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2人でカラオケに行ってはいけない

喫茶店での雑談にしても、ブレーンストーミングをする場合でも、3~4人が最も楽く、参加した全員の満足度が高いはずだ。これは気の置けない仲間と集まっているからではなく、「3」あるいは「4」という数字が固有のポテンシャル(potential=潜在力)を持っているからだ。数字はそれ自身が天然資源だ。舐めたり触ったりすることができないという弱点はあるが、在庫が無限大で仕入れコストがゼロ、しかもすべての人に所有権・利用権がある。数字を直接仕入れるという考え方を取り入れるクセをつけることは、特に零細企業の経営において極めて有効に働くだろう。

カラオケは最低3人、最高でも4人でやるのが正解である。なぜか。1人カラオケはおそらく何かの練習だろうからカラオケにあらず、ということにしておこう。では、2人のカラオケだとどうなるか。相手が歌っている間、残りの1人は必死で次に歌うべき曲を探しているはずで、人の歌など聴いている余裕はない。結果的にどちらも楽しくない。少なくとも、2人で何かを成し遂げた感覚は共有できないだろう。

では、一気に5人以上になるとどういうことになるか。タンバリンを叩くだけで歌おうとしない人が出現すると同時に、積極的に歌いたい人にとっては自分の順番がやってくるまでの時間が途方もなく長く感じるだろう。というわけで、カラオケは3人または4人でやるのが正解である。適度に人の歌を聴く余裕もあるし、適度な間隔で自分にお鉢が回ってくる。結果として全員の居心地が良くなる。

男女比や一緒に行くグループのメンバー間の人間関係などによって盛り上がり方は当然変わってくるが、どのような個性の持ち主が集まろうと、3人または4人が一番楽しい。これはカラオケに限らない。喫茶店での雑談、ブレーンストーミング、そして旅行に行く場合などでも、3~4人が最も“成果が出る”ように思う。

7~8人で宴会を行うとき、ある程度時間が経過すると2つ以上のグループに分割されてしまうことに気づいている人も多いだろう。せっかくみんなで集まるのだから、ということでなんとか全員で盛り上がろうとスタートしても、この時間は長く続かない。結局は、居心地の良い状態としての4人前後の2つのグループに落ち着くことになるはずだ。

適度に休憩できるがそこそこの緊張感もあり、同時に疎外感を感じることもない、というのがこの3人から4人のミーティングである。つまり「3」あるいは「4」という数字自体が何らかのポテンシャルを保持していると考えると分かりやすい。

ここには、個性や人格に依存しない法則がありそうだ。数字は確かに言語だが、他の言語と違うのは、それがそもそも自然界に実在している資源だという点にある。ヒトが人為的に作り上げた言語は地域が異なると通じないが、数字が万国共通なのはそれが天然資源だからだ(ついでに言えば英国人が感動する音楽に日本人も感動するのは、音楽が基本的には数字でできているからで、それが私たちの原始的な感覚野を直接叩いているからである)。

欲しい結果が違うのであるなら、採用する数字も別のものにすれば良い。陸上競技に2段跳びや4段跳びなるものが実在せず、3段跳びに落ち着いたのもおそらく自然の摂理なのだろう。つまり「3」自体が持つポテンシャルを活用すると具合がいいことが判明した可能性が高い。素数(prime number)を採用すれば、破りにくい暗号を作ることができるのも本質的には同じ話しである。

どの数字を引っ張り出すと具合が良いかが判ると、ぐっと工学(engineering)に近づくことができる。工学をごく簡単に定義すると、“誰が入力しても出力結果が同じ結果になること”と言っていいだろう。

これは、主に物理と化学を中心とした自然現象にエネルギーを与え、コントロールし、仕事をさせることで、期待する結果を獲得しようとする行為だが、ここでは「誰が入力しても」という個性を排除した定義が展開されていることに着目していただきたい。民主的(democratic)な香りがするのである。

例えば、ボタンを押せばコーヒーが出来上がる機械(vending machine)は、そのボタンを押す人の人格やボタンの押し方の違いでコーヒーの味が変わることはないので立派な工学である。では、ピアノ演奏はどうだろう。こちらは誰が鍵盤を押すかで人を感動させるアートになる場合もあれば、近所迷惑なノイズとして疎んじられることもある、という具合に、出力結果が人によって全く違ったものになる。従って、ピアノ演奏は工学ではない(ピアノという楽器自体は、音響工学に基づいて製作されている)。

工学は、機械工学、自動車工学、経営工学などたくさんの分野に細分化されているが、冒頭の定義(=誰が入力しても出力結果が同じ)に照らし合わせてみた時に、それを工学と見なすのは少々無理があるのではないかと思われるものまで◯◯工学と称していたり、あるいは学会も存在していたりする。

工学に限らず、学問を細分化したがるのは、適用範囲が狭い方が仮説検証サイクルがうまく回る確率が高くなるからである(学者の権力闘争といった政治的な理由もないわけではないがここでは言及しない)。

工学は“便利”のエンジンとして機能する。便利という言葉は、ある目的を達成するために要する時間が劇的に短縮されたり、自分自身が費やすべきエネルギーが省力化できた場合などに肯定的な意味合いで使われる。文明の進化は、この利便性の追求にその真髄があると言い換えてもさほど間違いではないし、便利が不愉快だという人はさほど多くないだろう。

ともあれ、便利は個性を拒否する工学をベースキャンプにしていて、環境問題等を度外視すれば、基本的に“良いこと”であるはずで、これを「基本的な便利」ということにしておく。

さて、自分自身をAという状態からBという状態に変化・遷移させようとする時に、その最適解は一意に決まるとは限らない。たとえば、A地点からB地点に移動する時に、徒歩なのか、自転車で行くか、あるいはタクシーで行くか、さらに1人なのかグループなのか、といった要素によってB地点に到達したときの風景はかなり異なったものになる。

これは、利便性が単に結果だけを問題にしているわけではなく、その行程(プロセス)自体の感性価値を重視していることを示す。また、どのプロセスを選択するかどうかは、その時の状況にも依存する。そして、前述の「基本的な便利」はたくさんあるほうがより便利だということになる。成熟してきた社会においては、基本的な便利そのものの存在よりは、基本的な便利がたくさんある状態を“便利”と言っているように思う。

つまり便利とは、オプション(選択肢)の数なのだ。ただし同じ時間帯に、ある特定のオプションを行使することは、同時に利用可能な他の手段を捨てることを意味する。社会自体がそのオプションを潜在的なニーズと捉えて用意しているとすれば、これは単なるコストとして破棄される憂き目に会う。閉店間際のスーパーに新鮮な野菜がまだ大量に残っている状態、などが分かりやすいオプションの事例だろうか。

実行されない可能性が高いオプションをリアルタイムでオークションにかけるようなプラットフォームがあると社会的コストを最小化できる可能性があるが、変数(parameter)自体が爆発するはずなので、このあたりで人工知能(deep learning)にご活躍願いたいところだ。囲碁や将棋などやらんでよろしい。

数字が素晴らしいのは、天然資源のくせに、在庫が無限大で仕入れコストがゼロ、しかもすべての人に所有権・利用権がある、というところにある。もちろん工学を経由する方法を否定するものではないが、数字を直接仕入れることができればもっとも安上がりなソリューションになる。

例えば、4人でブレストをやるとうまくいく(結果が出やすい)ことを知っていれば、コストかけて何人も呼ぶ必要がなくなるので、結果的にコストダウンになる、ということだ。あるいは、42/54的に起業してみたが、あまりに忙しいのでどうしても社員が必要になったとしよう。その時「とりあえず1人採用」はやめたほうがいい。教師と生徒の関係になってしまう。いきなり2名採用してしまえば、あなたも含め3人のグループが出来上がる。オフサイトミーティングをやるにしても最低3人でやれば十分成果が出るものになるだろう。42/54の最低の社員数は1人、その次は3人が正解である。組織にいきなり安定感が出る。

このように、数字を直接仕入れるという考え方を取り入れるクセをつけることは特に零細企業の経営において極めて有効に働くと思う。

なお、数字が資源であることを私に教えてくれたのは、若山 正人氏(九州大学・副学長)である。彼の絶妙な講義はここ(自動運転の論点「21世紀を変える数学の可能性」)で堪能できる。

参考文献:
『音楽と数学の交差』桜井 進・坂口 博樹(2011年)大月書店
『音楽・情報・脳 (放送大学大学院教材) 』仁科エミ・河合徳枝(2017年)放送大学教育振興会