得ない現実だろう。口先だけで済むならベッドの上からでもスマホがあれば経営は可能だ。

従って、当初から外注費を積極的に利用する働き方、すなわち会社設立という意味での起業しか選択肢はない、と考えたほうが安全である。厳密な言い方をすれば、あなた個人ではなく法人格自体にもっと仕事をさせろ、と言ったほうが一部の方には解りやすいかもしれない。ともあれ、冒頭の税理士のアドバイスは定年起業家にとっては真っ赤な嘘である。

また、健康が劣化していくときに注意したいのは、「疾病(しっぺい)」と「病い(やまい)」の違いだ。これは、英語にしたほうが解りやすいだろうか。疾病(あるいは疾患)には「disease」という言葉が割り当てられる。生物として特定部位の機能が平均的な状態から逸脱している状態、すなわち部品が壊れかけている状態を指すと考えればいい。部品は徹底的に修正しなければならない対象であることは言うまでもない。

一方の病い「illness」は、もっと社会的な精神的苦痛のようなものもその範疇に含むことが多い。中高年は、すべての部品が着実に劣化しているという意味において全員が病いの状態にあると考えてよい(注1)。

死が現実的なものとして見え始めてくることに起因する中高年独特の社会心理学的側面に留意しつつ、最低限そのような立場に自分が置かれていることをメタ認知(自分を観察している自分が自分の頭の上にいるイメージ)するようにしておくと、いろいろと「楽」である(注2)。

日本政策金融公庫に勤務する知人に直接聞いたのだが、ここ数年、定年後に起業した人からの融資の申し込みが激増しているという。確かに、地銀や信用金庫に比較しても公庫は比較的融資の条件が緩いので、借りるなら政策金融公庫がいいのは確かだが、そもそも融資というのは未来の自分の時間を借金の返済のために使うことを約束する行為である。それほど長いわけではない経営に携われる時間の一部を借金の返済のために使うのは無謀だ。定年後に融資を必要とするような起業はすべきではない。

注1)
田邊(https://42-54.jp/author/toshimasa_tanabe/)曰く、「若者ってのは“たまに具合が悪くなる人”のことで、中年というのは“たまに調子がいい日がある人”」だそうである。けだし名言である。

注2 )
病いには、一見ポジティブに見えるものも含まれる。それは多くの場合“趣味”として表現されることが多いが、行きすぎた趣味が第三者からは病気に見えるのはご承知の通りである。個人的な嗜好の範疇であれば他人に迷惑をかけずに済むが、これが多くの人を巻き込む趣味になってくると少々厄介だ。シリアルアントレプレナー(次から次と多くの会社を上場させる人)なんぞどう考えても病気だろう。ひとつふたつくらいで我慢しとけ。