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テレワークとは「経営者」に突き付けられた踏み絵である

家庭も経営の対象であり、かつ法人格を利用するオプションが与えられている。テレワークは、その両端で家庭経営者と企業経営者が「綱引き」をしている状態を想像すればよい。これは、リアリティとフィクションの戦いでもある。圧倒的に企業経営者優位に見えるこの運動会の種目は、最終的には強い正義を有する側の勝利に終わるだろう。家族経営というのは案外深い概念なのだ。

経営学が対象にしているのは、主に会社(法人)または組織である。通常、ここに“家族”は含まれないことにまずは着目しておいてほしい。この経営学の対象である会社をミクロのドット(粒)とみなし、それらを積算し大きな動向を分析するのが経済学だ。経営学は一つひとつドット自体の分析がゴールだが、経済学となると積算されたドット全体の動向分析を目的とする。

さて、経営学の対象となる会社なる法人には、フィクション(虚構でもあり、創作でもある)として法人格なるものが与えられている。つまり「こうやったら(経営が)うまくいくだろう」というレギュレーション(規則)の集合体が法人の実態だ。その意味において、巨大な自社ビルや工場のような設備もフィクションから構築されたものなので、ハードウエアが与えられていてもフィクションだと言い張ることができる。

ただしフィクションは、健全で豊かな社会生活を営むために必要な措置であり制度でもある。例えば、実空間で実現させるのが困難な直接民主制(注1)には代議員を選出する選挙制度というフィクションが与えられることで代替案として機能する、という具合に、フィクションには完璧とは言えないかもしれないがそこそこの擬似的な価値を創出する力がある。

“企業ブランド”も、ある種の神話としての資産(暖簾代は無形かつ仮想的資産なので、事業譲渡しない限り算出できない)に過ぎないが、神話にカネを払うことでエネルギーを獲得できるユーザーがいるうちは、有効なフィクションとみなすことができる。

しかし、どうしてもフィクションと認識できないのが自分の人生だ。ニック・ボストロム(Nick Bostrom)のシミュレーション仮説(注2)を以ってしても、生きているという実感だらけの自分自身をフィクションとみなすのは難しい。加えて、多くの生物(特に哺乳類)は個体がある程度の規模のグループで相互作用を及ぼしあいながら生きるのが生存戦略的に正しいことを知っている。

人間の場合、これを“家族”と呼ぶ。一人の人間にとってかけがえのないものとは法人や組織ではなく、家族である。したがって、法人経営と家族経営のどちらが大切かなど、愚問の最たるものであろう。

少々厄介なのは、家族という概念自体もかなりフィクションに近いということと、概念の守備範囲が広すぎることだろう。「よっしゃぁ、じゃあ今日から俺たちも家族だぁ、うぇーい」とJR新橋駅のSL広場あたりで酔っ払ったサラリーマン同士が肩を組んでいたりするが、そんなものは本当の家族ではないと即座には否定しきれないのである。

ついでに言えば、養子縁組が極めて少ない狭量な国民性は大いに恥じ入るべきだとも思う。そもそも、夫婦という制度からして血縁関係がないことが条件になっている他人同士の同居である。しかし、フィクションだらけの新婚生活も、時空間の共有という接着剤を注入し続けることで、疑いのない、そしてかけがえのないノンフィクションに変貌する。情報量が桁違いに大きくかつ質が高いからである(注3)。時間の長さとかけがえのなさは比例する。これを否定すると自分の人生を全否定することになりかねないという強迫観念が、その濃密さを後押しする。

サラリーマンでさえ家庭においては立派な経営者である。そして家庭にも法人格というフィクションを利用するオプションがある(家庭経営学や生活経営学なる学問が役に立たないのは、これを無視しているからだ)。つまり、ここに家庭経営者と企業(勤務先)経営者の相克が発生する。企業経営者が副業禁止規定などという怪しいレギュレーションを持ち出していた時代もあったが、もはやそのような高度成長期の亡霊が賞味期限切れであることは論を俟たない。同時に家族経営という言葉が意外と深い概念に基づいていることがわかる。

テレワークが導入・奨励されているにも関わらず、必死で毎日通勤電車に乗っている人は、会社という“家族のようなもの”に会いに行っているのだろう。そうしないと「仕事をしたような気がしない」のである。

ところが、「家族“的”経営を標榜する法人」はフィクションどころか、最近はゴースト(ghost:幽霊)に成り下がりつつある。企業経営者は自分の経営する会社がゴーストではないことを証明する必要があり、テレワークがその踏み絵として用意されたと考えれば良い。

同時に(こちらは議論の俎上に乗っていないことが多いが)家庭経営者であるサラリーマンも、テレワークを利用することがその後の自分の人生を左右しかねない実験であることに心しておく必要がある。テレワークはその両端で家庭経営者と企業経営者が「綱引き」をしている状態を見事に演出する制度なのだ。

目下のところ企業経営者が主導権を握っている印象があるが、すでに時代は高齢化社会に突入した。それも単なる高齢化ではなく60歳を過ぎても“何らかの形で”仕事をし続けている人たちが膨大に出現してくることが明白な社会である。

この時、形勢が家庭経営者優位に傾く可能性がある。知識と経験が豊富な上に、圧倒的な裁量権を兼ね備え、かつ個人事業主なのか法人なのかも曖昧だが、気分次第ではとても良い仕事をする人たちが、従来の企業経営者にとっての発注先になる可能性が高いからだ。

社員がテレワークを始めたと思ったら、知らないうちに経営者になっていた、ということが高齢化社会では日常茶飯事になる。しばらく顧問をやってもらってその後使い捨てにする、ということができなくなり、曖昧な付き合いの中から、比較的長い時間を使って、両者にとって幸せな取引を選び出すリテラシーのようなものが求められるようになるはずだ。その上でその両者の協調行動の主導権を握れる実力があるかどうかが(企業経営者に)問われているのである。

ノマドワーカー(nomad worker)という言葉が流行ったことがある(注4)。場所にとらわれない働き方を指す言葉らしいが、そのような外形的な特徴などどうでもいいことだ。本当のノマドワーカーとは、形骸化したコーポレートガバナンス(corporate governance)に見切りをつけ、様々なレギュレーションを自己都合に照らし合わせて融通無碍に解釈しつつ会社を経営する裁量権100%の超零細企業のことだ。何を隠そう筆者の会社、あるいは一緒に仕事をしているチームの面々がこれである。

軍事用語を使うのは本意ではないが、彼らの基本コンセプトは、アドホックなプロジェクトベースのゲリラ戦である。正規軍(従来型経営者)は、敵なのか味方なのかが判然としないゲリラ戦が苦手なはずで、この辺りの審美眼を鍛えておかないと痛い目に遭う。

1万人の社員がいるのなら、1万種類の微妙に異なる事情が存在する。会社都合で一律に制度としてテレワークを導入しても、結局のところは個別事例に丁寧に対応できるかどうかが成否を分けるはずだ。残念ながらテレワークの正解は一意に決まらないのである。

注1)
これを実施することで大混乱に陥ってしまったのが、ご存知、「英国のEU離脱問題」だ。ことの是非はともかく、国民投票という制度の品質に関する議論がないのが不思議といえば不思議だが、似たようなことを日本で実施した場合は、おそらくここまで揉めないだろう。関心も知識も意欲もないまま付和雷同する形でまとまるはずである。その危険性も含め、直接民主制がその語感ほど良質なものでないことは確かなようだ。

注2)
かいつまんで言うと、オックスフォード大の教授であるニック・ボストロムが「この世の中で起きていることが全てシミュレーションである可能性を否定できない、ということが証明された」と大騒ぎしているのがシミュレーション仮説である。考え方としてはとても面白く、特にVR(virtual reality)、MR(Mixed Reality )、AR(Augmented Reality)あたりの研究者あたりが泣いて喜びそうな話だが、著しく生活実感に乏しいので、あまり深入りする必要はない。

注3)
ここでいう情報とは会話の多さのことを指しているのではない。むしろそれ以外の共有する情報が桁違いなのだ。空気感、気配、温度・湿度、触覚、雑音や振動、食事における味覚や嗅覚(これが特に重要)、一緒にテレビを見るという行為、等を通じて、夫婦は無意識に夫婦間だけの膨大な情報を共有している。これに比べれば、言語として送出されている情報量など微々たるものなので、会話量と婚姻関係の持続時間には何ら相関関係も因果関係もないはずである。むしろ、会話の弾む夫婦ほどさっさと離婚するような気がするのは筆者だけだろうか。

注4)
筆者にはノマドワーカーという言葉からシティボーイという言葉を連想してしまう妙な癖があるのだが、このシティボーイなる言葉も(ノマドワーカー同様に)使うのがためらわれる言葉だ。「都会風の感覚を身につけた、流行に敏感な若い男性」という意味なのだそうだが、これを丁寧に説明すれば「普通の若者がもはや関心を示さなくなった都会風という意味不明の感覚を重視し、自分の価値観に自信がないので、いま流行しているものに必死に食らいつこうとしている男性」、つまり単なる馬鹿のことである。

書名
会社をつくれば自由になれる
出版社
インプレス/ミシマ社
著者名
竹田茂
単行本
232ページ
価格
1,600円(+税)
ISBN
4295003026
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